放送日 | 2018年8月18日(土) 21:00~21:54 |
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放送局 | TBS |
オープニング映像。
白石康次郎は1994年、ヨット単独無寄港無補給世界一周の世界最年少記録を達成。38歳では「ファイブ・オーシャンズ」クラスI第2位に輝いた。2016年には「ヴァンデ・グローブ」にアジア人初挑戦、リタイアしたがリベンジに燃える。そんな白石がミステリーハンターとして特別参加。愛船「スピリット・オブ・ユーコー」に乗船させてもらう。値段は1艇5億。行き先は小笠原諸島。傾斜のきついヨット旅を行う。
アジア大会の番組宣伝テロップ。
今日は小笠原諸島・父島までの1000kmのヨット旅を紹介。山のスペシャリスト・野口は白石と友人、海の男はよくしゃべるとコメント。黒柳はヨット経験があり乗るほうが好きだが忙しく大変だとコメント。
6月24日10時、小雨の中浦賀を出向し約1000km先の父島を目指す。乗組員は5名。高さ29mのマストにセールを張り、ウインチにラインを巻き付け最後尾のコックピットで都度操作が行われる。白石さんがナビで風向きなどを確認、ベストな帆を選び張る。4時間後東京湾を出ると帆に強い風が当たり傾斜が強くなる。12ノットで進む中シモンさんがバナナを配る。慣れない中で大杉が船酔い。航海は夜通し行われるため交代で雑魚寝する。船長はコクピット前が定位置。
打ち合わせ時、船長は酔って仕事ができないのが船乗りとして失格のためNGと話す。胃に何か入れておかないと血を吐くこともあるため大杉はカップラーメンを食べる。冷蔵庫がないため湯で作れるものを船には入れている。食事の時間がないため各自好きな時に食事してよい。三宅島、御蔵島を通過したところで大杉は右舷後方の隙間で就寝。体力がもつか心配と話す。翌日5時に起床。起床後、洋式おまるで用を足す。ポイントは掴まって踏ん張ること。即席米をで補給した。
向かい風のためタッキングを行い、くの字を描きながら目的地に向かう。途中でスコールが発生したため天然シャワーで体を流す。雨がやみ、夕日が来た道を照らした。船長オススメは月の光で出来る道。夜はクルーが2時間おきに交代で航海を見守る。
BGM:ドビュッシー「月の光」
翌日の午前4時、船の先にそびえ立つ孀婦岩を発見。高さ100mの奇岩で、水深2500mまで伸びている。ダイバーらも訪れるスポットとなっている。
白石さんが「レース中外国人が嫌い 白石さんが喜ぶ出来事?」という問題をテイク17で出題。
パーフェクトの正解者が出たら、視聴者に抽選でLOOK JTBで行くホノルル5日間の旅をプレゼント。
「レース中外国人が嫌い 白石さんが喜ぶ出来事?」という問題を出題、スタジオで答えを予想。正解は、トビウオがデッキに飛び込んでくる。フランス人は魚臭さで嫌がるが日本人は食べられるので喜ぶと話した。
山は障害物が近いから見える、海は平らだから進む先がよくわからずつかれるのではとコメント。
元祖!海の男 ジョン万次郎の障害とは!?
「鳥島」は周囲7kmの火山島、全体が天然記念物のため上陸は禁止。名前の由来はアホウドリの繁殖地だったから。アホウドリは渡り鳥で羽を広げると3m、人を恐れず簡単に捕まえられるためアホウドリと名付けられ、現在では乱獲により絶滅危惧種に指定。鳥島から別の島にヒナを連れていき繁殖させるプロジェクトも行われている。ジョン万次郎は高知に生まれ、仲間4人と初めて乗った漁船が難破。鳥島に流れ着き肉や卵を食べ140日以上サバイバルを行い、ウィリアム・H・ホイットフィールドの船に救出されハワイに連れられた。船長に気に入られ万次郎のみがアメリカに渡り、教育を受け航海士となり捕鯨船の副船長として活躍する。
マッコウクジラを発見。小笠原諸島では夏場によく姿を現す。19世紀なかば、捕鯨産業は全盛期。鯨油を求めジョン万次郎は地球7周分を航海。白石はスケール感が実感出来、ジョン万次郎を船乗りとして尊敬していると話す。
このあと:元祖!海の男 江戸幕府 明治政府 中浜万次郎 波乱万丈の生涯!
