JNNルポルタージュ「3・11大震災 記者たちの眼差し」 IV

放送日 2012年4月2日(月) 1:25~ 4:25
放送局 TBS

番組概要

オープニング (その他)
01:27~

オープニング映像。

3・11大震災 記者たちの眼差し (バラエティ/情報)
01:27~

東日本大震災とそこから派生した出来事を取材した記者たちが、個人の心情も含めてVTR報告をする。

東日本大震災により、テレビユー福島には膨大な被害の情報や大津波警報などが入り、 津波被害の分からないまま沿岸部を取材した。目的地は南相馬市の老人ホーム施設で、沿岸部には大津波警報がまだ出ていた。停電で当たりが暗い中、老人ホームに到着すると福島県内の津波被害の大きさを目の当たりにした。

大震災から明けた翌日、町は災前の風景とは一変とした。取材を繰り返す中、午後2時過ぎに第一原発が危ないという報告が入ると、午後3時36分に1号機が水素爆発を起こした。

2月11日、南相馬市原町区を訪れると震災の頃よりさらに風景は一変していた。慰霊祭が行われたこの日、当時の映像を頼りに男性を探すが有力な手がかりをつかむことは出来なかった。

その2週間後、男性と会うことになり、男性は津波で親類や友人を失った。男性は、放射能に国を挙げて真剣に取り組んで欲しいと語った。

石巻市雄勝町の震災復興を考える市民グループで事務局長を務める男性は、父親の営む電器店を手伝いながら休みの日には仮設住宅を回って住民と意見を交わす。石巻市雄勝町は200人以上が犠牲となり建物は9割が全壊、人口は4300人から約1000人へ減少していて、石巻市は安全な高台に移転することを打ち出した。しかし、雄勝町では4分の3が地域から離れてしまったため意思確認が出来ずにいた。

そこで男性は、雄勝町の住民グループを立ち上げ定期的に会合を開いて話し合いを重ねている。男性がふるさとの事を真剣に考えるようになったのは震災の経験からで、海の近くにあった電器店にいた男性の家族は知り合いの家へ避難したが、引き波で雄勝湾へ一気に流されていった。一家は近くに流れてきた漁船に乗り移り九死に一生を得ていた。一家は雄勝町から15kmほど離れた内陸部で暮らしているが、また雄勝町で電器店を再開したいと願っている。

男性は、雄勝町には住民がまとまって住める高台が無く、小さな高台に分散して人々のつながりが失われる恐れから、石巻市や県が提案する高台移転に異論を唱えていた。男性らは高台移転に加え、浸水域をかさ上げしてまとまった住宅地を作り、集落を分散させない案をまとめた。

2月、雄勝町中心部の住民を対象にした石巻市主催の意見交換会が開かれた。男性は代表して会としての復興案を提案したが、市側は浸水域は安全性に問題があると突っぱねた。市側は全戸高台移転の方針を覆さず、男性らとの議論はかみ合わないままだった。石巻市は4月から2地区で高台移転の事業に着手することになっており、つながりを大切にしたいという男性らの意見は聞き入れられるかは分からない。

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3・11大震災 記者たちの眼差し (バラエティ/情報)
01:44~

被災した倉庫から食料品が次々と持ち出される惨状があり、記者は生きるためには仕方ないという現状とそれでも間違っているという葛藤からすぐに答えが出ないでいた。

記者は震災当時、TBS社会部で半年間の記者研修を始めたばかりで、当時は横浜で取材をしていた。仙台港の物流倉庫が立ち並ぶエリアに差し掛かると、記者は少し違った空気を感じ、コンビニでは食材などが持ち出されていた。

取材を続けていると、食料品の倉庫でも持ち出しの瞬間を目の当たりにする。この時、仙台市内では各地で電気などのライフラインが止まり、商店から食料品が消え、ガソリンも手に入らない状況だった。そんな時、一人のカメラクルーは人のものを取るのは良くないとつぶやいた。

