人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ! 【わたなべ】ナベツナ伝説で全国へ

放送日 2017年10月17日(火) 0:10~ 0:55
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
00:10~

富士学苑高等学校では先生が生徒の「下の名前」を読んでいる。クラスは37人中9人が「渡辺」の同じ苗字を持つ。今日は「渡辺」さんがテーマ。生徒は「渡辺」と呼ばれると困ると話しており、先生も「下の名前を呼ぶことがセクハラだとか言われたらやっていけない」と語った。山梨県・富士吉田市は6人に1人が渡辺の名字を持っている。市役所のまちづくり部では部長が渡辺、次長、課長、課長補佐や若手までが渡辺との事態になっている。東京出身の市長はこの事態に、渡辺と呼ぶと間違いが起き困ることになったと話す。市役所では渡辺サマルールが誕生、渡辺金男は「渡金」のハンコを所持するという、下の名前を用いて混乱を防いでいる。渡辺以外の名字でも名前を用いたハンコを使っている人もいる。渡辺を下の名前で呼ぶ学校では他の生徒も下の名前で呼び合っており、名字で呼ぶのが当たり前だという風潮に驚いていた。

渡辺さんは日本全国で115万人で5位。渡辺さんが増えた訳を探ると特殊能力など不思議なパワーが浮かび上がった。

「きみのはどう」在日ファンク

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富士吉田市役所
富士学苑中学校
ワタナベノツナ
きみのはどう
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わたなべ ナベツナ伝説で全国へ (バラエティ/情報)
00:14~

今日のテーマは「渡辺サマ」。渡辺正行さんは高校時代は下の名前で呼ばれていたとコメントした。渡辺えりさんは小さい頃に渡辺姓はワタナベノツナの子孫だと聞かされてきたとコメントし渡辺裕太さんも同意した。都道府県別の渡辺姓人口ランキングは全国で30位以内に入っている。山梨だけが唯一1位だという。渡辺サマのルーツは大阪の地名で、そこに住んでいたひとが名乗ったのが始まりで、そこから全国へ満遍なく広がったという。地名由来の名字が多い理由はその地名が全国にたくさんあるパターンだが、たった一か所のルーツから全国にまんべんなく広がったという。スタジオでは渡辺さんらが質問を多く飛ばし古舘さんは後でやるとコメントした。

スーパーヒーロー“ワタナベノツナ”に出会ったのは、渡辺サマが多い山梨・富士吉田市の福地八幡宮だった。鳥居には、“渡邊大明神”の文字が。“ワタナベノツナ”こと“渡辺綱”は、平安時代に源頼光に仕えた四天王の筆頭。この辺の渡辺サマはこの渡辺綱の子孫であるという伝承がある。神社の総代・渡辺サマが綱が祀られている拝殿に入れてくれた。渡辺綱がこの地を訪れたとされる頃は、富士山の噴火の影響で土壌が良くなく作物が育ちにくい土地だった。総代・渡辺サマによると、綱は農業を伝え武道も教え人々に渡辺の名前を与えたそうで、名をもらった人々は後の時代 厳しい環境を生き抜くための互助グループを作った。この地域では名字ごとにグループがあったが、渡辺のグループは綱のおかげで特に勢力を拡大していった。今は富士吉田市内で2千数百軒あるそう。

スタジオ解説。渡辺綱の系図をみると、平安時代の嵯峨天皇の子孫、光源氏のモデルとなった源融などとつながっていた。浮世絵をみると、源頼光、碓井貞光、金太郎こと坂田金時、占部李武に並んで描かれている。四天王の中でも筆頭だったのが綱で、悪党が牛を殺して腹の中に隠れて源頼光を狙っていたところ、そこへやってきた頼光が生きた牛を矢で射抜く遊びをしろと四天王に命じるなか、綱だけはこの死んだ牛に近づき悪党を見つけ頼光を守ったとの物語が“古今著聞集”という説話集に残っている。ただ、綱の資料は少なく実在しなかった説がある。渡辺えりは活躍した人が何人もいて綱という人物を作り上げたと思っていると話した。古舘伊知郎は、ワタナベは出席番号が最後の方だから指される確率も低く指されるまでの間何かを考えているため、ある作家が“ワタナベはよく考える人たち”といっていたのを思い出したと話したが、渡辺裕太はいきなり振られたときの瞬発力は弱いと話した。

