1番だけが知っている 日本にスーパー医師が!頭蓋骨に穴…楽器を演奏させたまま手術

『1番だけが知っている』(1ばんだけがしっている)は、TBSテレビで2018年10月15日より毎週月曜22時(JST)から放送されるバラエティ番組である。2017年より不定期で放送され好評を得た事からレギュラー化が決まった。なお、レギュラー開始当初は23時7分までの放送であったが、2019年5月改編で『NEWS23』(月 - 木曜日版)の10分前拡大(23時 - 23時56分に変更)により、正時スタートに復すことから、2019年4月29日からの終了時刻は22時57分に繰り上げとなる。

出典:goo Wikipedia

放送日 2019年2月25日(月) 22:00~23:07
放送局 TBS

番組概要

1番だけが知っている (バラエティ/情報)
22:00~

脳科学者の中野信子が最近とんでもない手術を見たという。その手術の映像が公開された。英祖は頭蓋骨に穴を開けた患者が楽器を弾いていた。他の映像では医者と会話をしているなどの様子があった。手術を受けていたのは「局所性ジストニア」という病気に罹った人たち。「局所性ジストニア」はその道を極めた人のみが突然発症するもので例えばピアノを極めた人が日常生活では何も問題がないのに、ある日突然思うように手が動かなくなるという。多くの人は心の病と判断しその道を諦めてしまう人が多かったが、実は脳の病と判明。この病気を唯一治せるのが東京女子医科大学の平孝臣先生のみだという。「局所性ジストニア」は何度も同じことを繰り返したことにより脳が司令異常を起こしてしまう。

実際に「局所性ジストニア」の手術を受けたGENさんは13年前にプロミュージシャンとして活動していたが右手が動かなくなってしまい、音楽活動を休止することになった。最初かかった医者には心の病と診断されるもGENさんは違うと思い、ネットで検索し平先生に至った。手術は頭皮にだけ麻酔をかけ手術を行う。脳や神経には痛みを感じる感覚がないという。手術をしている間はGENさんは目を覚ました状態で行った。手術は1円玉より小さい穴を開け、「視床」に針を入れ電流を流し問題の箇所を探す。しかし、その問題の箇所を探すのは200箇所の中から1つを探し出すため、手術をしながら演奏ができるかなど確かめながら行う。手術を無事に終えたGENさんはその後音楽活動を再開させた。

世界で唯一「局所性ジストニア」の手術ができる平先生であるが、最初はこの手術をためらったという。誰も経験したことがなく本当に効くのか不安に思っていたという。しかし、ある患者の言葉が背中を押してくれた。2001年に九州からやってきた琴の奏者に平先生は手術のリスクを包み隠さず話した。琴の奏者は「琴が弾けない人生は死んだも同じ、チャレンジさせてください」と話した。熱意に押されて行った手術は成功しその後も数多くのミュージシャンらを救ってきた。

VTRを振り返りトーク。坂上さんは手術についてスゴいなどの感想を述べて、「局所性ジストニア」も役者にとっても他人事ではないと語る。中村七之助さんも稽古しつくしてもらうと言葉が出なくなってしまうと話し、北村弁護士もプロゴルファーでもツアーを諦めた人は沢山にて中には「局所性ジストニア」の人がいたかもしれないなど話す。

続いての一番さんは海洋冒険家の白石康次郎さん。白石さんはヨットで風だけを頼りに世界中の海を渡り、すでに世界を5周していてその方法は超無謀な挑戦とされる単独無寄港による世界一周である。そのため行っている間、ヨットの点検や修復など全てひとりで行うため24時間気が休まることはない。そんな白石さんが語る海でも最も恐ろしい魔物が存在する。その魔物はレーダーに映らず急に海に現れるなどとされ南氷洋にいて、白石さんも遭遇している。その正体は「氷山」だった。