あれから1年、記者は再び仙台港を尋ねた。地元の人は震災直後について、情報などが何もなく配給の情報も無いので駆けずり回っていたのではと話した。持ち去り行為は他の多くの店でも起きていたが、ある洋服店では事務所に靴下1足分のお金が置かれてあったと証言。あのとき取材したコンビニの店長は、3人ぐらい返しに来た人がいたと語った。

事故が起きた原発は、首都圏に電気を供給するために作られたもので福島に作られたということに記者は既視感を感じた。記者はアメリカ軍の基地問題を取材しており、取材の中でなぜ沖縄県でなければならないのかという疑問を持っていた。福島県に原発が集中したことについて山川充夫は、大量の冷やすための水が必要で県庁所在地から離れた所を選ぶと話した。佐藤栄佐久前知事は、原発問題で地方自治や民主主義という言葉は出てこないと語った。

第一原発の関連会社を経営する名嘉幸照さんは、高校卒業後渡米して現地の電機メーカーで原発整備に携わると、帰国後に独立して福島第一原発のメンテナンス会社を立ち上げた。名嘉さんは福島第一原発には建設当初から関わっているが、安全は保証されたものではなかったと語る。

名嘉さんは現在第一原発の復旧作業にあたっており、その前線基地となるJビレッジを案内してくれた。名嘉さんは、国の政策や国民の合意のもとで進めてきた大きなプロジェクトは公平ではないと話した。

3月、名嘉さんを尋ねると、社員の中には放射線量が上限近くに達している人もいると語った。社員の堀川卓之さんは、震源地域で育ててもらっているから何か役に立てるものをと語った。

地元の住民がもらした、なぜ福島なのかという言葉は記者にも向けられたものだった。学生時代を東京で過ごした記者は、電気が福島から送られているということを知らなかった。

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3・11大震災 記者たちの眼差し (バラエティ/情報)
02:01~

南気仙沼小学校4年1組担任の千葉順子教諭は5年目になる。取材班が出会ったのは2011年3月で、千葉さんは震災直後教え子たちの様子を見るために避難所に足を運び続けていた。震災当日、千葉さんは学校にいて生徒や避難してきた住民らと1夜を明かした。4月からは気仙沼小学校を間借りして授業を再開した。

9月に学校を訪ねると、底抜けに明るく振る舞う先生らが印象的だった。しかし、学校は児童の相次ぐ転校などを受け、南気仙沼小学校の閉校の話しが持ち上がった。一方で先生からは、閉校を受け入れたくないという思いが伝わった。結局2012年12月末に閉校が決定し、南気仙沼小学校は気仙沼小学校と統合することが決定。

1月、教室の様子は何も変わっていなかった。閉校式の前日である3月22日に学校を訪れると、4年1組でおたのしみ会が行われていた。

気仙沼市内に自宅がある千葉さんは現在4人暮らしをしており、夫の和一さんは1988年から6年の間南気仙沼小学校に務めていた教師。千葉さんは1年を振り返ってみて、大人を喜ばせるために笑って演じさせてしまったのではと反省の色を見せた。

3月23日は南気仙沼小学校の閉校式で、児童は198人になっていた。千葉さんは、市長や市議会議長らが南気仙沼小学校のPTAで、それでも子供のために統合を決めたのがわかって気持ちに区切りがつけられたと語った。

福島第一原発から半径20km圏内を撮影した佐藤大さんは静岡・浜松市内で避難生活をしている。佐藤さんは去年3月下旬に福島県・双葉町から家族を連れて避難してきた。佐藤さんは機械メンテナンスの業者として毎日福島第一原発に通っていたが、安全神話は崩れ避難生活を余儀なくされた。去年10月には一時帰宅を果たした。

佐藤さんが一時帰宅の際に撮影した映像を紹介。町はかつての風景のままだが線量は高く、7カ月ぶりに自宅へ戻ると避難した当時のままだった。

佐藤さんは現在、妻と3人の娘と避難生活をしており、放射能の影響を受けやすい子供のことが特に気がかりとなっていた。また、佐藤さん夫婦は浜松市の支援を受けて避難者たちの交流の場である東北交流館を運営しているが、市の支援は2012年3月末で終了を迎える困難に直面していた。福島第一原発の事故収束を宣言したのはその時で、記者はその言葉に憤りを感じた。