謎のヒーロー渡辺綱。四條畷学園大学の福井栄一客員教授は、「渡辺綱は時代ごとに成長していく」と話す。綱の名前が最初に登場する古今著聞集には、綱が主君を狙う悪人を普通の野原で撃退したという記述がある。しかし、平家物語には京都の橋の上で本物の鬼に襲われたというエピソードに成長。さらに、江戸時代には京都の橋が羅生門になり、別の話では鬼が大軍団にスケールアップ。また、源頼光と名も無き家来が蜘蛛を退治する話を元にした歌舞伎の演目に「土蜘」があるが、退治役が綱たち四天王にすり替わっている。渡辺綱は大衆のニーズによって盛りに盛られた人物なのだ。

渡辺綱について渡辺裕太は、「最初はただ単純に悪党を1人やっつけたぐらいだったってことですか?野っ原で」とコメント。澤部佑も、「最初の50年で女装した鬼でしょ?最初の50年飛ばしましたね、だいぶ」とコメントした。

武田信玄で有名は武田氏は家を継いだ人だけが武田を名乗り、他の人は別の名字を名乗った。これが普通のことなのだが、渡辺綱から始まる渡辺一族は分家しても渡辺を名乗り続けた。そして、本家と分家の違いを表すため、渡辺の“辺”の字を変えていったのだという。ちなみに、辺の字は85種類以上ある。

宮城・姥ヶ懐地区は“渡辺の隠れ里”とも言われ、毎年節分の日には少し変わった豆まきを行っている。少し変わった豆まきとは、家の窓や玄関を閉めてしまい、「福は~内、鬼も~内、鬼の目ん玉つぶれろー!」と言いながら豆をまくというもの。姥ヶ懐地区に伝わる昔話では、渡辺綱が鬼の腕を持って訪れ、民家の中で腕を奪い返した鬼がいろりを伝って煙出しから逃走したとされている。そこで、家の中から逃がさないという意味で「鬼も内」と言っている。

姥ヶ懐地区の人々は逃げた鬼のその後の足取りもつかんでいる。その物証が姥の手掛け石と呼ばれている石。鬼が逃げていく時に滑り、手をついたことが手形として残っているという石だ。その後、鬼はこの地で息絶えたとされているが、村田町歴史みらい館には鬼のミイラが展示されている。

インスタントジョンソンの3人が歴史学者の生駒孝臣さんとともに、渡辺発祥の地とされている大阪・中央区を調査。生駒さんの案内でやって来たのはとある川。この辺りは、「渡しの辺り」ということから「渡辺」という地名がつけられた最も古い場所。そして、平安時代にこの川と関わった人たちが渡辺を名乗った。そして、そんな渡辺姓たちは渡辺党という武士団を結成し、京に通じる経済の要所を掌握。朝廷や有力者に重用され、全国に派遣されたとされている。

しかし、発祥の地に残った渡辺党は度重なる戦乱で疲弊。南北朝の内乱時には敗れた南朝側についたことから勢力が衰えていく。そして、豊臣秀吉に発祥の地を奪われてしまった。水の要所を握っていた渡辺党は内陸に移動させられ、歴史の表舞台から姿を消す。しかし、移転先である久太郎町4丁目には「渡辺」という番地が存在する。この理由について坐摩神社の宮司・渡邉絋一さんは、「豊臣秀吉が大阪城を築城するときに城域に入るということでこの場所に神社を移した。神社が移動することによって地名もくっついてきた」と説明した。

渡辺党についてトーク。豊臣秀吉が渡辺党を移動させたのは渡辺党の存在が疎ましかったのでは?という古舘の質問に対し森岡浩は、「それは実際にあったと思います。村上水軍の末裔も江戸時代になると山の中に移されてますので水軍は怖かったんだと思います」とコメント。古舘伊知郎は、「栄華を誇った渡辺姓は輝かしいけど、だからこそ疎まれたり圧がかかったりするっていう風雪に耐えて全国で輝いてる。これから渡辺サマと知り合ったらあんまりたてつかないほうがいい」とコメントした。

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