「氷山」の危険性について説明。1つ目は「巨大な氷山がヤバい」というもの大陸から外れた氷が流れてくるもので、その大きさについて白石さんはで南氷洋の氷山は神奈川県くらいと説明。神奈川県くらいの氷山が徐々に小さく分かれていく。そのため氷にぶつかったら船が壊れる。さらに外れる前の氷の塊に近づくのも危険である。ある映像では氷が崩落すると大波が船を襲ったり、砕けた氷が銃弾のように襲ってきた。白石さんは地球温暖化の影響で崩落の危険度はましたと話す。

2つ目のポイントは「小さな氷山がヤバい」。小さな氷山でも下8mくらい沈んでいる事がある。コップに氷を入れた場合でも水上に見えている部分は極僅かでその大半は水中にある。高さ1mくらいの氷山はレーダーにも映らず、波によって目視もし辛い。氷山により映画にもなった「タイタニック号沈没」や2007年に南氷洋で巨大客船が沈没するなど何隻も海の底へ沈んでいる。そして、3つ目のポイントは「姿なき氷山がヤバい」という。その氷山により、白石さんのヨットも何杯沈んでいて、こればかりは運であると話す。

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タイタニック
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1番だけが知っている (バラエティ/情報)
22:25~

海洋冒険家の白石康次郎さんが「氷山」の危険性について語る。3つ目のポイントは「姿なき氷山がヤバい」という。その氷山により、白石さんのヨットも何杯沈んでいて、こればかりは運であると話す。その映像が公開された。姿なき氷山は海中で割れた氷山が突如出現する自然現象で避けようがなく、船が転覆する危険性がある。白石さんは「何が起こるかわからない」のが想定内でいつ死んでもおかしくなく、白石さんはいつも「これで最後かもしれない」と言って行くという。そんな白石さんが旅を続ける理由について「僕でしか観られない絶景が観られる」と話す。

続いてのテーマは「スポーツ史上1番感動的な引退試合」。教えてくれるのは武井壮。武井壮はこれまでカール・ルイスの奇跡の世界新記録合戦や高卒ルーキーの初登板、ノーヒットノーランなど数多くのスポーツの逸話を教えてくれた。そんな武井壮が最も感動的な引退試合のアスリートとして名を挙げたのは「オグリキャップ」。「オグリキャップ」は平成の始まりに競馬界に現れ地方レースから競馬界の頂点に立った競走馬である。そんな「オグリキャップ」の引退試合は競馬界の最高峰とされる「有馬記念」。当時、最後の勇姿を見ようと競馬ファンのみならず女性や家族連れが会場に押し寄せ、その数18万人まで集まった。武井によるとリオ五輪でも最大7から8万人くらいでそれより+10万人と説明。

このあと、日本中が感動したスポーツ史上に残る奇跡の引退試合とは?

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リオデジャネイロ五輪
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1番だけが知っている (バラエティ/情報)
22:35~

武井壮がスポーツ史上最も感動したとされるオグリキャップの引退試合。日本中が熱狂した理由にはオグリキャップのエリートではない引退までの歩みにあった。オグリキャップは北海道・日高で生まれた。しかし生まれた時は身体が弱く、立つことすら出来ない状態だった。さらに競走馬として重要視されるのが血統で、高い馬は1億円を超える。しかし、オグリキャップの販売価格は500万円だった。その一方でオグリキャップの性格について牧場主は付きっきりで面倒を見ていてその時の事を覚えていてくれて人間を信頼し従順に走り続けたかもしれないと述べている。その後健康に育ったオグリキャップは「笠松競馬場」でデビュー。

日本の競馬界は中央競馬と地方競馬の2種類が存在し、中央競馬はトップサラブレッドが集まり競走馬として英才教育を受ける。地方競馬は中央よりレースのレベルが下がり、地方自治体が小規模運営している状態で、オグリキャップも地方競馬でデビューし当時、期待もされていなかったが8連勝をするなど地方競馬場で12戦10勝の快進撃をみせ、地方の星と話題になった。するとオグリキャップに中央競馬への移籍の話が持ち上がった。当時、中央競馬の馬が地方競馬へ移籍することはあってもその逆は前例がない状態だった。そこでの評価は血統のある馬には勝てないとされていたが昭和63年に開催された「ペガサスステークス」でぶっちぎりのレースをみせ破竹の勢いでエリート相手に6連勝を達成。

