人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ! 【東京おなまえツアー】

放送日 2017年12月19日(火) 0:10~ 0:55
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
00:10~

渋谷や有楽町などは人の名前が由来だった。それを探ると東京が今の姿になったワケが見えてくる。

東京おなまえツアー (バラエティ/情報)
00:10~

東京・青山の地名のもとになった青山さんの秘密を探った。ツアーコンダクターは東京の地名の由来を研究する谷川彰英さん。江戸時代の絵を見ると、青山は原野で何もなかった。まずは江戸時代から続く梅窓院を訪れた。ここには青山という地名を生んだ、青山家の供養塔があった。その始まりは江戸初期の大名・青山忠成。青山忠成は行政の方に力をふるった人物だと言われている。青山サマは愛知・三河国出身で徳川家に仕えていた。家康に連れられ江戸にやってきて、この地の開拓を任された。青山通りは江戸時代、大山道と呼ばれていた。大山道は神奈川にある霊山・大山へと向かう道だった。大山参りは江戸時代庶民の間で大流行した一大レジャーだった。青山がおしゃれになったのはそのためだという。当時ここを通った人はオシャレな着物を着て大山へと向かった。表参道のイルミネーションも青山サマがやっていたという。高い竿に提灯をぶら下げ遠くから見ると星のようだった。人々は青山百人町の星提灯と呼んでいた。

本日のゲストは東京都のお名前サマ。大久保佳代子や品川祐などを紹介した。東京の地名誕生のキーマンとなったのが徳川家康だった。当時の東京の様子を紹介した。徳川家康が江戸に来たころは江戸は住めるような場所がなかった。そのため埋立地を作っていき町が増えていった。1590年ほとんどなかった町が、50年で300町になり1747年には1978町まで増えていった。町がどんどん増えていったが町名がないとこまるということで、人の名前を付けざるをえなかった。そのため地名に人名ルーツがおおくなっている。

東京・新宿も人の名前と関係があった。宮崎美子らは内藤神社を訪れた。新宿はもともと内藤サマが支配していた。江戸時代に内藤清成が徳川家康から土地を拝領したのが新宿の始まりだという。家康と内藤が江戸に来た時は、このあたりは何もない原野だった。内藤は家康から白い馬を走らせ走っただけの土地を与えると言われた。馬が走ったのは北は大久保、西は代々木、南は千駄ヶ谷、東は四谷の範囲を走った。宮崎美子らは内藤さまの屋敷があった場所を訪れた。そこが新宿御苑だった。江戸時代中期、内藤さまの土地に街道の新しい宿場を作ることになった。それは内藤新宿と名付けられた。明治になり内藤の土地が政府に返上され、内藤の文字がとれ新宿という地名になった。

東京・八重洲も人の名前が由来。東京駅の地下にその人の銅像があった。地名の由来となったのはオランダ人のヤン・ヨーステンだった。16世紀末、航海の末に大分県に漂着、貿易コンサルタントとして家康に仕えた。当時八重洲は、今の丸の内側だった。江戸初期、皇居の回りは海だった。家康は大名屋敷の土地としてここを埋め立て、ヤン・ヨーステンに屋敷を与えた。ヤン・ヨーステンの日本名は耶楊子。それが地名の八代洲になり、さらに八重洲に変化した。元は海辺だったので洲の字を当てたと思われる。

1600年代初頭、江戸と呼ばれたのは江戸城を中心にした狭い範囲だった。今の麻布や青山などは郊外だった。1600年代初頭の東京と現在の東京の地図を重ねると、どれだけの範囲を埋め立てたかがわかった。一説によると神田あたりは山だった。そこから大量に土をきりだし埋め立てたという説がある。

永田町の由来を紹介。旗本の「永田家」の屋敷が並んでいたことから、周辺を永田町と呼んだ。江戸城に近いほど偉い人が住んでいるという。

深川という地名の由来は、摂津国出身の深川八郎右衛門が、このあたりの開拓を任され、地名がなかったので、家康に名字を地名にせよと命じられ深川という地名になった。

大久保という地名の由来は鉄砲隊の頭領・大久保氏。大久保氏は新宿の地名の由来になった内藤さまに仕えた鉄砲隊のボス。西からやってくる敵に大久保氏が備え守りの要になっていた。そのため新宿の近くに大久保があるという。道玄坂の由来は山賊の道玄太郎。有楽町の由来は織田有楽斎という信長の弟だった。

東京・渋谷の地名の由来は人の名前という説がある。平安時代から続き渋谷一帯を見守ってきた金王八幡宮。そこに祀られているのが渋谷金王丸。渋谷金王丸は平安時代に多くの戦で活躍してきた武将。渋谷金王丸の渋谷という名字が渋谷という地名のルーツだと言われている。最初に渋谷の性を名乗ったのは、親である重家。重家の名字は河崎。河崎さんが盗賊を捕まえ褒美に盗賊の名字「渋谷」をもらい改名したという。この話とは別に由来に関するもう一つの情報があった。渋谷一族の家系図には領地として2つの渋谷が記されていた。それが現在の渋谷と、神奈川を意味する相模の国の渋谷だった。調べてみると神奈川の真ん中に高座渋谷という地名があった。高座渋谷駅周辺は渋谷庄というこのあたり一帯を治めていた渋谷さまのお城だといわれている。なぜここが渋谷と呼ばれたかというと、あちこちにV字の谷地形があった。丘と下との段差で水が湧き出しくる。田んぼに水を入れなくても1年中水が枯れない。こうしたことから、水が滑らかに流れない様子を意味する「渋」という感じが使われ渋谷と呼ばれた。おそらく金王丸の一族は神奈川の渋谷を所領としたことから、渋谷と改名。その後東京にも所領を得て、その場所が渋谷という地名になったと考えられる。渋谷という地名の前は「谷盛」という名前だった。

品川祐は「金王八幡宮が好きなんですよ。仕事が減ってくると神社巡るんです」などと話した。江戸は昔寂れていたが、その中で品川だけは栄えていた。品川にも人名が関わっていた。

現在目黒川と呼ばれた川は昔、品川と呼ばれていた。砂や土砂をたくさん運んでくるので「砂川」といっていたのが、だんだんなまって品川に変わったと言われている。品川が有名になるのは江戸時代だが、そのはるか以前から関東を代表する港湾都市だった。当時物流の拠点で関東一円に運んでいた。そこに目をつけたのが徳川家康だった。物流の拠点として繁栄していたという品川。そのキッカケを作ったのが源頼朝の御家人をしていた品河清実が品川を開発した。品河清実のご先祖は、紀氏。紀氏は5世紀以降に朝廷の外交や軍事を担った、5大豪族。優れた航海術を背景に大陸との交易を取り仕切り、全国に拠点を築いた。その紀氏に子孫が関東の拠点として目をつけたのが品川だった。発展した品川を引き継いだのが徳川家康だった。東海道の宿場町として整備し観光地としても名が知られていた。品川祐は「有名だから品川家から頂いた、そこから品川になった」などと話した。

品川祐は「ミキティと庄司が結婚した時、事務所の社長大崎、ミキティの会社の重役のひとが目黒、僕も挨拶したんで あと五反田がいればなと思った」などと話した。

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エンディング (その他)
00:54~

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