中居正広の金曜日のスマたちへ 2013年4月26日放送回

放送日 2013年4月26日(金) 21:00~21:54
放送局 TBS

番組概要

スタジオライブ (演技/演奏)
21:00~

佐村河内守作曲、交響曲第1番「HIROSHIMA」第3楽章よりを東京交響楽団がスタジオで披露した。

キーワード
交響曲第1番「HIROSHIMA」第3楽章より
佐村河内守
東京交響楽団

金スマ波瀾万丈 佐村河内守~全ろうの孤高の作曲家が紡ぐ闇の音。~ (バラエティ/情報)
21:02~

16万枚の大ヒットを果たした「交響曲第1番 HIROSHIMA」を作曲した佐村河内守は、全く耳が聞こえない全ろうの聴覚障がい者で絶対音感のみをたよりに作曲を続けている。音楽家として致命的な障がいがありながら歩んできた壮絶な過去、音楽への情熱を紹介していく。

全ろうの作曲家である佐村河内守さんの自宅を稲垣吾郎が訪問。佐村河内守は中途失聴者のため、のどの感覚などを頼りに話すことができるという。部屋を暗くしている理由について、強い光が直接目に当たると発作を誘発するためだという。特別に作曲部屋に入れさせてもらっていた。外の音に頼って作曲するということがないので、余計な楽器は置いていないという。佐村河内守は頭に浮かんだメロディーやリズムを、一つ一つ譜面に書き込んでいくという。

佐村河内守の壮絶な音楽人生を紹介。広島出身の両親は奇跡的に原爆から生き延びた被爆者で、2人の間に長男として生まれた守は被曝2世にあたる。母は自宅で教室を開くピアノの先生で、守は音楽に囲まれた環境で育った。4歳の誕生日にピアノの入門書である通称「赤バイエル」を贈られ、母によるピアノの英才教育によって「赤バイエル」をわずか4か月でクリア。その後も次々と出される課題を天才的なスピードでこなしていき、やがて聞いた音を一音も洩らさず楽譜におこす「聴音」という課題が得意となり、のちに作曲家としての命を繋ぐ「絶対音感」をこの時から身につけていった。ベートーヴェンの交響曲「田園」と出会った守は、 いつか自分の手で交響曲を書きたいというのが人生の目標となった。交響曲は何十もの楽器の特徴を熟知し、高度な音楽知識が必要で過去の作品は30分以上が多く、手間と労力がかかるのだが守は交響曲を作曲するという夢のために、高度な音楽理論を独学で勉強し、小学6年生にして40分もの大曲を完成させた。

高校3年の夏、守は帰宅中に左目に違和感を感じ、首筋と左目奥に激痛が走った。5分ほどで痛みは治まり、大学病院で診てもらったが病院では偏頭痛と診断。この頃、守は当時の音大では現代音楽が主流でクラシックは学べなかったために、音大には行かないという選択をした。1982年、守が18歳の時に上京。独学で音楽を学ぶことになった守だが、守の耳は悪化する一方だった。

光が自分にとって苦痛とういうことで、今回の波瀾万丈では佐村河内守さんがスタジオに来れない旨を伝えた。

大ヒット上映中の「桜、ふたたびの加奈子」の告知。(配給:ショウゲート)

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交響曲第1番 HIROSHIMA
佐村河内守
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桜、ふたたびの加奈子
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金スマ波瀾万丈 佐村河内守~全ろうの孤高の作曲家が紡ぐ闇の音。~ (バラエティ/情報)
21:14~

1982年、18歳の時に上京した佐村河内守。いつか交響曲を完成させると独学で音楽の研究を始めた。クラシック音楽で生計を立てるなら映画やドラマの音楽を作る作曲家になり、そこから道を開こうと考えた。知人の紹介で映画音楽プロデューサーへ売り込みをしたが、音大も出ていない無名の作曲家を相手にする者はいなかった。アルバイトをしながら音楽の勉強をしてきた守だったが、「偏頭痛の発作」は容赦なく守を襲った。発作を重ねるたびにアルバイトを辞めなければいけなくなり、家賃を払えずにアパートを追い出され、半年間のホームレス生活を余儀なくされたが、その時もあふれだす旋律を書き留めていった。

24歳の時に守は高校時代に知り合った年上女性と結婚。翌年、守を応援し続けた弟の訃報が届く。弟にはフィアンセがいて結婚する予定だったのだが、お葬式の時に相手方の両親からいつも素直に返事をしてくれる子だったが、兄にずっと夢を追いかけて欲しいし、きっと実現する。それまでは佐村河内家は自分が守っていかなければいけないので、婿養子の話を断ったことを聞いたという。

弟の死から一週間後、突然耳鳴りが起こったと思うと左耳がよく聴こえなくなり、その後も左耳の状態は悪化する一方で、やがて光が目に入るだけで偏頭痛の発作が誘発されるようになり、一日中カーテンを閉めきった暗い場所でしか生活ができなくなってしまった。聴力の低下は右耳にまで及び、ある日診てもらった耳鼻科では「突発性難聴」と診断されてしまった。作曲家として自分には時間がないと、後世に残せる交響曲を創りたいと音楽の研究に明け暮れた。その勉強が終了した4年後、30歳となった守の左耳の聴力は完全に失われた。

