池上彰の戦争を考えるSP 教科書に載っていない20世紀〜あの言葉が世界を変えた!?

『池上彰の戦争を考えるSP』(いけがみあきらのせんそうをかんがえるスペシャル)は、2010年以降毎年8月15日に一番近い日曜日にテレビ東京系列の『日曜ビッグバラエティ』枠で放送されている教養・ドキュメンタリー番組である。池上彰が戦争について解説する報道特番で、自らが現場取材してきた内容をスタジオで解説し、ゲストと共に戦争について改めて考える。

出典:goo Wikipedia

放送日 2015年7月26日(日) 20:54~22:42
放送局 テレビ東京

番組概要

オープニング (その他)
20:54~

オープニング映像。

教科書に載っていない20世紀 (バラエティ/情報)
20:54~

1945年~現在までに起こった戦争・紛争を国別にまとめた巨大年表を紹介した。敗戦国である日本、ドイツは戦争・紛争はない。池上彰は、「戦争をしないで平和な国家のまま居続けられるのか。過去の戦争を見つめ直して、日本の未来を考えていこう」と話した。また、第一次世界大戦~第二次世界大戦が終わるまでの30年間の巨大年表も紹介され、池上彰は、「70年間ではなくて、100年間で見ていこう」と話した。

13歳で留学をしていた外交官・外務大臣・松岡洋右さん。1941年12月8日真珠湾攻撃、1933年2月24日ジュネーブ(スイス)で行われた国際連盟の臨時総会、日本が戦争へと突き進む分岐点となった日本主席全権・松岡洋右の演説を紹介した。この一ヶ月後に、日本は国際連盟から脱退。

国際連盟は、1920年設立で42カ国が加盟し、常任理事国は、イギリス・フランス・イタリア・ドイツ・ソビエト・日本。国際連盟は、世界各国の協力によって国際平和を維持しようと設立され、新渡戸稲造が事務次長に就任した。第28代アメリカ合衆国大統領のW・ウィルソンが国際連盟の設立を提案したが、議会が反対をしてアメリカが参加しないまま発足した。第一次世界大戦中に日本軍はイギリスとの同盟を理由にドイツに宣戦布告、当時ドイツが利権を持っていた山東省に攻め込んだ。今年4月9日天皇皇后両陛下は世界大戦前にドイツ領だったパラオをご訪問された。

関東軍は、中国の関東州に派遣された日本軍のことをいう。1931年に関東軍が「柳条湖事件」を起こした。1931年9月18日南満州鉄道の線路爆破をきっかけに起こった「満州事変」、その後関東軍は政府の方針を無視して軍事行動を続けた。1929年に始まった世界的な経済不況「世界大恐慌」のあおりをうけ、日本も深刻な不況だった。松岡洋右は南満州鉄道の副総裁、その後衆院議員になった。松岡は、1931年1月衆議院本会議で「満州は我が国民の生命線である」と話した。満州国は事実上日本の傀儡国家だったという。

1932年3月に満州国を建国。日本による満州国建国を中国国民党政府は国際連盟に提訴した。これを受け満州国に派遣されたのが「リットン調査団」。1933年2月24日国際連盟臨時総会、加盟国の多くが「日本は満州から撤退すべき」と主張した。そんな中満州国を世界に認めさせるために派遣されたのが、日本主席全権・松岡洋右。

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満蒙開拓団
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リットン卿
リットン調査団

教科書に載っていない20世紀 (バラエティ/情報)
21:08~

1933年2月24日国際連盟臨時総会、日本主席全権・松岡洋右の演説を紹介した。中国政府では満州の治安を維持することができないため、日本は平和維持のために行っていると46分間にわたり訴えた。満州国撤退の賛成は42、反対1、棄権1となり、再び松岡洋右は「日本は断じてこの勧告の受け入れを拒否する」と言い壇上を去った。この去り方は日本国内の映画ニュースで繰り返し上映され、国民に大歓迎されたという。しかし、帰国した松岡は「満州国を世界に認めさせた上で国際連盟にも残る」という使命が出来なかったので国民に謝罪した。

1937年日中戦争がはじまる。日中戦争のきっかけになったのは、「盧溝橋事件」。盧溝橋事件は、北京郊外の盧溝橋で演習中の日本軍に何者かが発砲したとされる事件、発端の実情は不明となっている。アメリカは日本に中国からの徹底を強く呼びかけた。

松岡洋右は、1940年第二次近衛文麿内閣の外部大臣に就任した。1940年日独伊三国同盟を結び、松岡は同盟国の挨拶という名目でヨーロッパを歴訪する。シベリア鉄道を使い、スターリンやヒトラーやムッソリーニに会った。日本に帰る際にスターリンと再び会い、日ソ中立条約を結んだ。スターリンは駅のホームまで松岡を見送りにきて、抱擁し親愛の情を示したという。

池上彰らは、御殿場市(静岡)にある松岡洋右の別荘を訪れた。1941年7月に外務大臣を退任し、この別荘で病気療養していたという。松岡洋右の4男の松岡志郎(88)が出迎えた。

