独占!長嶋茂雄の真実 〜父と娘の40年物語〜

独占!長嶋茂雄の真実〜父と娘の40年物語〜(どくせんながしましげおのしんじつ ちちとむすめのよんじゅうねんものがたり)は、2015年1月3日にTBS系列にて放送された特別番組(スポーツトーク番組・ドキュメンタリー教養番組)である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2015年1月3日(土) 21:00~23:30
放送局 TBS

番組概要

独占!長嶋茂雄の真実 ~父と娘の40年物語~ (バラエティ/情報)
21:00~

2014年7月、長嶋茂雄はいつものように1周1.3キロのコースでリハビリに励んでいた。10年前に脳梗塞で倒れ、右半身マヒに陥ったが、懸命のリハビリで歩行できるまでに回復した。

この日は続いて長嶋は、事務所のスタッフでもある娘・三奈と1週間の打ち合わせした。長嶋へのオファーは引きも切らず、脳梗塞の後遺障害では会話も苦痛を伴うが、それでも長嶋は様々なイベントに積極的に参加している。リハビリを担当してきた初台リハビリテーション病院の石川理事長は、入院当初は喋っても日本語になっていない状態だったのが今は良くなった、あれだけ社会に出ていろんな方に触れ合うことがトレーニングになっていると話した。

言葉の訓練だけでなく体を動かすことも欠かさず、病院でのリハビリは週4日行う。脳梗塞の後遺症を持つ患者の多くは自力歩行ができるようになるとリハビリを終了するのが一般的だが、長嶋はリハビリを続けた。長嶋は「最後に走ることが目標、最後に勝つと思ってないとできない」と話した。

キーワード
脳梗塞

オープニング (その他)
21:11~

阿川佐和子がMCとなり、長嶋茂雄と娘・三奈がスタジオに登場した。長嶋は2人の共演は初めてだが少し照れがある、病気を患って10年というのは早いが嫌になったということはないと話した。

終戦のとき9歳だった少年・長嶋茂雄は、戦後最大のヒーローとして日本復興の象徴となった… 現役引退から40年の節目を迎え、カメラが長嶋の日常に完全密着… さらに父と娘が初めて語り尽くす… さらに長嶋と松井秀喜の「聖域」にカメラが潜入…

独占!長嶋茂雄の真実 ~父と娘の40年物語~ (バラエティ/情報)
21:18~

永久保存版 長嶋茂雄の秘蔵映像… 驚異のトレーニングに独占密着… 師弟の「聖域」をテレビ初公開!

長嶋茂雄の姿は日本人の記憶に強烈に刻まれており、戦後最大の日をプロ野球の枠を超えた日本人の希望であり太陽だった。波乱の人生をふりかえる。22歳の長嶋は下宿先で黙々とサインを書いている。高度経済成長が始まっていたの当時、プロ野球より大学野球の方が人気が高く、そこで活躍した長嶋は注目されていた。インタビューを受けた長嶋は、プロになるとチームのためでもあるが自分のためにやるようになり、学生時代の野球とは変わってくると答えた。

長嶋のプロ入りで後楽園球場の株価上昇やスポーツ紙の売り上げを10倍にするなど、経済をも動かした。巨人戦の観客動員数は年間で10万人増加した。長嶋はプロ1年でホームラン王と打点王の2冠を獲得し、大舞台になるほど活躍する長嶋に国民は熱狂した。天覧試合でサヨナラホームラン。

プライベートで石原裕次郎と親交があり、石原は応援歌まで出している。

映像を見た長嶋は、若いねとコメントした。長嶋入団当時のプロ野球は、六大学野球よりが人気がなかったが長嶋が入ったあたりから人気になってきたという。当時の長嶋は観客へのパフォーマンスのことを考えていたと話した。

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高度経済成長
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男の友情 背番号3
石原裕次郎
立教大学

独占!長嶋茂雄の真実 ~父と娘の40年物語~ (バラエティ/情報)
21:29~

スーパースターへの階段を駆け上がった長嶋茂雄は、28歳のとき亜希子さんと結婚。当時のニュース映像も残っており、結婚式を行った教会には多くのファンが詰めかけていた。仲睦まじい夫妻の姿は時に報道され、当時の日本人の理想となった。4人の子どもに恵まれたが、二女・三奈は父が野球選手ということを知らなかったという。それでも家族で外食に出かけたときは父が世間では特別な存在であることに気付いたという。

