東京ビクトリー〜奇跡が導いた東京五輪1964〜 2018年3月3日放送回

放送日 2018年3月3日(土) 14:00~14:54
放送局 TBS

番組概要

オープニング (その他)
14:00~

1964年 東京オリンピックは大成功に終わったが、成功を支えたのが名もなき男たち。人類初の9秒台を目指した技術者、五輪の歴史を変えようとした男、不屈の闘志でどう乗り越えたのか。そこには壮絶な闘いがあった。

キーワード
1964年 東京オリンピック

東京ビクトリー〜奇跡が導いた東京五輪1964〜 (バラエティ/情報)
14:01~

1964年東京オリンピックは大成功し、のちの五輪のお手本とまで言われた。それは世界中が驚いたある演出があったため。その演出を手掛けたのが松沢一鶴、のちに式典の神様と呼ばれるようになった。

1937年、戦前の水泳 日本代表監督だったのが松沢一鶴。松沢はベルリンオリンピックで11個のメダルを獲得した。その後は五輪を目指す大学生の指導にあたっていた。1940年にも東京五輪が決まっていたが、日中戦争が始まるとスポーツをする余裕を日本はなくしていく。そして東京五輪開催禁止が決定。41年に真珠湾攻撃をキッカケに太平洋戦争に突入。43年政府は大学生を中心とした徴兵を行い、松沢の教え子も戦地へと送られた。冷たい雨の中で行われた学徒出陣。現在の国立競技場に7万人の学生が集められ、壮行会が行われた。そして教え子たちは相次いで戦死していった。そして45年に終戦を迎える。

前後、松沢は日本体育協会監事に就任し、幻となった東京オリンピック開催に尽力することになる。同時に国体の前身である神宮大会の演出を手がけ、高い評価を得る。この時から松沢は式典の神様と呼ばれるようになる。1958年、第3回 アジア競技大会が東京で行われる事になり、松沢は式典部長を任される。ところが松沢は痛恨のミスを犯してしまう。

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日中戦争
真珠湾攻撃
太平洋戦争
学徒出陣
明治神宮 外苑競技場(現国立競技場)
日本体育協会
第3回 アジア競技大会
1964年 東京オリンピック

東京ビクトリー〜奇跡が導いた東京五輪1964〜 (バラエティ/情報)
14:11~

式典の神様と呼ばれた松沢一鶴。1958年、第3回 アジア競技大会が東京で行われる事になり、松沢は式典部長を任される。しかし中華民国の旗を逆さまに掲げるというミスを犯してしまう。松沢は日本体育協会の要職を降りる決意を固める。しかし娘・洋子から、戦死した教え子たちが東京オリンピック開催を待っていると言われ、決意を新たにする。

そして日本体育協会の元に東京オリンピック開催決定の知らせが入る。そこで松沢はユーラシア大陸横断聖火リレーを提案したが、世界情勢などの関係から実現することはなかった。しかし娘・洋子から「全力で戦う選手たちに、記憶に残る思い出を作ってあげてほしい」と言われる。

1964年 10月10日 東京オリンピック開幕。厳粛かつ整然と行われた開会式はのちに世界から賞賛された。しかし一糸乱れぬ行進を目にした松沢の胸には、学徒出陣の光景があった。

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日本体育協会
第3回 アジア競技大会
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学徒出陣

東京ビクトリー〜奇跡が導いた東京五輪1964〜 (バラエティ/情報)
14:22~

式典の神様と言われた松沢一鶴。東京オリンピックの閉会式で驚きの演出を考えていた。それを実現するために必要なのは1人でも多くの選手が閉会式まで残っていること。そこで松沢は選手村の宿泊費などを日本が負担することにした。最も大切にしたのが選手間の交流。禁止されていた選手村の男女の行き来を一部解禁し、交流できるようにした。すると選手村で結婚式を行う選手も登場。さらに北ローデシアがザンビア共和国として独立し、松沢はパーティーを開くなど、選手たちが喜ぶイベントを仕掛けた。ついに閉会式が訪れると、松沢はスタッフに仰天プランへの協力を求めた。

