ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ! 【温泉のおなまえ】

放送日 2019年6月6日(木) 19:57~20:42
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
19:57~

オープニング映像が流れた。

温泉のおなまえ (バラエティ/情報)
19:58~

おなまえから探る温泉ブーム史として、鎌倉時代からあった熱海温泉を紹介していく。温泉評論家の石川さんによると古代、熱海は本当に煮え立っていた海だったという。それを裏付けているのが、その様子を描いた図だった。熱い海になったのは、火山活動終演後も、地中に残った熱源の熱泉が海中から噴き出していたためだった。しかし、平安時代は人々の恐怖を和らげるために熱海を「直見」と表現していた。そんな中、熱泉の湯元が海底から陸地にうつったことで、恐ろしい海は静かになって温泉地の熱海が誕生した。その後、鎌倉幕府が開かれて政権が京から関東へうつったので武士や僧侶達が押し寄せて、熱海は関東の温泉ブームの先駆けとなった。その当時は「安多美」とあてられたが、鎌倉時代の末期にまた「熱海」の漢字に戻った。これは、人々の間に地獄のイメージが広がって熱海を地獄のイメージで見ていたからだった。実際に、熱海の神社にも閻魔大王があった。人々はこの地域に行くことこそ、一旦地獄を味わう事を意味して熱い湯に浸かる事で人生をけがれなきものに再生できると極楽浄土に思いを馳せていたとみられている。

赤木アナは熱海温泉の事を「地獄」と位置づけた。次は室町時代から始まった「草津」の由来について椿鬼奴さんは「これが海なんじゃないかって当時の人は言ったそうです」などと予想をしていた。

厳選は湯畑の「草津」は、昔から恋の病以外なら治せると称されていた。温泉番付では大関として位置づけられた草津温泉の由来について、温泉評論家の石川さんに聞いた。石川先生によると、江戸初期は臭い水という意味の「久草津」と書いてくさうずと呼んでいたという。由来は端午の節句に菖蒲湯に入る風習が元だった。毒を持って毒を制するような強烈な臭いが邪気を払うと、当時の人は考えていたという。

赤木アナは「草津温泉」を邪気払いと位置づけた。補足情報として、清水さんは硫黄は硫化水素の臭いなので、硫黄臭いというのは間違っていると教えてくれた。

人里離れた青森市にある酸ヶ湯の名物は、160畳ほどある千人風呂だった。この「酸ヶ湯」のは津軽弁で「すっぱい」という意味だったという。しかし、当時は「酸ヶ湯」という漢字ではなかった。

食文化研究の飯野先生は元禄時代にかかれた食の素材の百科事典を用い、酸ヶ湯の由来について教えてくれた。江戸時代、 酢には高い殺菌力があることが知れ渡って食べるだけでなく、様々なものに応用していた。その中で人々は、酢の温泉につかる効果を期待したとみられている。

温泉教授の松田先生は、日本近代科学の父である宇田川榕菴は「珈琲」などの名付け親でもあり、温泉好きでもあった。榕菴は全国の温泉地を調査し、泉質を科学的に分析してそれぞれを「硫泉・酸泉・鉄泉・塩泉」と名付けていた。中でも、酸性泉は殺菌力があり神経痛などに効き目があると言われていた。酸っぱい味という意味からうまれた「酢ヶ湯」は、江戸時代の健康ブームでその名前になった。それから温泉を科学する時代には「酸」の字となる、効能ネームだった。

赤木アナは「酸ヶ湯温泉」を化学と位置づけ、明治の温泉番付を持ってきた。それから、次に昭和に名付けられた「秘湯」が紹介された。

日本秘湯を守る会の会長は、秘湯の名付け親を岩木一二三さんだと紹介した。高度経済成長の真っ只中の昭和44年、当時42歳だった岩木さんは観光地のツアーを終えた後に山里に佇む温泉にいた。良い温泉だと思った岩木さんは、ふさわしい名前を考えた。岩木さんは考えているうちに面倒になって秘境の中にある温泉「秘湯」という名前を思いついた。1970年に岩木さんはこうした秘湯を守る会をたちあげ、全国に秘湯を広めていったという。

NHKオンデマンド配信のテロップ。

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