カラーテレビ時代に入ると長嶋人気はさらに加速、巨人戦の観客動員数は年間250万人を突破し、“ミスター”の愛称も浸透した。ファン感謝デーにはアグネス・チャンと会話をする場面もあったが、実力も桁外れで、入団以来タイトルや賞を取り続けた。1974年現役を引退、伝説のスピーチを行った…。

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亜希子夫人
巨人
アグネス・チャン

独占!長嶋茂雄の真実 ~父と娘の40年物語~ (バラエティ/情報)
21:38~

長嶋茂雄は日本中の期待に応え、巨人の顔としてドキュメント映画「闘魂こめて 読売巨人軍」にも出演した。そして1973年、巨人はV9を達成したが、翌年自らの衰えに抗えなくなった長嶋はV10を逃した日に引退を表明した。引退セレモニー当日の朝、長嶋は子どもたちを集め「野球選手を辞める」と伝え、二女・三奈はただならぬ空気を感じたという。

10月14日の引退セレモニーの伝説のスピーチを一挙。

1974年10月14日、長嶋茂雄の引退セレモニーのスピーチのニュース映像を紹介。「自らの体力の限界を知るにいたり引退を決意した」「私は今日引退を引退をいたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です」などと話した。

現役引退について長嶋茂雄は、スピーチは自分で考えた、あと2、3年は現役で出来たかもしれないが男として綺麗に辞めようと若い時から思っていたと話した。父の引退当時6歳だった娘・三奈は、父が野球選手だという意識はほとんどなかった、当日は父から引退を説明されたがいつもと違うというのが印象に残っていると話した。

巨人の監督に就任した長嶋…待ち受けていたのは屈辱の日々…

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巨人
闘魂こめて 読売巨人軍
高田繁
堀内恒夫

独占!長嶋茂雄の真実 ~父と娘の40年物語~ (バラエティ/情報)
21:51~

長嶋が鬼となった伊東キャンプのエピソード… さらに野球界と決別したあの頃の真実

この地獄の伊東キャンプから後に巨人を支える選手が何人も育った。ピッチャーでは江川卓などが先発の柱に成長、野手では中畑清など多くの選手がチームの屋台骨を支える選手へと育った。(藤城和明などの映像)。1990年代彼らのいない巨人は考えられなかった。その礎を気づいたのは長嶋茂雄の改革だった。伝説の伊藤キャンプから35年、教え子たちが集まった。角盈男などが集まった。それぞれ現役引退から20年以上経つが、指導者や解説者として野球に携わっている。集まった中畑清などはそれぞれ現在の自分を話した。そして話題は長嶋が鬼になった伝説のキャンプのことへ。

現役引退から一ヶ月後巨人の監督に就任したが、監督1年目の巨人は2連敗し、その後も負け試合が続き、球団史上初のリーグ最下位となった。その鬱憤は監督室で大声を出して発散しており、家では一切怒りを表さなかったという。

投打の軸となる選手を補強し、2・3年目はリーグ優勝を果たしたが、日本シリーズでは2年連続敗退した。その後V9選手の衰えによりリーグ優勝から遠のいた。V9選手からの世代交代のため若手選手を起用し、失敗が続いても使い続けた。昭和54年に秋季キャンプを敢行し、のちの地獄の伊藤キャンプとなった。

若手18人に猛特訓をさせるために伊藤キャンプを初め、その18人は80年の巨人軍の伝統を培っているという。

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野球は人生そのものだ
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中畑清
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淡口憲治
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独占!長嶋茂雄の真実 ~父と娘の40年物語~ (バラエティ/情報)
22:02~

長嶋茂雄の巨人軍第一次監督時代の教え子たちが集まり、話は“地獄の伊東キャンプ”へ。中畑清は、あのとき初めて監督・長嶋茂雄が降りてきてくれたと話すと、角盈男は当時中畑は監督のことめちゃくちゃ言っていたと明かした。長嶋は、各選手・コーチがみんな真剣に取り組んだのが伊東キャンプだったと話した。キャンプ直前に腰を痛め参加できなかった定岡正二は、やった選手たちの顔つきが変わってびっくりしたと話した。

