中居正広のキンスマスペシャル 古舘伊知郎 亡き姉のために、喋ることをやめない

放送日 2016年10月28日(金) 19:56~21:57
放送局 TBS

番組概要

オープニング (その他)
19:56~

オープニングと本日のダイジェスト映像。今夜はアナウンサー古舘伊知郎について迫る。アナウンサーになるきっかけとなった姉・恵美子さんの存在とは…。

スタジオに古舘伊知郎が登場。中居正広とは14年ぶりの共演、「おしゃれカンケイ」に中居がゲストで出演したのが最後だったと紹介。

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古舘伊知郎
古舘恵美子さん
おしゃれカンケイ

古舘伊知郎 亡き姉のために、喋ることをやめない (バラエティ/情報)
20:04~

古舘伊知郎の始まりは現テレビ朝日のアナウンサー。後輩・安住紳一郎アナは古舘のアナウンス力について「私達の世代で古舘伊知郎の影響を受けていないアナウンサーは皆無」と語っている。古舘節と言われる実況を得意とし、「筋肉番付」を始めとするスポーツバラエティで名実況を残した。90年に放送された「ギミア・ぶれいく」では実況の面白さをバラエティに持ち込み、当時のアナウンス界に大きな衝撃を与えた。

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テレビ朝日
安住アナ
筋肉番付
ギミア・ぶれいく

古舘伊知郎 亡き姉のために、喋ることをやめない (バラエティ/情報)
20:11~

90年に放送された「ギミア・ぶれいく」では実況の面白さをバラエティに持ち込み、当時のアナウンス界に大きな衝撃を与えた。古舘が行ったのは普通の商店街を実況だけで面白くするという名人芸、ただの回転寿司店やただのオムレツ作りも彼の腕にかかればお茶の間を爆笑の渦に包んだ。99年の世界陸上 女子マラソンでは初のマラソン実況だったが、選手やコースを周到に調べ素晴らしい実況を繰り広げた。

古舘伊知郎が過去の実況についてトーク。「回転寿司で行ったようなユーモア実況の原点は徳光和夫さんです。真面目にふざけたことを言うのが基本」と話した。そんな古舘に一目置いている後輩アナウンサーを伺う。

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世界陸上
徳光和夫さん
安住紳一郎
羽鳥慎一
宮根誠司
桝太一

古舘伊知郎 亡き姉のために、喋ることをやめない (バラエティ/情報)
20:20~

古舘伊知郎が一目置いている後輩アナウンサーについてトーク。それは安住紳一郎アナ、自分に出来ないところを多く見せてくれるという。「ぴったんこカン・カン」では人気番組にも関わらず冒頭でゆっくりしゃべり視聴者を焦らす、これは古舘自身にも出来ない調整だという。また、みのもんたの2世として名前を挙げたのは宮根誠司、あざとさは誰にも真似出来ないとした。

テレビ放送が開始されたばかりの昭和29年、街頭テレビでは力道山・木村政彦の一戦が放送。これをみて興奮したのが古舘伊知郎の父・順太郎さん。世紀の一線から十月十日後の1954年12月7日に古舘が誕生した。母・安也子さんと姉・恵美子さんは非常に喋りが達者、古舘はしゃべる隙きさえ与えられず無口な少年だった。古舘は小学生になっても人前で喋ることが苦手、朗読の時間は寝たふりをしていた。当時は少し太っている事が健康優良児、唯一姉を越えられる事として食べて食べまくった。

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古舘伊知郎 亡き姉のために、喋ることをやめない (バラエティ/情報)
20:31~

古舘は小学生の頃、健康優良児を目指して食べまくった結果”無口のデブ”になってしまった。いつになっても越えられない優秀な姉へのコンプレックスから出会ったのがプロレスだった。200名以上のプロレスラーを丸暗記、そこに立ちはだかったのが母・安也子さんで外国の男優・女優の名前を全部暗記していた。こうして始まったのが、どちらかが言えなくなるまで続ける映画俳優vsプロエスラ-の記憶勝負、この対決が喋ることへの目覚めだった。