佐藤さんは避難先で震災から1年を迎えた。3月下旬に佐藤さんを尋ねると東北交流館を自費で新たに作り直すビルの一室に案内された。佐藤さんは、避難している人たちは帰れない現状があり、そういう人達のことを考えると残すべきではないかと話した。

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3・11大震災 記者たちの眼差し (バラエティ/情報)
02:19~

中村恵さんは震災当日、消防団の活動中に震災で亡くなった男性の婚約者だった。男性は建設会社に務める一方、消防団員として陸前高田市を守ってきており、2人が人生の基盤を作ろうとしていたこれからと言う時の出来事だった。男性は震災当日午後、顧客の家の値上げ式に立ち会っていると震災が発生し、消防団員として避難住民の誘導をしていた。

10月、男性の母親の幹江さんを取材すると、消防団員として使命を果たした誇りよりも失った悲しさと悔しさを語った。婚約者の恵さんは、しょうが無いとは思うが気持ちの整理はつかないし、とにかく逃げて欲しいと言いたかったと語った。

消防団員の佐々木誠輝さんは男性の同僚で幼馴染。誠輝さんも避難誘導中に津波に襲われた。東日本大震災で命を落とした消防団員は253人で、そのうち陸前高田市は最も多い51人に及ぶ。

震災から1年後の3月、再び幹江さんと恵さんを尋ねた。幹江さんのもとには顕彰状が贈られていたが、幹江さんはなんとも思わないと話した。しかし幹江さんは、不動産会社を作りたかったという男性のために宅建の勉強を始めた。恵さんは未だに大切な人を失った現実を抱えたままだった。恵さんは亡くなって始めての男性の誕生日に手作りの結婚指輪を幹江さんにプレゼントした。

2011年3月11日、岩手・盛岡市内で東日本大震災に見まわれ、岩手県沿岸部は甚大な被害に襲われた。しかし、震災発生から数ヶ月もすると、盛岡市は落ち着きを取り戻し、震災前とほとんど変わらない日常が流れていた。沿岸部は津波の大きな爪痕が残り、同じ岩手県とは思えないほどのギャップがあった。

取材した遠野市は震災による津波の被害がなく、ここを拠点に被災地支援活動をしているのが遠野まごころネット。代表の多田一彦さんはこの団体を立ち上げた理由について、やれる状態にいる人がやるのは当たり前だと語った。まごころネットでは、物資配布やがれき撤去だけでなく、被災した人たちの心の癒しにと足湯を提供。さらに定食屋のまごころ広場を開店させ、被災した人たちを雇用するなど様々な形での支援を行なっている。

被害を目の前にした多田さんは、多くの人の力をつなげより多くの力にすることが必要不可欠と感じた。全国からボランティアが集まるのもひとつのつながりで、様々な思いをもって岩手を訪れる。

震災から1年が経った2012年3月11日、震災による津波で甚大な被害を受けた陸前高田市の住宅団地にまごころネットが設置した集会広場では追悼の催しが開かれた。東日本大震災の発生した午後2時46分には、集まった被災した人たちやボランティア等が鎮魂の祈りや復興への願いを共有しようと手をつないだ。

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3・11大震災 記者たちの眼差し (バラエティ/情報)
02:37~

去年5月から福島県・南相馬市で暮らすある一家を取材。岡実さん一家の自宅は福島第一原発から28kmの地点にあり、67年前に徴兵先の広島で原爆に合い、岡さんにとって放射能汚染は2度目だった。一家は酪農を営んでいたが、原発事故により廃業し、牛を飼う以外の仕事の経験がない一家は肉牛の生産にかけることにした。