東京オリンピックの閉会式の演出は、のちに東京式と呼ばれるようになる。男子マラソン金メダリストのアベベ・ビキラが入場すると、国、人種、性別の垣根を超え、選手が一団となって入場した。21年前同じ場所で行われた学徒出陣は、松沢にとって悲しみに満ちたものだったが、同じ競技場には歓喜が広がった。そして閉会式からわずか2ヶ月半、松沢は静かに遺棄を引き取った。

東京式の閉会式は、平昌オリンピックなど、その後のオリンピックに踏襲されることとなる。平昌オリンピック閉会式を真剣な眼差しで見守るのが、東京大会の式典責任者の中井元。松沢一鶴が描いた平和の祭典は2020年に再び戻ってくる。

東京オリンピック 陸上男子100め準決勝でボブ・ヘイズが人類初の9秒台を叩き出した。この快挙の裏には、陸上トラックづくりのパイオニア・奥庚子彦の存在があった。

国立競技場は東京オリンピック開催に向けて大規模な回収が決定。そんな中1960年のローマオリンピックでは陸上トラック競技で12の世界記録が誕生し、世界から高評価を得た。奥はまず、ローマオリンピックに出場した選手に聞き取りを行った。東京オリンピックは復興と国力をアピールする舞台。新記録が出なければ日本の恥じとまで言われた。中でも注目されたのが男子100mで、ローマの10秒2を超える事が奥には求められた。そこで奥は陸上日本代表総監督の織田幹雄を訪ね、非情なまでに硬いトラックを求められる。

当時主流だった舗装材はアンツーカと呼ばれる赤土を高温で焼いた人工の土。これまでのアンツーカは表面が崩れ、前進する力が損なわれていたが、硬くする事でスパイクの掛かりがよくなり記録が出やすくなる。奥は最高のトラックを作るために新しいアンツーカの開発を始めた。しかし問題が。本来アンツーカのトラックは水捌けが良いが、硬くすると水を通さなくなる。奥は硬さと水捌けの両立を求めた。トラックは完全に水平にすることは難しいが、わずかな誤差が許された。そのルールを逆手に取り、誤差の範囲内でトラックに傾斜をつけ、水を横に流すことを思いつく。そしてオリンピック用アンツーカ「ネオH」が完成した。

1962年、国立競技場のトラックを決める試験が行われ、ネオHは硬さの基準をクリア。そしてローマオリンピックで走った選手による試験も行われ、東京オリンピックトラックへの採用が決まった。

東京オリンピック9か月前、奥は脳梗塞で倒れ、東京オリンピックを病床で見守ることにいなった。男子100m決勝の前日。東京には大雨が降ってしまう。10月15日男子100m準決勝、アメリカのボブ・ヘイズが9秒9を叩き出した。しかしこの記録は追い風参考記録になってしまう。

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東京ビクトリー〜奇跡が導いた東京五輪1964〜 (バラエティ/情報)
14:50~

陸上トラックづくりのパイオニア 奥庚子彦は、東京オリンピック男子100mで新記録を出すため新たなトラックを開発。しかし東京オリンピックは病床で観ることとなった。男子100m決勝、アメリカのボブ・ヘイズは10秒0のオリンピック記録を叩き出した。元100m記録保持者のジェシー・オーエンスは「どんな人がこれだけのコースを作ったのか。ボブはその人に感謝せねばならない」と述べている。東京オリンピックのトラック競技では36の五輪記録が誕生。奥のトラックの素晴らしさが証明された。その後、奥が残した奥アンツーカーはポリウレタン樹脂の国産化に成功し、2007年には世界陸上のトラックに使用されるなどした。

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エンディング (その他)
14:52~

エンディング映像。

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2020年東京オリンピック
  1. 3月3日 放送