中学に上がった古舘はアナウンサーの”みのもんた”に憧れるようになっていた。彼のように喋れるようになりたいと、みのの母校 立教高校を目指し猛勉強、合格を果たした。ある時、みのと会える機会があり「君なら絶対にアナウンサーになれる」と適当にあしらわれた言葉をかけられたが、古舘にとっては人生を左右する一言だった。1973年に立教大学に進学、1976年に日本教育テレビ(現 テレビ朝日)のアナウンサーに内定した。古舘が通っていたの他局の文化放送、みのもんたのカバン持ちをして技を盗んでいった。

入社から半年が経過した1977年 初夏、新人アナウンサーの古舘はプロレスラーの実況に大抜擢された。迎えた放送日、テレビから流れる自分の声を聞いた古舘、当時の感動は今でも忘れないという。29歳という若さでテレビ朝日を退社、フリーアナウンサーに転身した。

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順太郎
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恵美子
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セイ!ヤング
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立教大学
東京アナウンスアカデミー
テレビ朝日

古舘伊知郎 亡き姉のために、喋ることをやめない (バラエティ/情報)
20:45~

29歳でテレビ朝日を退社しフリーアナウンサーとなった古舘伊知郎。偶然にも局アナ時代に世話になった先輩とすれ違うと「お前、絶対に3ヶ月で潰れるからな」と言われた。厳しい一言だったが古舘の糧となり、詳しさをバネに必死に仕事を掴んだ。「夜のヒットスタジオ」や「クイズ悪魔のささやき」などに出演、「しあわせ家族計画」は国民的人気番組となった。3か月持たないどころか司会者として活躍の場を広げていった。1994年には「NHK紅白歌合戦」の司会に抜擢、局出身アナウンサーとしては初の快挙だった。

古舘伊知郎が過去の仕事についてトーク。古舘によると曲紹介やプロレス実況は同じで、違うのはスピードだけなのだという。

古舘伊知郎がテレビ司会者として活躍していた1986年、姉・恵美子さんが胃がんに侵された。幼いころから古舘が憧れ続け、アナウンサーという道へ導いてくれた最愛の人。恵美子さんは学習院大学に入ると放送研究会に所属、古舘家の誇りで将来を期待されていたのは古舘ではなく恵美子さんだった。恵美子さんは息子が小学生になった頃から胃の調子が悪くなり通院、がんだと発覚したのは進行がんと末期がんの中間時期だった。5時間に及ぶ大手術で胃を摘出、恵美子さんは自分ががんだとは知らず、術後は夢だったが1度諦めたアナウンサーを再び目指し始めた。

恵美子さんが通っていたのはかつて古舘が学んだアナウンス学校。たとえ仕事にはならなくとも、人前で喋りたいとの思いからだった。ところが手術から3年後の平成元年11月、卵巣にがんの転移が判明、既に全身にも転移していた。抗がん剤治療により髪が抜けるようになっても古舘は高級なカツラを買ってプレゼントした。最後までがんだとは告げなかったが、恵美子さんは自分ではわかっていたという。

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38億年スペシャル 人間とは何だ
NHK紅白歌合戦
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学習院大学
胃がん

古舘伊知郎 亡き姉のために、喋ることをやめない (バラエティ/情報)
21:10~

姉・恵美子さんが死にゆくなか、普段は寡黙だった父・順太郎さんは「恵美子、お前は死ぬよ。でも、お父さんもとにかく早めに行くから安心して待ってて」と伝えた。この事こそが古舘が忘れず、喋り続ける理由だった。この事を言えた順太郎さんは古舘の前で喜んでおり、この姿をみた古舘はたまらなくなり順太郎さんを攻めたという。今ではその出来事を感謝しており、古舘は「化学療法での延命は身内のエゴだと思う。父のように覚悟を決めて言えていない」とコメントした。更に順太郎さんは恵美子さんの子どもにも死を伝える役目も担っていた。この事を古舘は知らず、後に姪っ子から聞いたのだという。

