日曜ビッグバラエティ 昭和平成ヒット商品全部見せます!〜その時茶の間は動いた〜

日曜ビッグバラエティ(にちようビッグバラエティ)日曜ビッグバラエティ (テレビ東京) - テレビ東京で放送中の単発番組枠。日曜ビッグバラエティ (日本テレビ) - 日本テレビで放送していた単発放送枠。

出典:goo Wikipedia

放送日 2016年8月21日(日) 19:54~21:48
放送局 テレビ東京

番組概要

昭和平成ヒット商品全部見せます! 日本人ってやっぱりスゴイSP (バラエティ/情報)
19:54~

カレーが日本に伝わったのは明治時代。横浜周辺に住み着いた欧米人から広まった。その頃のカレーは真っ黄色だった。作り方はラード、そこに小麦粉、そして外国製のカレー粉を加えてルーを作るところから始まった。当時はある物を加えていた。それは鰹節の出汁と醤油だった。日本人好みの味にアレンジされていた。お肉の代わりに入れたのは、近所の池。池で捕れるカレーの具材はザリガニだった。作る以外の悩みの種は洗い物。食器を洗うのに使っていのは灰。殺菌作用があるため食器の洗剤代わりに使われていた。ササラなどを使って必死でよごれを落としていた。家庭に浸透し始めたのは1950年代、テレビがない時代は街場の宣伝活動が派手だった。ヘリコプターでビラを蒔くような宣伝もあった。その中で脚光を浴びたのがオリエンタル即席カレー。画期的な戦略とは?販促用グッズ。スプーンをプレゼントすることで売上と知名度を急激に伸ばした。この成功がトレンドになり販促グッズが誕生した。

1958年~、サントリーがアンクルトリス木製楊枝入れを反則した。そして、保険会社が配っていたのがウォッチカレンダー。当時のサラリーマンが愛用する大ヒット商品となった。この時代は即席カレーブームが到来した。エスビー食品のモナカカレーは画期的な商品だった。この時代のカレーには大きな問題が。子供には辛かった。子供用と大人用に味付けをかえていた。1963年に斬新なカレーが登場。それは、ハウスバーモントカレー。業界初の甘口カレー。人気の秘密はバーモントという名前に隠されていた。長寿で有名なアメリカのバーモント州のりんごのはちみつの健康法を取り入れた。

1960年、ワンタッチカレーを開発したグリコは1983年にCMに起用したアイドルは?榊原郁恵さんだった。

甘口や固形ルーの登場でキャンプの定番になったカレー。甲子園球場ではカレーが名物となった。1960年代はカレーの認知度が急上昇、しかし母親には新たな戦いの幕開けだった。それは、カレーをこぼす子供が続出。この頃の渦巻き式洗濯機では汚れが落ちなかった。そこで取り出したのは大根。ジアスターゼという成分がシミを分解した。幼少時代の前田さんは下着姿でカレーを食べさせられていたという。オフィスレディという言葉が生まれた1963年以降、お母さんたちも社会進出した。2ドアタイプの冷蔵庫がこの時代に生まれてカレーを作り置きできるようになった。マルシンハンバーグをご飯にのせてハンバーグカレーにしたり。お手軽アレンジメニューが続々と誕生した。しかし、アレンジメニューでお母さんたちは大変になった。中でも一番の点滴がカレーうどんだった。これがとにかく跳ねる。他にも人気はカレーホットドッグ。大人気となったのはハイホームという洗浄剤。居間も販売されている大ヒット商品。さらに、二槽式洗濯機も登場して大ヒット商品となった。

懐かしいヒットカレーが続々登場!

キーワード
カレーライス
ザリガニ
オリエンタル即席カレー
トリスクラシック
サントリー
ハウスバーモントカレー
バーモント州(アメリカ)
ワンタッチカレー
グリコ
榊原郁恵
ジアスターゼ
大根
マルシンハンバーグ
カレーうどん
ハイホーム

オープニング (その他)
20:11~

オープニング映像。

昭和平成ヒット商品全部見せます! 日本人ってやっぱりスゴイSP (バラエティ/情報)
20:14~

1976年 昭和51年は米飯給食が開始された。関東ではカレーシチューだった給食のカレーが遂にカレーライスとして誕生…当時、過激なおかわり争奪戦が繰り広げられ、少しでも早く食べようと中腰スタイルで食べる食いしん坊もいた。スタジオで渡辺は「これ、俺もやってた」とコメント。当時、各家庭でオリジナルカレーが確率されてきたと説明。また渡辺徹さんも当時、お金持ちの友だちの家でカレーをごちそうになった時、スプーンがコップに入っている事、ご飯とルーが別々になっている事など自分の家のカレーと全く違う食べ方に衝撃を受けた人も多かったと説明された。

