ソロモン流 賢人:矢島床子

『ソロモン流』(ソロモンりゅう)は、2005年10月16日から2014年9月28日までテレビ東京系列で、毎週日曜日の21:54 - 22:48(JST)に放送されていた教養・ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2014年6月1日(日) 21:54~22:48
放送局 テレビ東京

番組概要

オープニング (その他)
21:54~

オープニング映像。

東京・国分寺市にある矢島助産院ではこの医院で産まれた赤ちゃんの生後1か月後検診が行われていて、母親たちは赤ちゃんの匂いなどで話は盛り上がっていた。また医院では妊婦や産後の母親が安心する自宅のようなアットホーム感が漂う。助産院では手術などの医療行為ができないため、正常な出産の分娩介助に限られている。利用者は矢島床子の人柄に惹かれ、医療設備が整った病院ではなく矢島助産院での出産を希望しているという。

矢島助産院では慌ただしい雰囲気に包まれ、分娩室を兼ねた和室で宮本美奈さん、今回が初産だという長崎妃香理さんの出産が始まった。長崎さんの出産予定日は1週間を過ぎていて、ご主人の長崎雄介は不安を募らせていた。また宮本さんの職業も矢島さんと同じ助産師だが、矢島さんが背中をさすってくれることで温かさや柔らかさを感じるという。宮本さんの出産にはご主人の崇さんを始め、家族が立ち会っていた。

かつては「お産婆さん」と呼ばれ日本のお産を担ってきた助産師だが、分娩の取り扱いのある助産師は年々減少している。そんな中、人気が集まる矢島床子さんを特集する。

助産師の矢島床子は出産間近の妊婦のためにかつ丼パーティーを開催した。27年で約4600人の赤ちゃんを取り上げていて、妊婦からは絶大な支持を集める。矢島床子のもとには取材が殺到し、村松志保子賞をはじめ、日本助産師会などから表彰を受けている。

キーワード
村松志保子賞
日本助産師会

助産師 矢島床子 (バラエティ/情報)
22:06~

矢島助産院では宮本美奈さんの出産が行われ、助産師の矢島床子さんは立ち会っていたご主人の崇さんに妻を抱きしめるように促した。その後無事に元気な女の子が生まれ、矢島さんはすぐ女の子を宮本さんに抱かせることで出産したという実感を味わってもらっていた。他にも今回が初産だという長崎妃香理さんの出産を行われていたが、赤ちゃんの心拍が遅いということで万が一に備えて助産院での出産を断念。ここでは手術などの医療行為ができないため、提携している土屋産婦人科へ送られた。だが無事に3100gの元気な男の子が誕生した。

矢島助産院 ファミリーサロンでは1人で子育てしている母親の情報交換や癒しの場となっている。さらにウィメンズサロンではお産の講習会が行われている。

矢島助産院で出産を希望する吉田玲子さんは敢えて赤ちゃんの性別を聞かないことにしていた。吉田さんには5人の子どもがいて、長女以外はいずれも矢島助産院で出産している。長男の優人くんらは6人目のきょうだいを心待ちにしていた。出産回数が多い上に40近い年齢から吉田さんは自身の出産に不安を抱えていて、矢島床子さんは出産の際に自身の吉田さんを乗せて安心感を抱かせていた。

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矢島助産院 ファミリーサロン
矢島助産院 ウィメンズサロン
土屋産婦人科

助産師 矢島床子 (バラエティ/情報)
22:16~

自宅出産でまさかの事態が! ベテラン助産師大ピンチ!?

矢島助産院では6人目の出産に39歳で挑んだ吉田玲子さんの出産が無事に成功し、3380gの女の子が産まれた。これで男女それぞれ3人ずつの兄妹となり、矢島床子さんは性によりそう職業は必要だということを実感していた。その後、矢島助産院では出産直後の分娩室で恒例となっているお祝いが行われていた。

助産師・矢島床子さんは1945年に岐阜県に生まれ、幼いころから医者を夢見た。しかし7人兄弟で家計に余裕がなく医大進学を断念、看護学校へ進学する。在学中夏休みにドライブ中崖から転落する事故に巻き込まれ麻痺が残ったが、看護学校の恩師の一言で助産師の道へ進み、日本赤十字社産院 高山赤十字病院で助産師となった。さらに東京の助産院に勤め、自然分娩に大きな感銘を受けたという。

自分の力で産ませるために、陣痛に苦しむお母さんを決して1人にはさせず、全てを受け入れる。「フィーリング・バース」と名付け著書も出版した。矢島助産院の緊急時の搬送先でもある「府中の森 土屋産婦人科」土屋院長は、矢島さんは助産師の基本である共感して寄り添うことに常に気を遣われていると話した。

助産師の矢島床子さんは自宅出産を希望する石田ゆかりさん宅を訪れた。2女の陽乃ちゃんは自宅出産の際に矢島さんに取り上げていて、石田さんは自宅での出産はリラックスできるという。出産予定日3日前に、陣痛が始まったと連絡を受けた矢島さんは石田さん宅に急行した。陣痛は既に数時間経過していたが、赤ちゃんが出てくる気配はなかった。するとご主人の裕治さんは妻のために塩むすびを作っていた。

助産師の矢島床子さんは早朝の散歩に出かけている間、ご主人の公成さんは矢島助産院で入院している妊婦のために朝食を作っていた。2人は1972年に結婚し、矢島さんは専業主婦として子育てに専念していた。84年に矢島さんは自宅で長女を出産し、立ち会っていた仕事一筋で家庭を顧みなかった公成さんは父親として再スタート。そして87年に矢島助産院を開業し、公成さんは妻に代わって家事を引き受けた。

矢島助産院では公成さんの呼びかけで食事会が行われていて、出産を控える家族にとっては出産や子育てについての意見交換の場にもなっている。船越英一郎はその食事会に参加し、矢島助産院で子どもが産まれたという父親らとトークした。矢島床子さんは出産の立会いや子育てを行う父親が増えれば良いと考えていた。

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フィーリング・バース 心と体で感じるお産
フィーリング・バース
府中の森 土屋産婦人科

助産師 矢島床子 (バラエティ/情報)
22:34~

石田ゆかりさんの自宅出産は夜を徹して行われたが、陣痛から数時間が経過しても赤ちゃんが生まれる気配はなかった。陣痛開始から8時間が経過し、矢島床子さんは石田さんを矢島助産院に移送した。赤ちゃんの心拍数は正常範囲を維持していたが、嘱託医に搬送する選択肢も視野に入ってきた。

助産師 矢島床子 (バラエティ/情報)
22:38~

69歳の矢島さんが抱く壮大な夢とは

石田ゆかりさんの陣痛が開始してから11時間が経過し、矢島助産院には家族が立ち会うなか無事に男の子が誕生した。ご主人の裕治さんは涙を流しながら男の子を抱きかかえ、石田さんに連れ添っていた助産師の矢島床子さんは休まずに診察へと向かった。

助産師 矢島床子 (バラエティ/情報)
22:43~

次世代の助産師を育成しようと、東都医療大学では矢島床子さんが分娩介助技法のレクチャーを行った。矢島さんは国分寺バースセンターという出産に必要な施設を東京・国分寺市に充実させるという壮大な夢を抱いていて、既に行政にも働きかけているという。

キーワード
国分寺市(東京)

エンディング (その他)
22:44~

「ソロモン流」の次回予告。

エンディング映像。

エンディングにて、船越英一郎は助産師の矢島床子さんには街の頼れる母親としてこれからも女性たちを支え続けて欲しいとコメント。

キーワード
矢島床子
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