勝利を重ねた理由について「オグリキャップ」に乗ってきたジョッキー達は「オグリキャップ」について口をそろえていう真面目な性格にあった。オグリキャップはどんなレースでも一生懸命で絶対に手を抜かないなど話す。そんなオグリキャップが競馬界の頂点へ駆け上がったレースが昭和63年の「有馬記念」。当時頂点に君臨していたのは「タマモクロス」で「オグリキャップ」が唯一2連敗した相手だった。レースは「タマモクロス」が最後尾でチャンスを伺っておりオグリは集団の真ん中辺りにいた。そしてタマモクロスが加速するとオグリも加速し、タマモクロスに勝利した。その経歴や活躍から女性などの人気も高く、ぬいぐるみの売上は60億円以上となった。デビューから3年を迎える頃には28戦21勝を達成していた。

しかしオグリキャップが6才になった頃、勢いに陰りが出てきた。その理由は後脚関節部の故障にあった。通常競走馬は1ヶ月に1レースのペースに行うのに対してオグリは3ヵ月に6レースと過酷なスケジュールとなっており、脚の不調が悪化してしまった。異変に気づいたスタッフがオグリの休養をとり5ヶ月間リハビリ生活を送った。その後レースに復帰するもデビュー以来初の6着と勢いは落ちた。オーナー達はオグリの引退を決意し、引退レースに選ばれたのが「有馬記念」だった。その騎手を勤めたのは当時21歳の武豊騎手。武豊騎手は当時史上最速400勝を達成していた。当時の報道では「オグリはもう限界」など誰も勝利を期待していなかった。

平成2年12月23日「オグリキャップ」の引退試合となった有馬記念。会場には18万人が集まった。しかし、勝利は誰も期待をしていない状態で場上に出たときも歩き方に少し違和感を感じる歩き方だった。オグリはダメだと思っていた空気のなか武豊騎手はオグリキャップに語りかけ、それにオグリキャップは返事をしたという。そしてレース本番となった。

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オグリキャップ
有馬記念
日高(北海道)
岐阜県
ペガサスステークス
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天皇賞(秋)

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22:51~

「この差って何ですか?」「教えてもらう前と後」「マツコの知らない世界」「火曜ドラマ 初めて恋をした日に読む話」の番組宣伝。

1番だけが知っている (バラエティ/情報)
22:53~

オグリキャップは有馬記念に出場。中々前に出られなかったが、武豊は残り800mくらいからいい感じになって自分からペースを上げていったと話す。そしてレース終盤逆転を起こし、オグリキャップは優勝。武豊はあんな光景はあのときだけ。みんなオグリキャップを見に来て自分だけ背中の上に乗れているので幸せだと思ったと話す。そして4年間の競技人生に幕を上げたオグリキャップは故郷・北海道で余生を過ごした。

坂上忍はオグリキャップにストーリーがあって雑草魂があるとした。

中村勘三郎が魂震えた瞬間とは!?

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オグリキャップ
有馬記念

1番だけが知っている (バラエティ/情報)
23:04~

中村七之助は震えた話としてニューヨークに平成中村座が建ったときとした。2004年平成中村座がニューヨークに進出。歌舞伎の魅力を知ってもらうため様々な挑戦を続けた中村勘三郎悲願の海外進出。チケットは完売、ニューヨークに本物の歌舞伎を伝えた。中村七之助はあのときの父の横顔は未だに忘れない。若いときからの夢が叶ったときが一番震えたとした。

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森昌子(祝)還暦コンサート~爆笑!コントで綴る昭和歌謡パート3~

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