190年代 昭和55年~ バブル経済を迎えた。ここで1軒のお店からあるカレーブームが誕生…それは東京・渋谷にあったカレー専門店「ボルツ」で特徴は辛さを選べるシステム導入で、バブル期には20倍のカレーが食べられるという事で、各雑誌で取り上げられていた。また当時は、激辛カレーを涼しい顔で食べるのがステイタスと言われ女性の前で無理して食べた男性も多かったと伝えられた。これを受け、激辛ブームが始まり神田淡平の「激辛特辛子煎餅」は流行語大賞にも受賞…これを皮切りにコイケヤは1984年「カラムーチョ」が発売、1986年にはみながわ製菓が「とうがらしの種」、江崎グリコが発売した「LEE」は30倍カレーが大ヒットした。この激辛ブームを受け1978年に誕生したのが「カレーハウスCoCo壱番屋」で、2013年にはカレーチェーン店舗数が世界一となっている。しかし、これが原因で家庭でも辛さやトッピングなど細かくオーダーする子どもが続出…当時、お母さん達の悩みもつきなかったと伝えられた。カレーが日本に伝わり140年…家庭のカレーは日々進化し続けている。

スタジオでカレーについてトーク。渡辺は「カレーって最初は、ご飯にかけてたけど何かのテレビで半分ずつ入れるのを見て母親に頼んだら、店に行った気分になれた記憶がある」と語った。前田は「カレーだと醤油かソースかけて食べてた」と述べると伊集院も「親父の世代はソースかけてた。僕が度肝を抜かれたのは友だちの家のカレーにマッシュルームが入ってた事…マッシュルームなんて神様が食べるものと思ってた」と明かした。ここで前田は「筑前煮の余りをカレーに入れると和風になって美味しい」と述べると驚きの声があがった。様々な食べ方がある中、スタジオで山瀬まみがやっていた「カレーラーメン」が登場。これはインスタントの醤油ラーメンに余ったカレーを乗せるだけのもので試食した出演者は、その味を堪能していた。ここで1人、料理が出なかった、あばれる君に特別メニューかつて人気となった江崎グリコ「スパイスオブザワールド 辛さ×30倍」が登場…早速、試食したあばれる君は「めっちゃ辛い…辛い」と嘆くと、伊集院は「みんな罰ゲームじゃなく好んで食べてたんだよ」とコメント。

1953年 昭和28年 NHKがテレビ放送を開始した。これによりスポーツブームが起こり、様々なヒーローが誕生した。1958年 昭和33年は長嶋茂雄がプロデビュー、同年 初代若乃花が横綱昇進…多才な技で人々を魅了し空前の相撲ブームを巻き起こした。この相撲人気から腕相撲が始まりブームとなった。そして1950年代のヒーロープロゴルファー中村寅吉である。当時、胴長短足の寅さんと言われた中村プロが長身華麗なサム・スニードを負かし、まさに驚天動地の出来事だったと伝えられた。1957年以降、ゴルフゴームが広がり前年20万人だったが、1957年には40万人…そんな中、ゴルフブームに便乗した珍商売も始まった。それがゴルフ場でボールが見つからなくなった時に犬を登場させ、ボールを探させる仕事と説明。また犬が集めたロストボールを売る商売も始まったと伝えられた。更に当時、大阪府神崎川ゴルフ場では中学生の少年たちが完全武装のままボールを拾って歩き学費にしていたと説明。

水上スキーで繁盛している場所は???

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米飯給食
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NHK
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中村寅吉
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ゴルフ
水上スキー

昭和平成ヒット商品全部見せます! 日本人ってやっぱりスゴイSP (バラエティ/情報)
20:29~

1960年の高度経済成長期、数々のレジャー・スポーツが流行した。夏の大人気のスポットといえば、湘南の海水浴場。水着が浸透して海水浴ブームとなった。大混雑の海水浴場で流行したレジャー・スポーツとは?

