逆転人生 「劇的再会!生き別れた父と娘」

『逆転人生』(ぎゃくてんじんせい)は、NHK総合テレビジョンで2019年4月1日から放送のドキュメンタリー番組。

出典:goo Wikipedia

放送日 2019年4月22日(月) 22:00~22:50
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
22:00~

オーストラリアにある木曜島。この島はかつて大勢の日本人が暮らしていた。木曜日にいた日本人と現地の女性との間で生まれたサリー・ラッドさん。サリーさんが生まれた時には父親は行方不明だった。サリーさんは16歳のときから父親探しを始めた。

キーワード
木曜島

劇的再会!生き別れた父と娘 (バラエティ/情報)
22:01~

サリーさんは父親が日本人だと知らずに育った。仲宗根泉は「話を聞いただけで、うるうるきてます」などと話した。

1973年オーストラリア、サリーさんは宣教師の父と母、兄と弟と暮らしていいた。子どもながらに、肌の色が違うと思っていた。1980年、19歳の時に自分のルーツを聞くと、父と母は、本当のお母さんに会わせてくれた。母のリリーさんは貧しさのため育てられずサリーさんを養子にだしたという。さらに父親は真珠貝をとるダイバーとして日本からやってきた日本人の「ヨシノリ・シマブク」だと教えられた。26歳の時に、長男のベンが生まれた。とても感受性が強く将来は画家になりたいと夢をみていた。2002年、ベンは家族のルーツを調べる宿題で、ママのお父さんは誰なの?と聞かれたがサリーさんはそれに答えることができなかった。その後、養父、養母が亡くなり実母も亡くなった。そして息子のベンは失恋のショックで自ら死を選んでしまった。サリーさんは悲しみを埋めるためには、自分の父を探すしかないと思った。手がかりを求めまずは出生届を取り寄せたが、父親の記載はなかった。調査を依頼したが外国人を探すのは難しいと断られてしまった。

サリー・ラッドさんは「私が、父親探しに踏み出したキッカケは長男のベンを失ってしまったことでした」などと話した。手がかりが全くなかったためサリー・ラッドさんはSNSを使い調べた。

スタジオ収録の2日後、サリーさんは再び、父のもとを訪ねた。この日は、サリーさんは父に頼まれていたお母さんの写真を見せた。父が沖縄で作った家族はサリーさんを暖かく迎えてくれた。子どもや孫たちが集まり大歓迎会が開かれた。子どもや孫は幼い頃からサリーさんの存在を知っていて会えるのを楽しみにしていたという。島袋芳則さんお左腕には「リリー」と書かれたタトゥーがあった。

父が見つかったときのことを聞かれサリー・ラッドさんは「喜びと、興奮と驚きが一度に押し寄せてようやく夢が叶ったと思った。あった瞬間に父だとわかりました」などと話した。木曜島は日本から5000km離れている。日本人の多くは真珠貝採取業のために渡っていった。多い時で約1900人の日本人がいた。戦前、約300万人が海外へ出ていったと言われている。木曜島で使われていた潜水ヘルメットがスタジオに登場した。ユージは「持てますけど、めちゃくちゃ重たい」などと話した。サリーさんは「そんな危険な仕事をしていたなんて父の苦労が偲ばれます」などと話した。

父親の手がかりがほとんどない中、サリーさんはSNSの力を頼ることにした。捜索には、自身も母親と生き別れているという、近所に住む日本人の友人・石田妙子さんが協力。オーストラリアにいる日本人の友人たちに情報提供を呼びかけた。これに反応したのは、ライターの植松久隆さん。ここから、TBSテレビ・シドニー通信員の飯島浩樹さんや関西学院大学の津田睦美さんを経て、オーストラリアに渡った日本人研究の第一人者であるクイーンズランド大学の永田由利子さんにたどり着いた。サリーさんの生みの母・リリーさんが口にした「真珠貝」という言葉から、オーストラリア北部にある木曜島の存在が思い当たった永田さん。この島には、古くは明治時代から、多くの日本人が真珠貝を採るダイバーとして出稼ぎに来ていたという。永田さんは、養子の娘の思いで生みの親を捜した経験から、サリーさんの気持ちに動かされたと語った。

