放送日 | 2017年8月27日(日) 16:59~20:54 |
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放送局 | 日本テレビ |
黒柳徹子さんの夢のファッションショー。日本を代表する司会者の黒柳さんは1953年にテレビ女優の第一号としてデビューした。幼少時代を綴った窓ぎわのトットちゃんは今もなお日本一のセラー、絵本なども含めると発行部数800万部以上となった。昨年はインスタグラムを始めて可愛いと大人気となっている。徹子さんが若者に伝えたいことがあると言う。若者に勇気を自信をもたせたいと向かったのは文化服装学院。コシノジュンコさんや高田賢三さんらを輩出した名門校になる。亀梨が1人でまず生徒さんたちの様子を見に行って徹子さんを紹介した。徹子さんの特別授業がスタートした。周りとくらべて自信がもてないという悩みについて「人と比べるのはつまらないこと」と言った。
徹子さんは「小学1年で退学になった人間はそうそういないでしょ。」と言った。授業中なのに入学したころ、授業中にちんどん屋さんを呼んで3ヵ月で退学となった。この事が転機となった。とてもいい先生に会えた事が転機となった。転校した先には使われなくなったバスを教室として使用していたトモエ学園だった。校長の小林先生は子ども達の個性を大事にする校風で座席は自由、時間割はなし、毎朝好きな時間に勉強をする。開放的な時間を過ごした。校長先生は「君は本当は良い子なんだよ。校長先生はそれをよくわかっている」と言い続けた。個性が大事という事を学んだと言う。上田さんは海外留学をしたい気持ちはあるが不安が多い。という悩みに対して「外国に行きたいという理由が浅い。」などとアドバイスした。徹子さんは38歳で全てを降板してニューヨークに行った。
徹子さんは38歳で留学した。演劇の勉強に1970年代多忙の中で悩みがあった。33歳、演技に限界を感じていたと言う。しかし、とにかく負けず嫌いな性格だった。番組を全て交番してニューヨークにわたった。毎日着物を来て自分をアピールしていたそう。留学して1年、ニュースショーの視界のオファーが日本からあり、それが徹子の部屋となった。なぜデザイナーを目指す若者に講義をしたかったかについて「ずっと前にネパールにいった。7.8年前のこと。貧しい女の子が砂利や石をかごに入れて何になりたいの?と聞くと洋服屋になりたいと言った。その後地震があって行ったらその子がお金をためてミシンを買って木綿のスカートとブラウスを持ってきてくれた。」などと話した。夢見る若者に勇気を与える大切さを知った徹子さんからプレゼント。それは、徹子さんが着ていたオーダーメイドのドレスをリメイクすることが課題となった。更に、衣装は24時間テレビ当日にファッションショーをする。当日のモデルが発表され、Aグループはブルゾンちえみさんとなった。Bグループはぺことりゅうちぇる。さんらを発表した。
製作期間は3週間、どんなファッションショーになるのか?亀梨さんの声がけでファッションショーがスタートした。ピンクのドレスはりゅうちぇるとぺこ、原宿系のプリプリな服に大変身した。続いて、ピンクの花柄は和と洋のダンディミックス、バラの刺繍は帽子などに散りばめた。続いて、ベージュのドレスのテーマは一輪の花。スカートにボリュームをもたせてセクシーなドレスとなった。続いてのテーマはねおキャリアウーマン、最後は黒いドレスを亀梨ブラックにリメイク。ちょい悪風な男らしさを演出した。亀梨さんが徹子さんと電話で繋がった。生徒らは「とても良い経験になった」などと話した。
日本武道館から。ブルゾンさんを応援する。寛平さんは「頑張っている。」などと言った。
ブルゾンちえみさんと坂本トレーナーが伴走を始めた。妻のせつこさんに元気になってもらいたいと言う。
ヤクルト、日産自動車、イオングループ、住友生命、東洋水産、サンスターで募金を受け付けていると伝えた。
このあと、24時間テレビ恒例のチャリティー笑点。今から29年前に大喜利で歌丸さんに座布団の大盤振る舞いとなった。そんな歌丸さんが笑点の司会者となったのは2006年のことだった。いじられる歌丸さんは去年の5月に司会者を勇退した。そして今月11日、酸素吸入器をつけながら高座にあがる歌丸さんの姿があった。
被災地の復興支援を目的としてチャリティー募金は大型遊具の贈呈につかわれる。などと渡部さんが説明した。
このあと、生チャリティー笑点。石原さとみさんの奪い合いになっている。羽鳥さんは笑点ファン。メンバーに告白したい事について「控室を見ておせんべいがかたい、やわらかい、と2種類に分かれていてびっくりした。」と言った。
24時間チャリティーマラソンは、日本武道館をブルゾンちえみが目指す。
今回は「伝えよう」がテーマ。川柳で挨拶がスタートした。最後に石原さとみさんも女優15周年の記念日と言った。記念日に笑点に出られて幸せだと言う。
マギー司郎とMr.マリックがマジックを披露した。
「こくはく」をテーマに「○く○く」の○の部分を変えて、言葉を考えるというお題で、大喜利を行った。
浮き輪を手に何か一言というお題で、大喜利を行った。
「勇気を出して」と言われて一言というお題で、大喜利を行った。
このあと、桂歌丸の告白~初めて見せた涙のワケ~
生放送での大喜利の本番直前、桂歌丸はスタッフに座布団の数を確認。スタッフは60枚の座布団をスタンバイ。本番中、座布団を大盤振る舞いするが、最後に全員分の座布団を回収させた。生放送終了後、涙を見せた。また桂歌丸は、目を瞑るまで落語を続けていきたい、などと語った。