だが1980年、選手たちは力を出せず、特に接戦をものにできなかった。シーズン終盤になると監督解任が報道されるようになった。優勝可能性が消滅した日に長嶋茂雄は球団に辞任を申し出た。手塩にかけた選手が芽を出す前の辞任だった。

長嶋茂雄の第一次監督の辞任について三奈は、ちょっとずつ文字が読めるようになった頃だが新聞で「解任」の文字を見ると可哀想だと感じていた、それでも家に帰ってきたらといつも通りのお父さんだったと話した。長嶋は、世間の見方が変わってきたがそれがプロ野球の本質だ、辞任後は文化系の道を走っていこうと考えていたと話した。父がレポーターなどをしていた頃について三奈は、その頃の父は恥ずかしくて見たくなかったと話した。

激動の野球人生を一旦終えた長嶋茂雄は、真っ先に長年支えてくれた妻との旅行に出かけた。しかし抜群の知名度・人気を誇る長嶋をメディアは放っておかず、指導者会議で講演したり、ビートたけしと番組で共演した。娘・三奈にとってはそんな父はただ恥ずかしい存在だったというが、次第にテレビで活動の幅を広げ、世界陸上のリポーターも務めた。

一方、三奈は大学を卒業しテレビ局に就職、仕事としてスポーツに関わる中で父の実績を知り、父のことが好きになったという。そんなある日仕事で悩んでいたとき「サラリーマンだってお金をもらっているということはプロだ」とアドバイスされたという。

1992年、巨人は長嶋へ監督就任を要請、夫人は体を心配したが長嶋は「僕を支えてくれたファンが長嶋茂雄を待っている」と説得した。

1993年から長嶋茂雄の巨人第二次政権がスタート。キャンプでは全国からファンが押し寄せ、長嶋の復帰が社会的現象を引き起こした。開幕後も現役時代そのままの“燃える男”の姿をみせた。

12年間の“浪人時代”について長嶋茂雄は、世界が全く野球と違い面白いことは面白いが、野球の魅力をさらに強く感じたと話した。その頃テレビ局のスポーツ局に就職した三奈は、仕事の中で野球選手としての父を知った、父が監督になってからは父が帰宅してくると毎日ハグをしてきていたと話した。

巨人軍の第二次政権をスタートさせた長嶋茂雄は、“松井秀喜の1000日計画”、スター選手の獲得、勝ったほうが優勝という1994年の“10.8決戦”など様々な話題を提供した。10.8の試合後、娘・三奈は長嶋からまるでファンのように報告を受けたといい、宿泊先のホテルでは一緒のベッドで寝たという。その後も「メークドラマ」が流行語となり、2000年のON対決など球界を盛り上げ、オフにはテレビ番組にも出演した。2001年9月、長嶋は9年間監督を務め上げ監督を退任した。

日本中に衝撃が走ったあの日の真実…

10.8決戦について長嶋茂雄は、あの試合は特別だった、これからもやろうと思ってもできないすごい試合だったと話した。三奈は、父と一緒に寝ることになったが父は第三者みたいな感じで優勝を喜んでいたと話した。また監督勇退について長嶋は、監督や巨人軍に携わるものはある程度時期が来たら引かないといけないと話した。

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10.8決戦

独占!長嶋茂雄の真実 ~父と娘の40年物語~ (バラエティ/情報)
22:34~

2004年3月4日午後11時。第12回燦燦会の映像とともに、長嶋茂雄氏が脳卒中の疑いで検査入院をしたニュース映像が流れる。福岡ダイエーホークスの王貞治監督(当時)は、とにかく後はお医者さんに任せるしか無いのだろうと思うけど、などとコメントしていた。小泉純一郎首相(当時)は「早く回復してい頂きたい」とコメント。読売巨人軍・渡邉恒雄オーナー(当時)は「日本の宝なんだから治ってもらわないといけない」とコメントした。病状など情報が錯綜し、報道は過熱。東京女子医大の内山真一郎教授(当時)は「緊急入院して頂く必要があるということで、こちらに収容させて頂いた」などと話した。日刊スポーツなどで、世間に報じられたのは、検査入院、意識はある。しかし、事実は全く違っていた。日本経済新聞社の「野球は人生そのものだ」には、「死ぬか生きるかわからない状況」「三日間は一日一日がヤマ」とつづられ、長嶋は生死をさまよっていた。