サリーさんの年齢から、両親の出会いは1960年ごろと推測されたが、当時のオーストラリアでは戦争の影響で日本人労働者を受け入れていなかったという。しかし、1958年にアメリカの統治下にあった沖縄から、162人の労働者が木曜島に渡った記録が見つかった。永田さんは、その人たちの足跡を調査。サリーさんの父親の記録を捜し当て、沖縄・久米島出身であることを突き止めた。それを知ったサリーさんは、すぐに久米島へ行き、情報を求めた。現地では、当時の久米島博物館学芸員・中島徹也さんが調査に協力。知人の国吉修さんにたどり着いたサリーさんは、ついに実の父である島袋芳則さんとの対面を果たした。

沖縄・久米島に生まれた島袋芳則さんは戦争で父を亡くし、戦後は貧しい生活を強いられたという。そんな中、25歳の時にオーストラリアの会社が真珠貝を採るダイバーを募集しているという新聞記事を見かけ、芳則さんは木曜島に渡った。しかし、現地では外国人労働者の厳しい現実を突きつけられる。仕事は真珠貝の採取だが、目的は真珠ではなくボタンの原料となる貝殻で、事前の説明では真珠貝は簡単に採れるとのことだったが、実際は重いヘルメットをかぶって水深80mの海底へ潜るという危険なものだった。芳則さんは、仕事で3回の潜水病も経験した。木曜島では、多くの日本人ダイバーが潜水病や作業中の事故で命を落とした。しかし、会社が過酷な環境を改善することはなく、稼ぎも事前の説明よりも少なかったという。

1959年、26歳の芳則さんは島の酒場でリリーさんと出会って恋に落ち、一緒に過ごすうちに結婚も決意するようになったという。そして2年後には子供も授かり、幸せな生活を送っていた。しかし、突然家にやってきた男たちに、国外退去命令を告げられた芳則さん。この頃、安価なプラスチック製ボタンの登場で真珠貝の需要が減っていたことから、会社は日本人を契約途中で次々と解雇していた。芳則さんは必死に抵抗したが、その日のうちに沖縄に向かう船に乗せられてしまったという。その後も木曜島に戻ろうとした芳則さんだったが、アメリカ統治下にあった沖縄では海外への渡航が厳しく制限されていた。芳則さんは「リリーと子どもは死んだ」と自分に言い聞かせ、島の女性と結婚し、子どもを育て上げて静かな余生を過ごしていたという。そこに突然、サリーさんの情報が飛び込み、対面に至ったと振り返った。

ユージは「人の気持ちはなかなか消えないものだと感動した」、仲宗根泉は「沖縄は悲しい歴史もあった場所だが、人が温かい、人を想う島」とコメントした。サリーさんは、父親に「どうやって母と会話していたの」と聞くと、「アイラブユーはちゃんと言えたから、2人は愛情で結ばれていた」と教えてもらったと語った。

現在、日本で働く外国人は約146万人、技能実習生は約33万人にのぼる。また、技能実習生の労災死比率は、10万人あたり3.7人と日本人の約2倍になるという。サリーさんは「かけがえのない経験だった。愛情あふれる両親のもと、私はこの世に生まれてきた。そのことを知って自信を取り戻した。もし叶うなら、今後は父の近くで暮らし、父の世話をしながら親子の時間を重ねていきたい」と語った。

キーワード
SNS
木曜島
植松久隆さん
飯島浩樹さん
津田睦美さん
クイーンズランド大学
関西学院大学
オーストラリア
沖縄県
久米島出身
久米島
クリント・イーストウッド
潜水病
厚生労働省
労災

エンディング (その他)
22:49~

逆転人生の番組宣伝。

  1. 前回の放送
  2. 4月22日 放送
  3. 次回の放送