報道の魂 100年のゆりかご〜さようなら知床の小さな学校

報道の魂(ほうどうのたましい)は、TBSで2003年10月から日曜深夜(月曜未明)に不定期(詳細後述)で放送されている報道番組、ドキュメンタリー。本項では、差し替えタイトルの『JNNルポルタージュ』および、後継番組『JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス』についても記載する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2014年9月8日(月) 1:20~ 1:56
放送局 TBS

番組概要

オープニング (その他)
01:20~

オープニング映像。

100年のゆりかご〜さようなら知床の小さな学校 (バラエティ/情報)
01:20~

昨年度、北海道内で27の小学校が閉校した。そして知床の斜里町峰浜にある峰浜小学校も今年4月に閉校となった。

世界自然遺産の知床に向かう途中には海別岳がある。その麓にある峰浜小学校は1911年に開校し、現在の児童数は14人。斜里町は小学校存続の基準を児童数15人以上と定めていて、平成24年10月の時点で半年後の閉校が決まった。自然が友達のこの学校で、秋鮭を使った鮭とば作りに子どもたちが挑戦した。

峰浜小学校には「山村留学」という制度があり、本州からは現在5人が「ふるさと留学中」となっている。柏原睦樹くんは、京都から来て3年が経過。東京から来た藤井ひより、藤井陽輝兄弟は2年前にやってきた。滝口柚香、滝口康平は茨城からやってきた。ある日の帰り道、柏原の友達である中村大は「来年峰浜小学校が閉校になるので、朝日小に行くことになる」と語った。峰浜小学校のシンボルとしてハルニレの木があり、これまで30家族45人がふるさと留学を体験。ふるさと留学交流会では、以前ふるさと留学に参加した人々がこの地への未練を語った。

ふるさと留学をした父兄が峰浜小学校の閉校を惜しむ中、地元の人々の意見は違っていた。「ふるさと留学を残す手もあるが、先はしれている。地域のこどもがいなくなれば、地域の人は関わらなくなる」、「3人か5人で勉強しても社会に通用しない。多くの人と交流することが大切」などの意見が出た。ふるさと留学推進協議会の馬場浩一会長も、「前教育長から、ふるさと留学の継続を打診されたこともあるが、地元の子と留学の子が逆転してしまえば誰のための学校かわからなくなる、と説明した」と語った。

峰浜小学校で最後の学芸会が行われ、子どもたちだけでなく、大人も参加した。PTAの武藤香苗さんは「来年もここでやりたいですね」と閉校を惜しんだ。

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茨城県

100年のゆりかご〜さようなら知床の小さな学校 (バラエティ/情報)
01:34~

スキー学習が行われ、その後、流氷が接岸した。そして、藤井一家が急な事情から卒業式後に東京に戻ることになった。母親の藤井恵子は留学当初を振り返り、「物資もなければ店もなく、話す相手も最初は少ない中で色々と勉強になった」と語った。近所に住む馬場静子は、一家が東京に戻ることを惜しんだ。

卒業式があと1日に迫った3月19日。各学年で最後の授業がおこなわれた。放課後、仲良しの中村大と柏原睦樹は一緒に家まで帰った。

3月20日、卒業式が行われた。東京に戻る藤井陽輝と藤井ひよりが挨拶をした。そして、遠く離れた美深町で山村留学を続けることになった柏原睦樹も涙ながらに挨拶した。そして卒業式が終わった。

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東京都
美深町(北海道)
峰浜小学校

100年のゆりかご〜さようなら知床の小さな学校 (バラエティ/情報)
01:44~

今年4月、東京・江戸川区に戻った藤井一家とスタッフが再開した。藤井ひよりさんは小学校4年生になり、留学中は複式学級だったために勉強も先のことを理解していたようだと伝えられた。藤井陽輝くんは中学1年生になった。母親の藤井恵子さんは「帰りたい思いでいっぱい」と語った。

去年まで「ふるさと留学」を行っていた戸塚加奈子さん家族は再び峰浜に留学した。息子の戸塚凌侑は斜里中学に通い、そのことについて加奈子さんは「私にとっても濃い3年間だったが、息子にとってはそれ以上だった。一旦は私の意志で帰ったが、今回は息子の意志を尊重した。地元の人はみんな「お帰り」と言ってくれた」と語った。

峰浜小学校に通っていた子どもたちは、統合先の朝日小学校に通い始めた。音楽の授業中に中村大くんは「こういう時も思い出す。慣れてはいくけど、一年たっても寂しさは残ると思う」と語った。

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江戸川区(東京)
峰浜小学校

エンディング (その他)
01:48~

エンディング映像。

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