その真実を娘の長島三奈さんがテレビで初めて語った。長島三奈は、語りながら、思い出すだけで涙が溢れてしまう。そして奇跡の復活。その一部始終が今夜明かされる。

脳梗塞で倒れる1年前、長嶋はアテネ五輪代表監督として活動していた。当時、日本野球の国際大会での成績は厳しいものだった。2000年シドニー五輪で五輪史上初めてメダルを逃し、アジア大会では、準決勝で台湾に敗戦した。2004年アテネ五輪では、予選突破も危ぶまれていた。長嶋は代表監督を引き受けたが、チーム編成は思うように進まず、選手登録は国内組だけで、各球団2人までという条件付きとなった。壮行試合で敗れた時に風当たりは強く、そんな父の苦悩を長島三奈も感じていた。長嶋三奈は、「オリンピックにいけるかどうかっていう事で父が追い込まれて悩んでいるというか、本当にそんな姿見たことがなかったので」などと明かした。家族も初めてみた追い込まれた長嶋の姿。そして悲劇は起こった。

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独占!長嶋茂雄の真実 ~父と娘の40年物語~ (バラエティ/情報)
22:43~

長嶋茂雄が意識を取り戻して1週間、病院スタッフが体を起こすと、長嶋は立ち上がろうとし、良くて寝たきりと言われた長嶋が立ち上がった。その5日後から、以降10年続く辛いリハビリ生活が始まった。右半身は全く動かなかったが、医師が驚くほどに回復し、やがてリハビリの範疇を越え、補助を受けながら腕立て伏せもできるようになった。長嶋は、やるという気持ちが先で嫌ということはないと話した。

長嶋茂雄は、アテネ五輪日本代表監督に就任し、凄まじい重圧を感じていた。そして迎えたアジア予選。長嶋ジャパンは見事、3連勝でオリンピック行きを決めた。しかし、メダル獲得というさらなる重圧が長嶋を襲っていた。そして、筑紫哲也のNEWS23にて「野球のアテネオリンピック日本代表の長嶋茂雄監督が、今日、脳卒中の疑いで検査入院したことがわかった」と報じられた。意識はあると報じられたが、事実は違っていた。長島三奈はすぐに病院に駆けつけると、変わり果てた父がいた。長島三奈は「すぐに側に行って手を握ったんですけど父も反応が無い」などと話した。長嶋の病状は深刻だった。心原性脳塞栓症と言う、脳梗塞の中で、もっとも命の危険があるものだった。長嶋は、自身の著書、日本経済新聞社「野球は人生そのものだ」の中で、「脳梗塞の発作で生死に境をさ迷い、三日間は、一日一日がヤマと言われており、最初はまさに死ぬか生きるかわからない状況 」などと記している。家族は医師に「寝たきりの可能性も」と告げられていた。

長島三奈は「寝たきりの可能性もありますってその時に言われて」「なんてことを先生おっしゃるんですかみたいな」などと語った。心の中で、命だけは奪わないでください、と祈っていた。そして、脳梗塞で倒れてから5日後、生死をさまよっていた長嶋が意識を取り戻した。

長嶋は、当時を振り返って「疲れはしていましたね、あの頃は」と振り返った。三奈は当時について、「現実として受け止められない」「良くても一生寝たきりになるかもしれません、って言われたことだけは覚えていて」などと話した。

長嶋茂雄は、「しゃべりは出来ない、右手はダメ、右足がダメ」と話し、最初にわかった時について「脳梗塞というのは、相当ひどい病気なんだと、この病気に勝とうじゃないか」と思ったと明かす。「落ち込むようなことはないと思う」といい、その理由について、性格でしょうね、と話した。さらにリハビリについて「きついよね、確かに。きついけどそれに負けて落ち込んだらダメになっちゃうからね」と話した。

散歩で始まる、長嶋の一日。今の長嶋にとって、娘と過ごす時間が最もリラックスできるという。1番心が踊るのが、野球場。

このあと、愛弟子松井秀喜と監督時代の熱き思いが!サザンオールスターズ桑田佳祐が登場。

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桑田佳祐
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独占!長嶋茂雄の真実 ~父と娘の40年物語~ (バラエティ/情報)
23:03~

