壮絶・・封印された過去 私はなぜやめたのか・涙と後悔・・伝説の引退SP 2013年12月28日放送回

放送日 2013年12月28日(土) 15:00~16:54
放送局 TBS

番組概要

オープニング (その他)
15:00~

江川卓、掛布雅之、津田恒美それぞれの引退の真相を明かす。

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キーワード
千葉すず
江川卓
桑田
千代の富士
貴花田
掛布雅之
津田恒美

怪物投手 江川卓 謎多き引退の真実 (バラエティ/情報)
15:06~

江川卓のプロ野球人生には常に空白の一日の事件がつきまとっていた。それは江川が1978年のドラフト会議前日に巨人と電撃契約を交わした事で、日本中からバッシングを受けることとなった。小林繁投手とトレードする形で入団し、激しい逆風の中で結果を残すという決意を固めた。

江川は1979年の24歳の頃に妻・正子さんと結婚。2人の子宝に恵まれ、江川の家族との写真にはマウンドでは見られない優しい表情が現れていた。しかし、入団騒動は家族にまで影を落とし始めていた。江川は1日でも早く汚名を晴らすと決め、3年目には20勝をマークし日本シリーズでは胴上げ投手となりエースとなった。

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1981年のシーンズンオフ、江川は妻・正子さんとハワイへ優勝旅行に向かった。正子さんは選手の嫁同士の食事に出掛けたとき、ストレートに入団当時の事を指摘された。正子さんはそこで、あの時の想いを初めて口にし、みんなの心を溶かした。

江川は入団6年目で絶大な信頼を集めていた。しかし、7年目を迎えた時、右肩の痛みに苦しみ始めた。様々な治療を試し、最後のたどりつたいのが中国針だった。中国針の事は周囲に隠しながら江川は投げ続けた。夜は激痛に耐える日が続き、10年目にオープンする東京ドームで投げることを夢見ていた。その後、肩の状態は悪化する一方だったが、9年目まで投げ続けた。

そんな時、江川を脅かす存在が現れた。それは1986年にPL学園からドラフト1位で入団してきた後のエースとなる桑田真澄。桑田は1年目は不調だったが、江川は桑田の事を見据えており、その予感は的中、2年目にして勝ち頭となっていた。肩の傷みにより、本来のボールを投げられない江川は桑田が現れたことにもより、シーズン中に妻・正子さんに覚悟を伝えていた。

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小林繁投手
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巨人
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日本シリーズ
正子さん
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PL学園

怪物投手 江川卓 謎多き引退の真実 (バラエティ/情報)
15:24~

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1987年9月20日の広島戦。ピッチング練習の際、江川は右肩の痛みを感じなかった。優勝を争う相手に江川は先発し、肩の調子の良さに光を見た。9回裏、2アウト2ボール2アウトの場面で江川は懇親の一球を投げたが、サヨナラ2ランを打たれてしまった。この状況に江川は暫く立ち上がることができなかった。

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試合後、江川はチームメイトの前で泣き、野球人生で初めて流した涙だった。その後、江川は3試合に登板し13勝5敗で9年目のシーズンを終えた。そして、1987年11月12日、現役引退を発表し僅か9年の野球人生に幕を閉じた。引退から25年、江川には心残りがあるという。それは東京ドームで投げられなかったことだと話した。

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高橋慶彦
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広島
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山崎隆造
長内孝
小早川毅彦
桑田真澄

ミスタータイガース 掛布雅之 25年目の告白 (バラエティ/情報)
15:36~

ここからはミスタータイガースと呼ばれた掛布雅之に迫る。

1978年、江川卓と小林繁が引退を発表。阪神タイガースの掛布雅之が激動の野球人生を語る。また、伝説の優勝メンバーが甲子園に集結する。

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江川卓
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ミスタータイガース 掛布雅之 25年目の告白 (バラエティ/情報)
15:42~

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掛布雅之は、1973年、千葉・習志野高校から入団テストを経てドラフト6位で阪神に入団。1978年、田淵幸一が阪神から西武へ電撃トレードし、同じ年には江川卓が巨人と電撃契約、さらに巨人の小林繁が阪神へトレードした。