キーワード
突発性難聴

金スマ波瀾万丈 佐村河内守~全ろうの孤高の作曲家が紡ぐ闇の音。~ (バラエティ/情報)
21:25~

佐村河内守が33歳の時に、今までの小さな仕事が実を結び、映画「秋桜」の音楽を担当。ようやく作曲家としての道が開け、1998年にゲームソフト「バイオハザード」の音楽担当に抜擢され、1999年に戦国時代を舞台にした超大作ゲームソフト「鬼武者」のテーマ音楽・劇中音楽の全てを任された。交響曲作曲の夢にまた一歩近づいた守だったが、守から全ての音が消えていた。1999年2月、守は35歳で「全ろう」となった。

夢だったオーケストラによる音楽制作直前に音を失ってしまった守は、絶望の闇の中で聞こえてきたのはベートーヴェンの「月光」。耳が聞こえなくても作曲ができるのかを自分にテストを課した。頭に浮かんだ旋律を書きとめ、元の楽譜と比べてみたという。するとピタリと一致し、その他管弦楽30曲も完璧に再現。これなら音が聞こえなくても作曲できると確信した守は、3ヶ月に控えた「鬼武者」のテーマ曲の発表に向けて絶対音感を頼りに交響組曲「RISING-SUN」を作曲。総勢203名のオーケストラによる「鬼武者」制作発表会が行われ、作曲者として壇上に上がった守に笑顔はなく、虚しさからこの日を境に音楽業界から姿を消した。

交響曲を書く夢も自分の存在意義するらも見失いかけた守は、知人の紹介である障がい者施設にボランティアに訪れた時に、相手が自分に特別な優越感を与えてくれるような人物じゃなくても求めてくれる経験を機に、10年以上に渡って様々な施設の子ども達と交流。佐村河内守は、「そういった子達が本当に小さな光で灯してくれる光っていうのが、すごく輝いて見える」と語り、「闇って本当に暗ければ暗い程、深ければ深い程小さな光って本当によく見えますね」と話した。

「先天性四肢障がい」により、生まれつき右肘から先がないという大久保未来さんの夢はプロのヴァイオリニストになることで、弓のついた義肢を巧みに操って誰にも負けない美しい旋律を奏でる。そんな大久保未来さんとの出会いにより、佐村河内守は音楽をやっている仲間として曲を書いて献呈することが未来さんが喜んでくればと思っていると話した。2001年秋、子ども達から力をもらって再び交響曲の制作に乗り出した。この時、小学生から書きためていた2万枚もの楽譜を作為的だという理由で全て破棄した。

キーワード
バイオハザード
鬼武者
ベートーヴェン
月光
交響組曲 RISING-SUN
ヴァイオリンのためのソナチネ 嬰ハ短調
秋桜

金スマ波瀾万丈 佐村河内守~全ろうの孤高の作曲家が紡ぐ闇の音。~ (バラエティ/情報)
21:40~

再び交響曲の制作に取り掛かった佐村河内守だったが、日に日に大きくなっていく耳鳴りに苦しみ、発作を抑えるために15種類もの薬を服用し、週の半分は起き上がることすらできない状態だったという。失禁・嘔吐を繰り返すために、時にはトイレの前で作曲をしたこともあったという。こうして、2年かけて交響曲第1番「HIROSHIMA」を作曲。

佐村河内守の壮絶な人生を振り返ったVTRを見た稲垣は、闇の中にいないと光が見えないというのは印象深いしすごく皮肉と語った。

佐村河内守が作曲した交響曲第1番「HIROSHIMA」について、玉川大学芸術学部メディア・アーツ学科教授の野本由紀夫氏は、「感情に非常に訴えかてくる音楽で、本当に感動致しました。特に最後の部分は自然に涙が出てきてしまう位 感動致しました」とコメント。

佐村河内守が作曲した交響曲第1番「HIROSHIMA」は2011年7月発売。クラシック業界では異例の16万枚を売り上げた。総合アルバムランキングでは2位にランクインする快挙も果たした。

キーワード
交響曲第1番 HIROSHIMA
佐村河内守
交響曲第1番「HIROSHIMA」

スタジオライブ (演技/演奏)
21:45~

東日本大震災の被災地で“奇跡のシンフォニー”と呼ばれている佐村河内守作曲、交響曲第1番「HIROSHIMA」第3楽章よりを、大友直人の指揮のもと東京交響楽団がスタジオで披露した。

キーワード
交響曲第1番「HIROSHIMA」第3楽章より
佐村河内守
東京交響楽団
東日本大震災

エンディング (その他)
21:51~

エンディング映像。

演奏を聞いた大竹は、「胸がいっぱいになって、平和でいたいと思わせてくれた」と語った。

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