正解はスクーバダイビング。アメリカ軍人がダイビングを始めたのが普及のきっかけでアクアラングと呼んでいた。

アクアラング用のその空気ボンベで珍商売があった。ただで手に入る空気を売り物にする商売上手。夏に人気だったスポーツは、水上スキーだった。そんなスキーブームに便乗した珍商売とは?田んぼスキーが登場した。夜は屋形船を浮かべて商売をした。1960年代ブームの冬のレジャー・スポーツといえばスキー。1961年には年間スキー客が100万人を突破する人気となった。滑るだけに熱中する神風スキーヤーというスタイルが流行し怪我人が続出した。池袋スケートセンターがきっかけとなりスケートも流行した。当時のスケート場には便利な商売がたくさんあった。一番人気はおでん屋だった。スケート場の売上は、一日で200万円だった。

衝撃のやり過ぎブームを大公開。

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海水浴
高度経済成長期
スキューバダイビング
水上スキー
スキー
おでん

昭和平成ヒット商品全部見せます! 日本人ってやっぱりスゴイSP (バラエティ/情報)
20:40~

問題。子どもが泳げるようになるために飲んでいた物は?正解は、メダカを3匹飲む事…しかし実際に泳げる事とメダカは関係なかった。この伝記はホンダの創業者 本田宗一郎の伝記に書かれ有名になったと説明。

1970年 昭和45年 大阪万博が開幕。当時、恐ろしいスポーツブームが浸透…それは寺の境内で並ばされ階段を使った「手押し車」や「うさぎ跳び」などスポ根ブームが到来。当時、相手を倒さなければ怖い先輩の雷が落ちる…当時の部活は想像を絶する厳しさで、練習法にもスポ根漫画の影響が随所に現れていた。当時、エキスパンダーや鉄アレイが大ヒットした時代だったと伝えられた。

1980年代 昭和55年以降に入ると「原宿歩行者天国」のブームが到来。目立ちたがり屋のヤングが集まる原宿の街で、ローラースケートブームが到来。汗臭いイメージだったスポーツがファッションの一つとなり注目を浴びた。ここで始まった珍商売が、レストランで美女がローラースケートでビールや食事を届ける接客が人気となった。

スタジオで、昭和のスポーツについてスパルタだった事、伊集院は「野球部だったんだけど水が飲めない時代だったからグラウンドの隅の方に水を貯めて飲んでいた」と明かした。また宮崎はバドミントンをやってて、「クーラーはつけちゃダメでした」と述べると、渡辺は「体育館にクーラー?」と驚きの声をあげていた。またあばれる君は「僕の高校は頭の良いクラスだけ教室にクーラーついてました」と明かし笑いとなっていた。

1950年代 昭和25年~の夏、当時の家庭にはエアコンの普及もない時代だったが、暑い夏を気持ちよく過ごす工夫があった。当時は電気冷蔵庫が普及していた訳ではなく、野菜や果物は冷たい井戸水で冷やしたり、近くの川で冷やすのが主流だった。また子ども達は、お祖母ちゃんが冷やしてくれたスイカを縁側でかぶりつく姿が普通に見られたと紹介。更に、きゅうりやトマトは夏野菜で、子ども達にとっておやつ代わりだったが身体の火照りをとる効果があり、お祖母ちゃんの知恵もあったと説明。当時の子供達にとって一番の遊びは川遊び…川遊びや水切りに夢中だった。

当時、夏に欠かせないご馳走は「そうめん」。平安時代から食べられていたと言われ、「ひやむぎ」との違いは麺の太さ…1.3ミリ未満を「そうめん」と呼5840び、1.3ミリ以上1.7ミリ未満を「ひやむぎ」と呼ぶ。「そうめん」の方が湯で時間も短く、のどごしがつるっとしている事から昭和30年代から人気、更に畑でとれる夏野菜の天ぷらは麺つゆにつけて食べると絶品で、あとは茹でたとうもろこしで夏のスタミナ対策と言われていた。一方、ひやむぎには目印とし色付きの麺があったがそれが兄弟喧嘩の原因になる事もあったと説明。

ここで夏を乗り切ったスタミナ料理が紹介。前田美波里は「ソーセージの缶詰」で、汁に浸してある柔らかいソーセージ「明治屋 ウインナーソーセージ」は滅多に食べる事が出来ない贅沢品で当時のお金で1缶120円、現在の価値だと約2000円と発表。その為、缶詰は有効活用し残った汁をお湯で薄めるとコンソメのような洋風スープになったと伝えられた。スタジオで、伊集院も「缶詰のソーセージは独特の味でした」と語った。続いて、渡辺徹の夏のスタミナ料理は、お祖母ちゃんが作った「ナマズの天ぷら」だった。

