最後の一日・最後の言葉〜ホントにそれでいいんですか?〜東野&りゅうちぇる 2017年3月26日放送回

放送日 2017年3月26日(日) 23:00~23:55
放送局 日本テレビ

番組概要

最後の一日・最後の言葉〜ホントにそれでいいんですか?〜 (バラエティ/情報)
23:00~

偉人たちが残した最後の言葉を紹介。マイケル・ジョーダンの引退会見で次の目標を聞かれ「親として子どもに出来る限りの事をしたい」と語った。手塚治虫は「仕事をする、仕事をさせてくれ」と病床で語った。

キーワード
マイケル・ジョーダン
手塚治虫

オープニング (その他)
23:00~

オープニング映像。

最後の一日・最後の言葉〜ホントにそれでいいんですか?〜 (バラエティ/情報)
23:01~

2006年高校サッカー選手権・鳴門高校vs羽黒高校の一戦は史上まれに見る死闘のPK戦となった。両校8人が全員成功し9人目キッカー、鳴門高校・石川雅博が外してしまう。香留和雄監督は「負けることは恥じゃない、恥なんは負けて立たんこと。明日は味方だ」と激励した。2007年の徳島商業でもPK戦となり香留監督は石川をキッカーに指名し決めた。しかしチームは敗退し2008年の徳島県大会決勝でも鳴門高校に4-0で敗れた。香留監督は「生きとる限り努力せい、まだ人生は続くんで」と石川に言葉を送った。石川はその後、徳島ヴォルティスに入団した。しかし4年間でわずか1試合の出場に留まった。シンガポールリーグに移籍した。時を同じくして香留監督は血液のがんを患い入院し鳴門高校の監督を退任した。現在石川は社会人リーグ・徳島セレステに所属して働きながらサッカーを続けている。その傍らには恩師で総監督の香留さんの姿があった。

りゅうちぇるは、比嘉隆二として自己紹介をし妻・比嘉哲子の得意料理を紹介した。原晋は「監督の立場で言えば一生懸命やっての失敗は失敗でない、と思っている。精一杯努力しているかどうかに目を向けて指導している」と話した。

女優・平愛梨の最後の言葉を紹介。15歳で女優オーディションで8000人の中からグランプリを獲得し芸能界デビューを果たす。映画「20世紀少年」のヒロインに大抜擢された。夫はイタリア・インテルで活躍する長友佑都で、平愛梨は全てのレギュラー番組を卒業し夫を支えるためイタリアへ渡った。「ヒルナンデス」と「スクール革命」の最後の収録では昔のスタッフを含め100人以上がかけつけた。大号泣して最後の収録を終えた平愛梨は「私にお場所を頂けたことを心から感謝でしかない」と語った。最後の言葉を「アドマーニ」と伝えたがイタリア語で「また明日」の意味だった。

秋田フォーラスにある映画館・シネマパレはフイルムのみで上映している全国でも数少ない映画館で6代目の支配人・川口豊さんが1人で全てを行っている。客足も途絶える、ビルの改装のタイミングで閉館が決まった。20年やってきた作業も今日が最後となった川口さんは「切ないね」と呟いた。2月26日の閉館日には母も駆けつけた。最後の上映に選んだ作品は「男はつらいよ」だった。川口さんは「母さんごめんね、結婚もせず男やもめで迷惑ばっかりかけて、本当に寅さんみたいな男」と話した。最後の言葉は、身内には迷惑かけるけど「人には幸せを与えることができた」だった。

これまで3度の全国優勝を果たしている東福岡高校。40人以上のプロサッカー選手を輩出してきた。部員数は320人で男子マネージャー・飯森十壱さんがチームのために尽くしてきた。飯森さんは100人の中にも1度も入れず3年生になってマネージャーになる決意をした。高校生活最後の日、飯森さんは恒例の3年生の引退試合に参加した。

東野幸治は、平愛梨は料理もできることを紹介。りゅうちぇるは「イタリアは成城石井はない。どこで買えばイイかわからない」とコメントした。

スタジオに訪れていた飯森十壱さんは、マネージャーをすることについて「将来役に立つ、良い経験になるとおもっていた」と語った。原晋は「マネージャーがしっかりしているチームはまとまっていて強い」と話した。飯森さんの最後の言葉を出演者が予想した。

マネージャー飯森くん 最後の言葉。

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浦沢直樹
本山雅志
成城石井

最後の一日・最後の言葉〜ホントにそれでいいんですか?〜 (バラエティ/情報)
23:22~

部員数、320人の東福岡高校で男子マネージャーをしている飯森十壱さんは高校生活最後の日、飯森さんは恒例の3年生の引退試合に参加した。ボールに触れたのはわずか5回だったが試合後「本当にみんなには感謝しかないです。3年間ありがとうございました」と伝え、みんなに胴上げをされた。飯森さんの最後の言葉は「大学で新川優愛さんみたいな彼女ができればいいな」と発言した。

