世界!銅像になったニッポン人 【トルコで唯一国葬された日本人】

放送日 2018年2月17日(土) 14:00~14:54
放送局 TBS

番組概要

オープニング (その他)
14:00~

オープニング映像。番組は世界にある日本人銅像を大調査する。

世界!銅像になったニッポン人 (バラエティ/情報)
14:00~

トルコで発見した日本人銅像を紹介。銅像があるのはトルコの首都イスタンブールから5時間の所にあるコズル市。地元の人に話を聞くと「俺達の町の誇り」など誰の口からも感謝の言葉が出ていた。早速銅像へ向かった。銅像は2013年に建立され宮崎淳と名前が刻まれていた。宮崎淳さんの名前は銅像だけではなく「アツシ・ミヤザキ小学校」や「アツシ・ミヤザキ公園」など名前を冠した施設がトルコ中にあった。

その機会は訪れた。トルコでは「トルコ東部地震」が発生。この地震により約5000人が被災し、死者が約600人に及んだ。そして、トルコ派遣に志願し向かった。一番被害の酷かったヴァン市では建物の3割が倒壊し、ライフラインは全滅。物資を奪い合う混乱状態だった。他の国々救護隊を派遣していたが、被害の大きさで苦戦し、整備されていなかった山間部が取り残された状態だった。そんな山間部に真っ先に向かったのが淳さん達だった。トルコの人たちに圧縮されたパンツや靴下を手渡したりし、その笑顔に救われた人も多かった。地元メディアはその姿を連日特集し、トルコで知らぬものはいないものとなった。さらに大きな余震が続く最前線で活動していた。その覚悟について恵子さんは「紛争地帯で働きたい。危ない目に遭うから俺は結婚せん」と淳さんが語っていたと明かした。

宮崎淳さんの銅像が出来るまでの経緯を紹介。銅像が出来る880日前、2011年3月11日に発生した「東日本大震災」。宮崎産はその現場に当時41歳で大分県庁の職員をしていた。そこで見たのは最前線で救護活動をしていたトルコの救援隊だった。異国の地で献身的な活動をなぜ行えるのだろうと思ったという。半年後には県庁を辞めて「難民を助ける会」に所属し、機会があればトルコへ恩返しをしたいと考えていた。そんな淳さんお決断に母親の恵子さんは普通の生活を送ってほしいと思っており、不安を感じていた。

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トルコ
ヴァン市(トルコ)

世界!銅像になったニッポン人 (バラエティ/情報)
14:14~

2011年11月12日、宮崎の遺体は日本へ搬送されたが、その際にトルコ政府が敬意を表し外国人初の国葬を行った。トルコ大統領が哀悼の手紙を読んだ。そして名前を冠した公共施設が誕生し、異国の地トルコで銅像が建立した。トルコの学校の児童が描いた絵が送られてきたり、毎年トルコ中から手紙や贈り物が届く。日本の歌を歌う子どもの映像なども届いた。母親は息子の偉大な行動を初めて知った。今は誇りに思うと話した。

銅像が出来る637日前、宮崎はホテルで活動をまとめていると突然の激しい揺れで、ホテルが全壊、生き埋めになった。実際の映像では地元の消防隊が必死の救助活動を行っていた。13時間後、瓦礫の下から宮崎が発見したが、心肺停止状態で41歳で死亡した。メディアは大々的に報道し被災者たちのヒーローとなった。母親は息子の死を受け入れられなかった。

母親としたら息子に生きていてほしかった気持ちはわかると安藤が話した。DAIGOは日本でもっと知られるべきだと話し、教科書に乗ってもいいくらいだと富澤が話した。

スペインで発見された日本人銅像を紹介。その銅像があるのは首都マドリードから5時間に所にあるコリア・デル・リオ。そこにはサムライの銅像がある。アキラ100%が服を着て散策。街には漢字で書かれたお店や日の丸を飾る所。教会では「君が代」が歌われていた。銅像の人物は支倉常長という人物で伊達政宗に仕えていた仙台藩の家臣である。