夏の夜に使われていたものが紹介。蚊の多い季節になると欠かせないのは「蚊帳」…中に入るのは蚊が入らないように入るテクニックが必要と説明。また蛍を蚊帳の中で放つと星空のように感じられると紹介。そして夏の辛い事は「ラジオ体操」で、これは昭和天皇の即位大礼の記念放送として始まり80年以上の歴史を持ち、体力向上と健康のため全国に広まったと説明。しかし子どもたちの目的はラジオ体操が終わると貰えるハンコで、それが全てたまると消しゴム付き鉛筆1ケース貰えるとあって子どもたちも張り切って参加していた。また、噂を聞くと子どもたちが集まるイベント「ところてん」が紹介。これは天草から作るもので黒蜜や酢醤油をかけて食べるもの。この「ところてん突き」を見たいと子どもたちが集まっていたと説明。ここで夏休み、最後は「忘れていた宿題」だった。

かつて、夏休み期間の天気予報を流す商売があった。「場所によってかなり違います…これから毎日 自分でつけて下さい」と注意コメントも伝える映像が紹介。またデパートでも「質問 何でも応じます」といった子ども教室を開く特別サービスを実施、毎年のように繰り返される宿題攻勢に どこの博物館でも万全の受け入れ態勢をしていた。また夏休みの宿題を教えるビジネスが成立したほどである。現在、宿題代行は十数社あるとの事だが、現時点で予約殺到していると発表…読書感想文だと1枚 3000円~、ドリルは1冊5000円~、自由研究の工作は5000円~と発表。

1971年 昭和46年は南沙織の「17才」が大ヒットとなった。この名曲が大ヒット、夏の海で大流行したのが太陽のマークが目印の「資生堂 サンオイル」当時400円である。また日本初の水着キャンペーンガールで選ばれたのが当時18歳だった、前田美波里。前田の影響で日焼けした小麦色の肌が健康的と言われるようになった。当時、夏休みが終わり新学期になると日焼け大会も開催される所もあったと伝えられた。また日焼けしすぎた時、スライスした「きゅうり」をのせるだけで痛みを和らげる効果を治りも早くなると伝えられた。きゅうりは90%以上が水分の為、水筒の代わりに持ち歩く人もいたと言われるほどだった。

1970年代、作り置きしたそうめんのつゆを麦茶と勘違いして飲んでしまうトラブルが続出した。この頃冷蔵庫の普及でカルピスが大人気になった。当時は水で薄める希釈用タイプが流行し、冷凍庫で作る氷が活躍した。お中元で最も喜ばれたのがフルーツ缶セットで、これにサイダーを入れたフルーツポンチを喜んで食べた。大人たちはフルーツポンチに赤球パンチを入れるのが特権だった。

この頃、扇風機が普及。濡らした和紙を扇風機につけ、冷風にするおばあちゃんの知恵があった。子ども達は扇風機で宇宙人の声真似をしたり、扇風機の真ん中を指で押して回転を止める遊びをしていた。見つかるとしこたま怒られた。

「夏のお嬢さん」がヒットした昭和50年代の夏、川や海の水質が悪くなり、学校や町に次々とプールが建設された。前田美波里は、近所に堺正章が住んでおり、プールの近くにいるとプールに突き落とすいじわるをされたと話した。どこのプールも大混雑したため、ビニールプールがヒットした。耳に水が入った時、温かい場所に耳を付けると水抜きができると伝えた。

男の子なら誰もが持っていた夏に欠かせない遊び道具が竹で作った水鉄砲だった。また男の子たちが女の子たちが遊んでいるところに水鉄砲では水をかけにいくと、女の子たちは水風船で反攻した。そして1965年(昭和40年)ごろ、冷蔵庫が普及し冷たい飲み物が飲める時代になった。そのころおばあちゃんたちは麦茶に砂糖を入れ、熱中症を予防する、今で言うスポーツドリンクだった。

スタジオで映像で紹介した砂糖入りの麦茶についてトーク。おばあちゃんちに行ったらおやつとして出てきた。大人はなぜ砂糖なしで麦茶を飲めるのかと思っていたという一方で、飲んだことがないという人もいた。また実際に砂糖入りの麦茶を試飲した。

昭和50年代のごちそうは、ホットプレートの普及で家庭でも焼肉が楽しめるようになった。牛モツやホルモンを味噌や醤油で味付けしたこてっちゃんが大ヒットした。食後のデザートには、家庭の冷蔵庫で簡単に作れるアイス、シャービックがヒット。また、バナナを凍らせるとアイスクリーム感覚で食べられると子ども達に人気だった。