ビビる大木は土佐清水市にあるジョン万次郎資料館の名誉館長。江東区の北砂小学校はジョン万次郎の自宅跡。東大の前身となった大学に英語教授として通った。万次郎はアメリカで英語を学び、更に世界中を航海した情報で異国を熟知。ABCの歌やミシンは万次郎が幕末の日本に持ち込んだもの。1860年、通訳・航海士の腕を買われ勝海舟らと再びアメリカに向かったジョン万次郎。日米修好通商条約の一役を担った。7年後、船中八策を定めた夕顔丸を手配したのもジョン万次郎。
銀座2丁目はジョン万次郎終焉の地。医者だった長男の家がありそこで亡くなったと伝えられている。長男の親友は森鴎外だという。
「長旅から戻ったシンボルになった果物とは?」という問題を出題。出演者らが答えを予想、正解はパイナップル。いまは家にいるという事を示すためパイナップルを置いており、現在ではあらゆるところにパイナップルの像などがある。
東京から1000km、父島を目指す旅4日目。風まかせの旅のため気長に待つことも冒険の一部。二見港に上陸し到着した。大杉はまずシャワーを浴びたいと話す。小笠原諸島は一度も大陸と陸続きになったことがなく独自の生態系が進化。固有の生き物が多く東洋のガラパゴスと呼ばれ2011年に世界自然遺産に登録された。
小笠原諸島にはイミグレーションがある。入国スタンプはFUTAMIと書かれる。現在出国停止スタンプはあるが昔はなかったと白石は語る。1992年10月、単独無寄港世界一周に初挑戦しリタイアした時に出国取り消しされたのが父島。2度目のリタイヤも同じ場所、同じ担当者だった。出国取り消しは稀にある、白石に対し担当者はチャレンジ精神旺盛だと評した。1992年は衛星携帯がなかったため世界一周失敗の報告は公衆電話から行った。苦い青春の1ページが小笠原にはあるとした。
このあと:小笠原をめぐる歴史×万次郎の足跡
6月30日、小笠原諸島返還50周年を記念しパレードが行われた。小池都知事も参加。島民の1/3が参加しお祭り気分に包まれる。元々無人島だった父島に最初に定住したのはナサニエル・セーボレーを始めとする外国人。日本領土になったのは明治からで、太平洋戦争が始まると島民は国からの命令で本土へと移住。大戦後、アメリカに接収され1986年6月26日に返還された。最初に定住したセーボレーの子孫であるセーボレー孝さんの自宅には1853年6月13日にペリーと交わした土地売買契約書があった。浦賀の前に小笠原に上陸、石炭貯蔵施設を作るため土地購入していた。幕府は小笠原を日本の領土とすべく開拓団を派遣。船に通訳としてジョン万次郎が乗っていた。ジョン万次郎は合計4回小笠原を訪れている。
幕府は小笠原を日本の領土とすべく開拓団を派遣。船に通訳としてジョン万次郎が乗っていた。ジョン万次郎は合計4回小笠原を訪れている。
小笠原諸島には異国ミックスされた料理も多い。島ドーナッツはシンプルで、占領下で物資が乏しい頃に生まれたおふくろの味。卵も手に入らない時はウミガメの卵で代用していたという。「ハートロック・カフェ」ではサメバーガーを販売。さっぱりしておりタルタルソースと合うとコメント。
「父島で作られる東京?とは?」という問題を出題。スタジオで答えを予想。
世界ふしぎ発見!の次回予告。
トップ賞は光浦。小笠原返還 50周年記念絵の具を視聴者にプレゼント。電話か番組HPから放送後2時間まで応募可能。
山でアタックする時も月の明るい時に行く、冒険家の生き様は格好良いなどとスタジオでコメント。
新・情報7daysニュースキャスターの番組宣伝テロップ。
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