福島県から岡さん一家の元へ、福島県民健康管理調査の書類が届いていた。

牛舎には8頭の内6頭が身ごもっていた。子牛は夏に生まれるが、10月からは放射性セシウムの新しい基準値が牛肉にも適用される。食肉用の牛が初めてきた日、岡さん一家は希望に満ちており、孫の岡恵輔さんは後を継いで酪農をするつもりだった。以前の恵輔さんは、これまでおじいさんの傍らにいて取材にも気さくに答えていたが、今回恵輔さんはお引取りくださいと一言だけ答えた。岡実さんは被曝原爆より、一家全員を巻き込んだ原発事故の方が影響が大きいと語った。

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3・11大震災 記者たちの眼差し (バラエティ/情報)
02:46~

岩手・陸前高田市の避難所となった寺では、地域の人達が津波の犠牲者への祈りや復興の願いを込めて除夜の鐘を付いていた。去年12月、広田町の瓦礫は収束所へ運ばれ何もない更地が広がっていた。広田町住民が暮らす仮設住宅で正月用の飾り付けをしているはほとんどいない。

妻と2人暮らしの菅野文吉さんは毎年正月を家族全員で過ごしていたが、初めて家族と別々で過ごすこととなった。菅野さんにには毎朝かかさず町の寺である慈恩寺の境内を掃除する日課がある。

慈恩寺の古山敬光住職は、約4ヶ月間70人近くの避難者と寺で避難生活した。震災で親族を失った住職だが、娘の古山麻美が身ごもっていて古山さん家族にとっての希望となっている。

大晦日、鍵のかかった除夜の鐘の入り口はこの日だけ解放され、震災発生最後の夜が訪れると鐘の音を聞いて街の人たちが次々と訪れた。その中には菅野さんの姿もあり、みんな元気で幸せに暮らせばいいのかなと語った。

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3・11大震災 記者たちの眼差し (バラエティ/情報)
02:56~

山梨・甲府市に避難していた被災者は、実家は福島第一原発がある大熊町で、一旦は帰ろうと思っていたが先が見えないと語った。高橋家族は福島に戻るかもう一度考えて次の行動をするとし、甲府市でテレビの放送によって職をみつけて働いていたが、娘たちは福島県の寮で生活することが決まり家族はバラバラになってしまった。震災から4ヶ月後に初めて1時帰宅したが、町は時間がとまったようだったという。1年後に高橋さんは福島・いわき市に戻る決意をしていた。

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3・11大震災 記者たちの眼差し (バラエティ/情報)
03:06~

宮城・気仙沼市では震災で、船が多く打ち上げられていた。特に印象に残っているのは「第六十三恵比須丸」で、松野社長は船をつくりなおし再建するか迷ったが、もう一度再建し漁に出る覚悟を決めた。恵比須丸の機関長も震災で辛いが、再建することが楽しみだとしている。社長は金刀比羅宮で航海の安全をキ祈願していた。

富山・黒部市で社長は、震災から1年がたったがなかなか進まない復興に今後の生活などの不安が残るとしている。

宮城・南三陸町では今年に入って5人の命が誕生している。陸前高田市の一本松を取材していると、生まれたばかりの赤ちゃんがいると聞いて取材ヘ行った。家族は自分たちにとって、被災地では明るい話題はないので赤ちゃんは癒しだと語っていたが、産婦人科に行くと震災のため授かった命を諦める選択をした家族もいたことがわかった。

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黒部市(富山)
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3・11大震災 記者たちの眼差し (バラエティ/情報)
03:23~

長野県北部地震が襲った長野・栄村では、震災後に3人がストレスなどで死亡していて、今も115人が仮設住宅で暮らしている。集落では復興へむけて30年ぶりに祭りを開催し、復興へ向けて動いていると感じたが、若者がいなくなり集落は存続の危機だとされていた。

2月下旬の村の寄り合いでは、長野・栄村で行ってきた水路などの管理を住民が減ったため、管理をするのは無理だという意見が出ていた。3月には関沢さんの家に息子などがきて3人で食事を楽しみふるさとを離れる決意を話した。