そして、ハポンの始まりは慶長遣欧史節団の一員だったとファンフランさんは話す。「禁教令」が発布され迫害を恐れた史節団8人がスペインに踏みとどまったこの事実がバレると部下の家族が被害に遭ってしまう。そこで支倉常長は亡くなるまでその事実をヒミツにしていた。そして、残った8人はスペイン人と結婚。日本人の名前は覚えにくいという事で「ハポン」という名字に統一した。そして、現在「ハポン」という名字を持つ人は日本人を祖先に持つ人という事が判明した。

VTRを振り返りトーク。本当に日本人の血が流れているとは思っていなかったと話す。また、DAIGOは祖父である竹下登元首相の銅像があると話した。

続いては未来の銅像候補を紹介。スペインの首都マドリードから2時間、世界遺産の街・サラマンカの中心部にある「サラマンカ大聖堂」では、16世紀に作られたオルガンが「天使の歌声」といわれ、年間80万人の観光客が訪れる。この国宝級のパイプオルガンの音色を復活させたのがある日本人で、200年以上直せなかったものを修復したという。

銅像が出来た経緯を紹介。銅像が出来る400年前。支倉常長は藩主である伊達政宗から慶長遣欧史節としてスペイン国王・フェリペ3世に謁見。スペインと国交の礎を築いた。しかし、使節団がスペインに来た時に家康が「禁教令」でキリスト教に関わった者は重罪になるというものだった。交渉を中断し、処分を免れるため急遽帰国した。そして、銅像ができる30年前にハポン・ファンフランのおじであるカルバハルさんが自身の名字である「ハポン」に疑問をいだいた。そして、カルバハルさんは400年前に書かれた村人の洗礼台帳を入手。読んでいくと祖先が日本人だと判明した。その洗礼大帳がテレビ初公開された。名字は「Japon」と書かれており、スペイン語で日本の意味で「ハポン」と発音する。

サラマンカ大聖堂の世界最古のパイプオルガンを修復したのは、オルガン技師の辻宏さん。1976年にパイプオルガンが修復可能であることを見出し、修復を名乗り出たが日本人であることを理由に断られ続けた。12年後の1988年に許可が降りたが、ある理不尽な条件がつき、別の人物に支援を仰いだという。

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世界!銅像になったニッポン人 (バラエティ/情報)
14:42~

スペインで14年の歳月をかけ天使の歌声の修復にこぎつけた。修復費用は自腹という理不尽な条件が突きつけられていた。修理費用は当時の額で3000万円という大金だった。支援を断られ続けたが辻は諦めなかった。しかし、皇后・美智子様が真摯な活動に賛同し資金援助活動を後押ししてくれた。その助けにより資金3000万円が集まった。1989年6月、修復を開始した。200年眠ったオルガンの修復は一筋縄ではいかなかった。故障原因を見つけようとしたが、あまりに複雑で故障原因を特定することさえ困難だった。辻はオルガンを分解することに決めた。まずは200年間分のホコリをひたすら取り除いた。次に数千個に丁寧に分解し、それぞれ修復していった。部品を新しいものに変えず当時の物を修復していった。修復に8ヵ月かかった。1990年3月25日全国中継された。

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世界!銅像になったニッポン人 (バラエティ/情報)
14:49~

1990年3月25日、スペインで全国中継され、天使の歌声を取り戻した。辻さんの情熱が起こした奇跡だった。修復から15年後、辻宏永眠。今世界最古のパイプオルガンは「日本人のオルガン」と呼ばれている。

日本人の本当の良さを見たと安藤が言った。技術もすごいがネジに至るまでそのままの物を使おうとすることが日本人にしかない考え方だと河北は話した。DAIGOはKSKでこれは知らなかったで締めた。

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