去年11月、長嶋は、故郷・千葉県佐倉市の野球場にいた。野球教室に来た子供たちを指導する、その表情は真剣そのもの。シーズン中は球場に足を運び、読売巨人軍の原辰徳監督など、かつての教え子を激励。さらに、横浜DeNAの中畑清監督の元にも足を運んだ。

一昨年、ともに国民栄誉賞を受賞した松井秀喜とは、今も深い絆で結ばれている。この日2人は9年間汗を流した特別な場所を訪れた。東京ドームのある一室で、松井はここで現役時代長嶋に指導を受けていた。松井は「僕のバッティングはこれで作り上げられたと僕は思っていますけどね」と話した。

恩師・長嶋のリハビリの現場を、松井が訪れた。初めて目にした病と戦う恩師の姿について、松井は「びっくりしましたよ、ハードですよこれ」「全然休憩とられないんでびっくりした」などと話した。

長嶋は外にでることについてどうしてと聞かれ、「この病気に勝とうと言う者は、ウチだけじゃダメ、外に出ていろんな人に会って勉強して、この病気に勝てるんだという気持ちを本当に実感として思ってたわけ」「だからどんどん(外に)出ようという気持ちがある」などと説明した。三奈は、リハビリをトレーニングとして行っていて、自分からトレーナーに「もっときついメニューをってリクエストしてるみたい」だといい、歳相応のトレーニングをしてもらえればと話した。長嶋は自身でどのくらいの年齢の気分かと聞かれ「気持ちは10を引いて68歳」と話した。

このあと長嶋が超スクープ発言。さらに長嶋をイメージして作ったあの名曲誕生秘話。

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横浜DeNA

独占!長嶋茂雄の真実 ~父と娘の40年物語~ (バラエティ/情報)
23:16~

現役引退した松井秀喜について長嶋氏は「次にファンが望むのは監督になることだと思っている。アメリカの野球もよく知っているし、もちろん日本の野球も知っているから、日米の感覚を持って日本で初めて監督をやって、今年のシーズンオフあたりやってくれると思うけど。巨人軍の監督になってくれたら」と重大スクープ発言をした。

巨人軍創設80周年の記念イベントで往年のライバル・金田正一が相対した。結果長嶋氏がバットに当て、今でもファンの心を揺さぶっている。サザンオールスターズ・桑田佳祐も長嶋氏に影響を受け「引退される時にテレビを見ながらボロ泣きし、長嶋氏の試合を見るときはいつも泣いていたという。桑田にも幼い記憶に刻まれたスーパースターで、長嶋氏だけは別格でおばあちゃんと一緒に巨人が好きなわけでなく、長嶋さんのことが好きでナイターを見ていたという。毎日華やかなぢい活躍が見られて、アスリートというよりも大ホップな存在だった」と話した。長嶋氏の活躍を見ながら育った桑田だが18歳の時、喫茶店のテレビで長嶋茂雄の引退セレモニーを見て、何も戦っていない自分が情けなく見え、気づけば泣いていたという。心に刻まれた長嶋氏の思いが40年の時を経て名曲を生んだ。

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独占!長嶋茂雄の真実 ~父と娘の40年物語~ (バラエティ/情報)
23:23~

桑田佳祐が抱く長嶋茂雄への特別な思いを「天上人から奈落へ落ちてもまた奈落の底から這い上がっていく壮絶な人生を全部背負っている。壮絶さを教わった世代だと思う」と話した。そして「栄光の男」という名曲が生まれた。

桑田佳祐作詞・作曲の名曲「栄光の男」が長嶋茂雄氏の映像とともに流れた。

栄光の男の曲について長嶋氏は「素晴らしい。歌をはじめ、他の面においてもすごい方」と話した。また「阿川さんの話し方が非常に上手いでしょ」と長嶋三奈に向け話した。

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桑田佳祐
サザンオールスターズ

エンディング (その他)
23:28~

2015年1月2日に長嶋氏は成田山新勝寺に初詣に出かけた。少年時代から通い慣れた成田山で毎年新しい年へ思いを新たにするという。今年の抱負は「この病気に勝つことを今年もお願いした。1年というのは早い。また来年も同じことを思うかもしれないけど1日1日を大切にしたい」と話した。

  1. 1月3日 放送
  2. 次回の放送