伊集院光は下着の上から海パンをはき下着だけを抜くマジックパンツという技をやっていたと話した。あばれる君は「僕らの世代はあんなにパンツ伸びないっすよ、トランクスだから」と話した。また前田美波里はスイカの白い部分をぬか漬けにしていたと話した。山瀬まみは「みかんの缶詰を製氷皿にシロップと実を入れてつまようじを刺して凍らせていた」と話した。スタジオではその冷凍みかんシロップを試食した。

NEXT「オカルトブームの主役達が続々登場!」。

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昭和平成ヒット商品全部見せます! 日本人ってやっぱりスゴイSP (バラエティ/情報)
21:20~

オカルトブームの始まりは1969年。アポロ11号の月面着陸は深夜にも関わらず最高瞬間視聴率68.3%を記録した。アポロ効果で天体観測ブームとなり、UFO説が持ち上がった。1970年代後半には、数々のUFO写真がテレビや雑誌で取り上げられ、宇宙人襲来の噂が持ち上がった。恐怖に拍車をかけたのが、捕らわれた宇宙人の写真。UFOを題材にした映画やアニメが次々とヒットした。1976年には日清焼きそばUFOが発売され、年間7000万食売れた大ヒット商品になった。1977年に発売されたピンク・レディーのUFOはヒットチャート10週連続1位となった。1982年にはUFO党という政治団体まで登場した。

日本でいち早くUFO探しを始めたのは日本空飛ぶ円盤研究会と云われ、三島由紀夫や星新一など凄いメンバーが所属していた。問題「芥川賞を受賞したメンバーは誰でしょうか?」が出題され、正解は「太陽の季節」を執筆した石原慎太郎元都知事だった。

1972年、和歌山県のとある山中でツチノコの大捜索が行われた。ツチノコをきっかけに日本はUMAブームとなった。UMAは、存在の可能性があるが生物学的に確認されていない未確認動物のこと。代表はスコットランドのネス湖で発見されたというネッシー。日本では、世界三大珍獣のパンダがUMAと噂され、上野動物園には1日500件以上の問い合わせがあったという。

問題「ネッシー捜索隊の総隊長となった大物作家は?」が出題され、正解は石原慎太郎元都知事だった。当時、衆議院議員だった石原さんは国会の合間をぬってネス湖があるスコットランドに遠征。その様子はテレビでも放送され、ネッシーブームを牽引した。

NEXT「日本中を騒がせた外国人が登場!」。

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未知との遭遇 スペシャル・エディション
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金閣寺
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星新一
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昭和平成ヒット商品全部見せます! 日本人ってやっぱりスゴイSP (バラエティ/情報)
21:33~

1974年3月、ユリ・ゲラーのスプーン曲げが波紋を呼び、超能力ブームが到来。ほとんどの学校でスプーン曲げが禁止された。子ども達の間では、超能力気分が味わえる念力スプーンがヒットした。

1970年代、スーパーカーブームが巻き起こり、この頃の子ども達はカメラがマストアイテムだった。そのカメラが心霊写真ブームを引き起こした。また漫画「うしろの百太郎」で紹介されていた占いの一種「こっくりさん」の影響で、日本では占いブームに突入した。占いブームの中、子ども達に人気だったのが雑誌「マイバースデイ」。恋のおまじないなどが紹介され、ピーク時には40万部を発行する大ヒットとなった。

1970年代、公害による現代科学に対する不信感や、オイルショックによる景気低下から将来への不安が募り、「ノストラダムスの大予言」が3か月で100万部を突破した大ヒット。惑星衝突や異常気象など様々な憶測が飛び交ったが、1999年が近づくに連れ、核ミサイルによる世界滅亡説が有力になった。暦が2000年に変わるとコンピュータが誤作動するという2000年問題が発覚した時代、世界各国の核ミサイルが誤作動し人類が滅亡するという噂が流れた。渡辺徹は家族を抱き寄せて2000年のカウントダウンを迎えたという。

渡辺徹は「何があっても大丈夫だから」とみんなで輪になって年越しを迎えたと話した。

NEXT「前田美波里さんからありがたいお言葉」。

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主婦と生活
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エンディング (その他)
21:45~

最後に、前田美波里がいいものは残したい、人の気持を大切に生きていきたいと話した。

次回予告。仰天ニッポン滞在記part11。

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