松岡外交意外な話が飛び出す

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教科書に載っていない20世紀 (バラエティ/情報)
21:19~

三国同盟を行った松岡洋右外務大臣の長男である、松岡志郎さんにインタビュー。松岡洋右外務大臣は、本当はロシアと同盟を結びたかったと、松岡志郎さんが語った。松岡洋右外務大臣はアメリカと戦争をするつもりがなかったと、松岡志郎さんが語った。松岡洋右外務大臣は三国同盟締結について、後に一生の不覚だったと後悔している。

アメリカとの戦況が悪化する中、1943年に明治神宮外苑競技場で、出陣学徒壮行会が行われ、当時の総理大臣である東条英機が演説した。学生代表の当時を紹介。

松岡洋右は戦後、A級戦犯の容疑者として逮捕されたが、病気のためほとんど裁判には出廷せず、66歳で死去した。

ナチスの独裁者、アドルフ・ヒトラーの演説を紹介。

ミュンヘンの市民らに、ナチスについて街頭インタビューしたが、答えたがらない人が多く、ヒトラーについての質問はドイツ人にとって最も難しい問題だと述べた人もいた。

池上彰が、ナチスが結成されたきっかけの場所である、ホフブロイハウスを訪れた。ホフブロイハウスでは、アドルフ・ヒトラーが演説を行っていた。

1923年、ナチスが政権奪取を試み起こしたクーデター・ミュンヘン一揆が行われた、ビュルガーブロイケラー跡地を取材。クーデターは失敗し、アドルフ・ヒトラーはランツベルク刑務所に収容された。アドルフ・ヒトラーはランツベルク刑務所で、我が闘争を口述筆記する。

1929年の世界恐慌で、ドイツは600万人もの失業者が発生し、ナチスが台頭し、アドルフ・ヒトラーは首相に任命された。

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ナショナルジオグラフィック
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教科書に載っていない20世紀 (バラエティ/情報)
21:44~

1933年ヒトラーの首相就任演説を紹介した。

ヒトラーの経済政策が国民には魅力的に映った。大規模な公共事業を実地し、アウトバーンをつくった。ドイツのアウトバーンは自動車専用高速道路速度無制限で総延長は13000キロに及ぶ。大規模な雇用を生み出し、失業者は600万人から50万人に減少した。また、ヒトラーはフォルクスワーゲン(国民車)の設計をフェルディナント・ポルシェに依頼した。経済政策で国民の支持を得たという。大統領は国家元首だが実質的な力はなく実質的な力は首相にあるため、1934年大統領と首相を一緒にした「総統」に就任した。第一次世界大戦後に制定されたドイツの憲法「ワイマール憲法」は、当時世界で最も民主的な憲法といわれていた。そのワイマール憲法で権力をとり、国会が立法権を政府に委譲する「全権委任法」を制定した。池上彰は、「憲法の下で新しい法律をつくり、憲法の効力をなくしてしまう。つまり憲法の解釈を変えた」と説明。

池上彰らは、ニュンヘン(ドイツ)にあるナチス党本部と総統官邸へ。戦後ドイツではナチスのマーク・紋章などそういうものが一切禁止されたという。ナチス党本部と総統官邸の建物は当時のままで現在は考古学博物館となっている。ナチス党本部と総統官邸は地下道でつながっており、多くの機密文章などをやりとりするためにつくられたという。

ナチスの資料館「NS文書センターミュンヘン」へ。過去にナチスが行ったことを加害者の歴史として展示をしている。ヒトラーのアクションはオペラ歌手から指導を受けていたという。

池上彰らは、最初につくられたナチス・ドイツの強制収容所「ダッハウ強制収容所」へ。「労働が自由をもたらす」と扉には記載されており、働くと自由になるという言い方をしてユダヤ人を強制収容所へ入れたという。現在は資料館になっている。1945年の連合国軍によって開放された時の様子を流れた。この残虐さを忘れないためにモニュメントがつくられており、先日メルケル首相が花束を捧げたという。

ナチスに立ち向かった学生たち

池上彰はヒトラーの演説について、「演説術が凝縮している」と話した。我が闘争には、ヒトラーの野望「ドイツ帝国の復活」「反ユダヤ主義」「共産主義打倒」と書かれてある。池上彰は我が闘争について、共通の敵をつくり、みんなを団結させる。」と話した。

ヒトラーは、ニュルンベルクが最もドイツらしい街として大のお気に入りだった。ナチスの党大会が何度も行われ、街はナチス一色に染まった。第6回ナチス党大会は「意志の大会」とも呼ばれていた。述べ100万人が参加し、この様子はレニ・リーフェンシュタール監督「意志の勝利」によって記録されている。平和の為の独裁と宣言している。