強肩で名を馳せた中日ドラゴンズの英智は2012年の引退セレモニーで、厳しく育ててくれた父親に感謝した。そして、テレビで観ている母親については「何回も誘ったのに来てくれまでんでした」と明かし、母のために全力の遠投を捧げた。

2009年の国立競技場で石原裕次郎の23回忌が行われ、約11万人が駆けつけた。石原裕次郎は兄である慎太郎氏の芥川賞受賞作「太陽の季節」に出演し、翌年には10本の映画で主演を務めた。レコード曲「銀座の恋の物語」は270万枚のヒット。だが、次々に仕事が決まる中で自分自身を見失い、不安からか撮影中でも瓶ビール1ダースを毎日飲んでいた。当時28歳だった63年に石原プロモーションを設立し、国民的刑事ドラマ「太陽にほえろ!」を生み出した。だが、スコッチ役で人気を博した沖雅也が31歳のときに自殺し、石原自身も解離性大動脈瘤、肝臓がんなど大病を患った。復帰が絶望的となり、「太陽にほえろ!」は最終回となった。だが、出演予定がないにもかかわらずに病床から撮影現場を訪れ、鈴木一平監督には取り調べシーンをアドリブでやらせてほしいと直訴した。台本に口を出してきたのは初めてで、鈴木監督は熱意を感じるとともに遺作ではないかと脳裏をよぎったという。

原晋は石原裕次郎のアドリブについて、「本当に生の声で説得力、迫力を感じる」とコメント。

観覧席には圭佑ママがいて、余生のビジョンについて語った。この後は新宿二丁目に繰り出すという。

このあと「箱根駅伝最初で最後のランナー、両親に送る最後の言葉」。

大阪・堂山町の名物ママ・圭佑さん。2代目のよしさんに店を引き継ぎ引退することとなった。圭佑さんは3年前からデイサービスの会社に務めている。引退日当日、100人以上のお客さんが詰めかけた。山口百恵ファンの圭佑さんは「百恵さんと同じ生き方がしたい」と話し「歌い継がれてゆく歌のように」を熱唱し引退式を終えた。圭佑さんの最後の言葉は「デイサービスのメンズオンリー版を広げたい。ゲイサービス」と語った。

石原裕次郎は医者に止められていたタバコを吸い、故 沖雅也、命の尊さなど実体験を交えたエピソードを交えつつ取り調べシーンを演じた。この8ヶ月後、石原は永眠した。

飯森十壱氏は「新川優愛さんみたいな彼女がほしい」と話していて、その新川が番組に出演すると知って焦ったという。

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最後の一日・最後の言葉〜ホントにそれでいいんですか?〜 (バラエティ/情報)
23:41~

埼玉県出身の池田生成選手は箱根駅伝で走ることを夢想し、駅伝の名門だった佐久長聖高校に進学。レギュラーにはなれなかったなか、練習の視察に訪れた原監督に青山学院大学の陸上部に入部させてほしいと直訴。その後、実績がないにもかかわらず、同大学の陸上部に入部した。池田選手は誰よりも努力を重ね、3年生の関東インカレハーフマラソンで優勝。箱根駅伝に出場することが決まるも、当日のメンバー変更で出場は叶わなかった。それでも父の純一さんは「お前の事を誇りに思う」と積み重ねた努力を讃えた。そして今年の箱根駅伝で4年生の池田選手は9区で出場し、沿道では純一さんと母の雪枝さんが見守っていた。卒業後は菓子メーカーの営業マンになることが決まっていて、競技からは身を引く。雪枝さんは感極まり、息子の雄姿に声を出すことができなかった。一方、池田選手は両親に気づき、力強く左手をあげていた。伴走車の原監督が叱咤激励するなか、池田選手は襷を託した。

1ヶ月後、青山学院大学陸上部では4年生にとって陸上部最後の1日となり、地元商店街で報告会が行われた。原監督はスピーチで沸かせ、池田選手はサインに応じていた。母校での記念撮影後、原監督は「よく頑張ったぞ。今度はサラリーマンとして頑張らないとダメ。自称カリスマ営業マンの俺を抜けよ」とエールを送った。スタッフから「最後の言葉、それででいいですか?」と尋ねられると、監督はコミュニケーション、間の大切さを力説。改めてスタッフから問われると、監督は「イイんです」とコメント。

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最後の一日・最後の言葉〜ホントにそれでいいんですか?〜 (バラエティ/情報)
23:50~

陸上人生を締めくくる池田生成選手の最後の言葉は「陸上競技をやってきたことを誇れる社会人になりたい」で、両親に向けて、「見守ってくれて、最後まで応援してくれて本当にありがとうございました」と語った。

池田生成さんは最初で最後となった箱根駅伝を振り返り、「沿道からの応援が凄く、監督の声が聞こえなかった」と明かした。4年の大学生活はほとんどが辛い日々だったが、最後に箱根駅伝という大きな舞台で走ることができ、テレビでチヤホヤされ、トータルして良い4年間だったという。監督は「4年間、頑張ってくれた。最後、箱根駅伝に出れてよかった」とコメント。

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  1. 3月26日 放送