1990年6月、恵美子さんに残された時間は僅かだった。そんな時に古舘に入ったのがアメリカで行われるF1中継、どうしても外せない仕事だった。渡米前日、恵美子さんは話す体力すら残っておらず、古舘はアメリカに行ってる間に死ぬと分かっていても「また来るよ」と告げた。

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古舘伊知郎 亡き姉のために、喋ることをやめない (バラエティ/情報)
21:21~

余命少ない姉を残し、F1中継のためアメリカに飛んだ古舘。知らせが入ったのは予選の取材を終えホテルに戻ったときで、恵美子さんが亡くなった事を告げられた。その日は夜通し泣き、次の日の実況中継ではプロとして叫び続ける中に「姉弟愛は永遠です」と天国の姉へ最期のメッセージを入れた。そんな姉について古舘は書籍「えみちゃんの自転車 最愛の姉をガンが奪って」の中で「私が死んだ時ののど仏は完全にすり減っているかもしれないというのが理想だ。そうじゃなきゃ、夢を達成できずに死んだ姉にも失礼なのだ。」と姉の分まで喋る事を誓った。

古舘伊知郎は恵美子さんについて「喜んでくれているか、一緒に生きているという感じもある」と話し、生前の恵美子さんが楽になるような事をもっと言えなかったのかと未だに思い続けている事を明かした。また、自分の近しい人の死が本当の死、報道で伝えている死と如何に近づけられるかが今後の課題だとした。

姉・恵美子さんの葬儀から1週間後、元フジテレビアナの逸見政孝氏から手紙が届いた。同じ局アナ出身の逸見氏はレギュラー5本を抱える人気司会者、特別親しい訳ではなかったが恵美子さんの訃報に一筆書いてくれたのだった。実は逸見氏も実の弟をスキルス型の胃がんで亡くしていたのだった。逸見氏は大豪邸を建てると古舘を招き入れると、日本を代表するアナウンサー同士という事もあり家中で実況合戦をしていた。2階の和室に通された時、逸見氏はがんであることを明かした。

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古舘伊知郎 亡き姉のために、喋ることをやめない (バラエティ/情報)
21:35~

1993年、逸見政孝氏が建てた豪邸の新築祝いに訪れた古舘。そこで聞かされたのは逸見氏が”胃がん”という事実、これは家族以外には話していない事だった。逸見氏は「必ず直して帰ってくる」と告げたが、この時も古舘は何も言えず泣くことしかできなかった。そして1993年9月6日、記者会見でがんであることを公表。3キロもの内蔵を摘出するという大手術をうけた。11月下旬、古舘は逸見氏の病室を訪れたが、またしても何の言葉のかけられなかった。

わずか1ヶ月後の1993年12月25日、逸見氏は48歳という若さでこの世を去った。死の直前、病床で逸見氏は古舘に最期の言葉を伝えていた。

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古舘伊知郎 亡き姉のために、喋ることをやめない (バラエティ/情報)
21:42~

病床の逸見政孝氏が同じアナウンサーである古舘伊知郎に伝えていたこと。それは”がん”の会見のことで、「自分のアナウンス生活 何十年の中で、一番の仕事だったと思う」と告げていた。逸見氏は最後の最後までプロのアナウンサーとして自分の言葉で伝えた。古舘は大切な人との別れの度に言葉を失い、人を救える言葉とは何なのか、その言葉は未だ見つかっていない。

古舘伊知郎はスキルス型の”胃がん”について、今の医療なら早期発見であれば不治の病ではなくなりつつある。決してスキルス型が助からないわけではないと伝えた。また、喋る仕事を行っている以上、同じような境遇の人に声をかけるのが自分の考えだとした。

このあと、魂の5分16秒。

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古舘伊知郎 亡き姉のために、喋ることをやめない (バラエティ/情報)
21:50~

古舘伊知郎が5分16秒に渡りトーキングブルースを披露した。

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エンディング (その他)
21:55~

古舘伊知郎が「僕みたいな癖のある司会者は疎まれるところもある。中居くんのように老若男女が認めてくれる。軽みがとても受け入れやすい」と話しエンディング。

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