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3・11大震災 記者たちの眼差し (バラエティ/情報)
03:33~

福島第一原発近くの2012年3月15日の福島・富岡町では、ダチョウが道を歩いているなど町はめちゃくちゃになっていた。名古屋で伊勢湾台風の悲劇が起こった時には、惨状をどう伝えるが記者たちは悩んだという。名古屋に避難した青木さん一家の長女は愛知・豊橋市で小学校に入学した。

夏には福島・郡山市で5ヵ月遅れの卒園式も行われた。原発事故以前にも東京電力は信用出来なかったため、富岡町の人々は説明会でも誰も怒鳴ったりしなかった。福島・富岡町への一時帰宅や、年末にはもちをつき笑えるようになり、青木さんは再就職を決めていた。

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3・11大震災 記者たちの眼差し (バラエティ/情報)
03:43~

父親を津波で亡くした人たちに、亡くなった人の似顔絵を書いてボランティアをしている男性を紹介。依頼した男性は写真もなくなってしまったので絵という形でも残しておきたいと話した。

秦卓史記者は、鳥取・日野町で2000年に起きた鳥取県西部地震を取材した時の自分と、似顔絵を書いている黒沢さんの被災者の気持ちを受け止める気持ちが似ていると話した。

1012年2月には、東京・豊島区で黒沢さんに会うと似顔絵の本「面影画」の出版が決まったと聞いた。絵を依頼した人たちは本にして、悲しみも生きていた思いも残っていくことはいいことだと話した。

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3・11大震災 記者たちの眼差し (バラエティ/情報)
03:53~

東日本大震災の時、熊本県でが九州新幹線全線開業を翌日に控えていた。熊本県の学生は大熊町の子どもたちと遊ぶボランティアを行っていた。ボランティアに来た日には、福島県立医大による甲状腺検査が行われていて、ボランティアにきた学生たちは、放射線が日常的になっている現状を目の当たりにしていた。別れの時には、涙を流し卒業式も見に来たいと話した。

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3・11大震災 記者たちの眼差し (バラエティ/情報)
04:02~

宮城・石巻市では震災で多くの漁師の船も流されてしまった。地元の漁師の 中里さんが船を失った辛さをテレビで訴えると、高知の男性が「朝ズバッ!」をみて船を贈ろうと決意したという。中里さんはもらった船はそのまま感謝の気持ちを忘れずタコ漁を行っているという。

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高知市(高知)
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3・11大震災 記者たちの眼差し (バラエティ/情報)
04:12~

ずっと被災地で暮らしてきた人々は、地元に帰りたいがもう帰れないのではと話していた。岡山の記者は、がんばってといわれても何をがんばればいいかわからないという被災地の人々の言葉を聞き、岡山市役所に飾られているがんばろうという言葉にも複雑な気持ちを抱いていた。宮古市の遊覧船のガイドをしている女性などが、お客さんの楽しかったという言葉が一番励みになると話した。

陸前高田市の仮設受託では、おかえりなどという当たり前の言葉がコミュニティを支える重要な役割を示していた。大船渡市の男性は震災後に人々から優しい言葉をかけられ、心の支えになったと語った。会津美里町の仮設住宅の人々は、地元に戻るため頑張りたいと話していた。香川・高松市では穏やかな時間が過ぎているが、記者は大槌町の男性が言った「発信したい」という言葉が忘れられないという。

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陸前高田市(岩手)
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宮古市(岩手)
釜石市(岩手)
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大船渡市(岩手)
会津美里町(福島)
高松市(香川)
大槌町(岩手)

エンディング (その他)
04:20~

エンディング映像。

エンディング (その他)
04:23~

エンディング映像。

キャスト

スポット

エネルギー/素材

東京電力

スクール/教育

南気仙沼小学校
気仙沼小学校

レジャー/交通

仙台港
Jビレッジ

宗教

金刀比羅宮
慈恩寺

情報/通信

TBS

福祉/介護

遠野まごころネット
まごころネット

美容/健康/医療

福島県立医大
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