元報知新聞の阪神担当記者の浜田は、小林の「阪神に伝統はない」との発言について、強い巨人をやっつけるチームを作ろうという呼びかけだったと思うと話した。

江川は掛布との対決について、当時の空気は忘れられず、強烈なやじだったと振り返った。1979年の掛布と江川との初対決では、掛布がホームランを打ち、掛布はホームラン王と呼ばれた。

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ミスタータイガースとして人気だった掛布は、1979年に結婚した。1980年の広島戦で掛布はホームランで最高のスタートを切ったが、その一ヶ月後に左膝半月板を損傷。それ以降、ファンからの嫌がらせも受けるようになり、妻が責められることもあった。

1981年、掛布は再びペースを取り戻し生涯最高の打率を獲得し、84年には再びホームラン王となった。また、85年までは全試合に出場し、巨人戦でランディ・バース、掛布、岡田彰布はバックスクリーン3連発を見せた。

1985年のヤクルト戦では、阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝を果たした。掛布はこの試合を本当に嬉しかったと振り返った。同年の日本シリーズ第6戦でも西武を撃破した。その3年後に突然の引退をした。

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ミスタータイガース 掛布雅之 25年目の告白 (バラエティ/情報)
16:02~

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今年9月20日、掛布は阪神甲子園球場を訪れた。この日、掛布には知らせず、ランディ・バース、岡田彰布、吉田監督らも球場に駆けつけた。木戸らは掛布の引退について、バッティングの音が減ったことが印象的だったと話し、岡田は4番で辞めると思ったと話した。

1988年、掛布に6番降格の案が浮上し、掛布は引退を決断した。吉田監督も非常に惜しい引退だったと語った。1988年のヤクルト戦で掛布の現役は最後となった。

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死去から20年…炎のストッパー津田恒美 (バラエティ/情報)
16:15~

小栗旬が津田恒美の闘病生活を綴った「最後のストライク」の一部を紹介した。広島東洋カープ投手だった津田恒美は、脳腫瘍を告白され、巨人の原辰徳と再び勝負するため、闘病生活を送った。

1981年、津田恒美は広島東洋カープからドラフト1位に指名され、原辰徳を意識しながら活躍した。原は当時を振り返り、勝負が面白かったと話した。

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巨人
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死去から20年…炎のストッパー津田恒美 (バラエティ/情報)
16:24~

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1986年の巨人対広島では、津田恒美と原辰徳が対決。達川光男も当時を振り返り、良い勝負だったと語った。しかし、この試合で原は左手有鉤骨骨折し、10試合を残し離脱した。朝日新聞の西村記者は、引退の時、原は「原辰徳は津田との対決で死にました」と述べたと振り返った。

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津田恒美は27歳で結婚し、翌年には長男が誕生した。1989年には最優秀救援投手も獲得した。しかし、1990年には相次ぐ怪我に見まわれ、同時に身体に異変を感じていた。1991年、広島対巨人戦で、頭痛の中試合に挑んだ。

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津田恒美
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広島
朝日新聞
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死去から20年…炎のストッパー津田恒美 (バラエティ/情報)
16:37~

1991年4月14日、広島市民球場で行われた巨人相手に広島1点リードの8回に津田恒美がマウンドに立った。しかし投球練習を受けた達川光男は違和感を感じ、先頭の川相昌弘にライト前ヒット、フィル・ブラッドリーには死球、4番原辰徳にはタイムリーを打たれ、わずか9球で降板した。原は、妙に寂しかったと振り返った。翌日病院に行った津田は、悪性の脳腫瘍と診断された。

しかし、もう一度マウンドに立つという強い意志で病に立ち向かった。津田を何度も見舞った元オリックス監督・森脇浩司は、強い思いを感じたと話した。執念が奇跡を起こし、腫瘍の腫れが2割程ひき、トレーニングまでできるようになった。

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広島
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死去から20年…炎のストッパー津田恒美 (バラエティ/情報)
16:44~

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脳腫瘍に倒れ1年が経ったある日、津田は家族と近所の公園で野球を楽しんでいた。活き活きとボールを投げる津田に、妻は本気の投球を要求。津田が見事な豪速球を見せると、妻はテスト生としての希望を垣間見たという。しかし1993年7月20日、津田恒実は32歳の若さで永眠。宿命のライバル・原辰徳に打たれた一球が津田の最後の投球となった。

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