春風亭昇太らによるスタジオトーク。春風亭昇太らは「前座の頃から師匠を見てきて、泣くような人だと思ってなかったんです。最後に泣いた時に、本当にびっくりしてしまって、笑点という番組にかける思いとか、そういったものがすごかったんだなと思いました」などと話した。
大島康徳は44歳で引退した後、日本ハムファイターズ監督に就任。最近は解説者として活動している。大島康徳がブログで大腸がんを告白する前、奈保子さんは小林麻央のブログに出会った。このブログに勇気づけられた奈保子さんは家族に、大島康徳を支えていくように話した。家族に笑顔が戻り、大島康徳は小林麻央のブログに感謝を綴った。
小林麻央のブログを見て、大島康徳は家族のために1日でも明るく過ごしたいと思えるようになった。肝臓に転移がみられるが後ろ向きではない。長く生きたよりも、どうやって生きたかが大事だと考え、1日1日を大切に生き、少しでも笑顔でいられるように過ごそうとしている。
小林麻央は入院中、AKB48の365日の紙飛行機が心の中に流れていたという。小林麻央は、英BBCの人の心を動かす100人の女性に選ばれた。小林麻央と同様、大島康徳にとってもがんになったことは、人生を代表する出来事ではない。大島康徳は中日で活躍。選手生活最後の年の1年ほど前、奈保子さんの子宮がんが判明。引退後、WBCコーチとして世界一や、切れ味の良い解説などを行った。その全てが大島康徳という。大島康徳は、がんが、やりがいや生きがいを失くす病気じゃないことを伝えたいと考えている。
大島康徳ら出演者によるトーク。大島康徳らは「そこまで強くはないですけど、ありのままでいいんじゃないですか」などと話した。
AKB48が「365日の紙飛行機」を披露した。
24時間チャリティーマラソンに挑戦中のブルゾンちえみの現在の様子を伝えた。
24時間チャリティーマラソンに挑戦中のブルゾンちえみの現在の様子を伝えた。
石原さとみが静岡・小山町を訪れて、地元住民の夫婦に話しかけた。そして、実は喧嘩中であったという告白を聞いた。
石原さとみは、オサダナオヒロさんらに話しかけた。オサダナオヒロさんはカメラに向かい、父親宛に、彼女が出来たことを告白した。引き続き、72歳の女性宅でおにぎりなどをごちそうしてもらった。
石原さとみは応募者の小野知美さんと合流。小野知美は校閲者になりたいと考えており、それを両親に告白するために応募したという。小野知美さんは石原さとみ出演の地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子も視聴していた。校閲とは、小説や雑誌の誤字脱字のチェックをし、内容や表現の誤りを正す仕事。
地味にスゴイ!DX校閲ガール・河野悦子の番組宣伝。
小野知美さんの両親の夢は、小野知美さんと静岡で一緒に暮らすこと。一方、小野知美さんの夢は東京で校閲の仕事をすること。校閲者になるために、通信講座で勉強してもいる。石原さとみは音声さんに変装し、小野知美さんの実家に訪れた。実家で、小野知美さんは両親に、校閲者になりたいと告白。両親は「頑張ってもらいたいと思います」などと話し、応援することにした。
石原さとみら出演者によるトーク。石原さとみらは「(振り返っていかがですかと質問され)ちょっと泣きそうですね。なんかすっごいハラハラして」などと話した。
24時間チャリティーマラソンに挑戦中のブルゾンちえみの現在の様子を伝えた。
24時間チャリティーマラソンに挑戦中のブルゾンちえみの現在の様子を伝えた。
石原さとみら出演者によるトーク。石原さとみらは「(振り返っていかがですかと質問され)ちょっと泣きそうですね。なんかすっごいハラハラして」などと話した。
葵高等学校らの生徒たちがスタジオに登場。このコーナーでは故郷を元に戻そうとする人々の想いを伝える。
8月、櫻井翔は福島・郡山市を訪れた。合唱メンバーは県内6校で55名。合唱する曲は、嵐のふるさと。
今回、福島第一原発のある大熊町の高校生も合唱に参加。2011年3月11日、たくさんの人達のふるさとが失われた。大熊町は帰還困難区域に指定されている。鈴木幸貴くんは小学3年生の時、福島・会津若松市に避難。将来の夢は介護士。そんな鈴木幸貴くんは、お盆に一時帰宅の計画をたてていた。
鈴木幸貴くんは兄らと一緒に一時帰宅した。また、大熊町にはじじい部隊がいて、荒れ果てることないよう、様々な作業を行っている。鈴木さんは櫻井翔に自宅を紹介。しかし、自宅は中間貯蔵施設の予定地になったため、取り壊されることになった。
岡田珠璃さんは小学2年生で県外に避難すると、差別といじめにあった。現在、岡田珠璃さんは浪江中学校に通学している。苦しんで傷ついていたが、ふるさとは優しく迎え入れてくれた。また、鈴木幸貴くんは一時帰宅で自宅に戻り、大熊町のために何かをやっていきたいと発言した。
自分にとって福島ってどういう場所なのかを質問され、六角日七さんらは「自然豊かな場所で四季折々の季節を感じられる所が大好きです」などと話した。ふるさとを取り戻すため、飯館村の会田さん夫妻は避難先から通い、桜の木を植樹。3000本の桜並木となった。また、葛尾村では石井食堂が営業を再開。チャーハンにはふるさとを想う愛情がつまっているという。
学生たちが嵐の「ふるさと」の合唱を披露した。
24時間チャリティーマラソンに挑戦中のブルゾンちえみの現在の様子を伝えた。
24時間チャリティーマラソンに挑戦中のブルゾンちえみの現在の様子を伝えた。
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