ナチス党大会のヒトラーの演説を紹介した。ヒトラーも「平和」という言葉をよくつかった。党大会は夜行われることが多く、幻想的な雰囲気も民衆を熱狂へとかりたてた。そして、現在党大会が以前行われていた建物付近の壁には「ドイツよ、目覚めろ!」と落書きがされており、ヒトラー信仰は今もあることが伺える。

91歳のナチス元兵士のインタビュー。イタリアのモンテカッシーノの激戦などに従軍していたという。ナチス元兵士は、「当時ヒトラーユーゲントは若者の憧れ。みんなヒトラーに陶酔していた。ヒトラーはその話し方や圧倒的な存在感でとても輝いてみえた」と話した。アドルフ・ヒトラーは14~18歳までの男子で構成されるナチスの青少年組織。また、「奴は狂っていた。そしてドイツの全ての国民を狂わせた」と話した。ナチス元兵士は、身分証明書に記された鉤十字を消したという。

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教科書に載っていない20世紀 (バラエティ/情報)
22:11~

ドイツのミュンヘン大学の入口に反ナチス運動のビラがあった。1943年頃、ミュンヘン大学のハンス・ドフィー兄妹らがペンで反ナチスを訴えた「白バラ抵抗運動」。逮捕からわずか4日で斬首刑となった。後にイギリスBBCがドイツ国民に向け、白バラ抵抗運動について放送された。

喜劇王チャップリンとヒトラーは同じ歳。チャップリンは映画「独裁者」を1940年につくり、ヒトラーを痛絶に批判している。

池上解説 ケネディ演説に迫る!

ナチスに関しては今も厳しく規制されている。学校などでの手の挙げ方、鉤十字を連想させるデザインの禁止、車ナンバー「HH」「SS」は禁止などされた。

ヒトラーが首相に就任してから12年、ドイツの敗北が決定的になり愛人のエバ・ブラウンと自殺をした。

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教科書に載っていない20世紀 (バラエティ/情報)
22:23~

北ベトナムはソビエトなど社会主義陣営、南ベトナムはアメリカなど自由主義陣営を支援していた。やがて南北の対立が激しくなり、戦火を交えるようになった。アメリカは軍事顧問団を南ベトナムに派遣した。

1963年11月テキサス州ダラスでケネディが射殺された。アメリカ軍は北爆を開始し、50万人を超える兵士を投入し、戦争は泥沼化した。国際世論に大きな影響を与えた。メディアを通じて悲惨な状態を多くの人が知ることになり、世論によって反戦運動が起きた。1975年ベトナム戦争が終結した。

池上彰が総括する。

戦後の日本は戦後70年、戦争をすることはなかった。1950年に警察予備隊が作られやがて自衛隊となる。湾岸戦争で資金を提供し、ペルシャ湾での機雷除去、インド洋での燃料補給、イラクでの復興支援などの後方支援はしているが、自衛隊は戦闘で犠牲者も殺人もしていないことは誇っていいと話した。

1961年1月20日第35代大統領ジョン・F・ケネディの就任演説を紹介した。就任時は、アメリカを中心とする自由主義陣営と、ソビエトを中心とする社会主義陣営の対立している「東西冷戦」が起こっていた。

アメリカの軍事顧問団には、実践を行う特殊部隊も加わっていたという。

ニュースキャスターのウォルター・クロンカイトとケネディのインタビューを紹介。ケネディは、「最終的に、これは彼らの戦争だ。我々は軍事顧団を送り、武器を援助することはできる。だが、勝つか負けるかは彼ら次第だ」と話している。今年5月に自称「イスラム国」による攻撃でイラク西部ラマディからイラク軍が撤退したところ、アメリカはケネディのインタビューと同様の言葉を述べた。また、2014年にイラクに軍事顧問団も派遣している。

1961年8月13日、東ドイツによりベルリンの壁が築れる。壁をこえるものには、逮捕か射殺が待っていた。こうした中、1963年6月26日西ベルリンにて、ケネディは演説を行い、「私こそはベルリン市民である」とドイツ語で話した。同時多発テロでドイツ民は「私こそニューヨーク市民」とプラカードを掲げた人がいたという。

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ラマディ(イラク)
ベルリンの壁
ドイツ
ベルリン(ドイツ)
ニューヨーク市(アメリカ)
ダラス(アメリカ)
ボブ・ディラン

エンディング (その他)
22:38~

池上彰の戦争を考えるスペシャルが本になります。抽選で10名様にプレゼント。詳しくは番組ホームページ/池上特番をご覧ください。のテロップ表示。

池上彰は最後に、1985年5月のワイツゼッカー元大統領の演説を紹介した。過去に目を閉ざさず 自らの歴史から学ぶ、日本人もそのチャンスがある。世界のどこかで戦争が続いており、日本にも戦争の危機が訪れるかもしれない。過去から学ぶことは、そのとき考えるきっかけになるだろうと話した。

この番組はビジネスオンデマンドで配信するとテロップ表示。歴史と本の旅「日曜夕方の池上ワールド」も好評配信中。

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池上彰の戦争を考える
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