ありがとう〜作曲家・船村徹さん 2017年3月7日放送回

放送日 2017年3月7日(火) 16:05~16:50
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
16:05~

船村徹さんの映像が流れた。作曲家船村徹さん、64年に渡る創作活動で生み出した作品は5500曲以上など、紹介映像。

ありがとう〜作曲家・船村徹さん (バラエティ/情報)
16:06~

船村徹さん(84)が2月16日お亡くなりになった。演歌、歌謡曲を中心に作曲を続けて去年11月には文化勲章を受賞した。その生涯を振り返る。北島は「旅立ったが、自分の中では旅立っていない」などとコメント。鳥羽は「先生の歌を歌うたびに先生のことが蘇ってきて、永遠と残っているので歌い継いでいく」などとコメント。

村田英雄「王将」の映像。島倉千代子「東京だよおっ母さん」の映像。北島三郎「風雪ながれ旅」の映像。

北島は「先生の言う通り歌った。今は歌い方が変わっているが」などとコメント。いかにして船村徹さんが国民的作曲家になったのか見ていく。

船村徹さんは昭和7年6月12日。栃木県塩谷郡船生村生まれ。幼い頃から音楽に興味があった船村は小学生のときに吹奏楽部でトランペットを担当。その後、東洋音楽学校に進学。この学校で高野公男さんと出会う。船村が曲を書き、高野が詞を作る。創作活動が始まる。そして春日八郎「別れの一本杉」が大ヒットする。

船村徹が作曲活動を唯一、戦いと呼んだ歌手がいる。美空ひばりだ。2人の出会いは昭和31年に発表した「波止場だよ お父つぁん」。この時、ひばりはまだ19歳。類まれな才能を認めた船村はあえて難しい曲を作り、ひばりにぶつけようと考える。そして生まれたのが、「哀愁波止場」。冒頭から高音域で始まるこの曲はひばりの新たな魅力を引き出した。船村がひばりに作った楽曲は未発表曲も含めて60曲以上。その最後の作品となったのが、「みだれ髪」。病のひばりに一番難しい曲をぶつけ、復活を願うメッセージを込めた。しかし、この翌年、ひばりはこの世を去ってしまった。

高野さんについて聞かれた北島は「戦友であり、良き友であり、時には兄弟みたいな絆があった」などとコメント。これから見てもらう「男の友情」は高野公男さんが生前書き残した詞に、船村徹さんがメロディをを付けた曲である。

去年9月に歌った「男の友情」の映像。

船村徹と美空ひばりの関係についてトーク。北島三郎は、「さすがだなと感じる。お師匠さんは絶対ひばりさんが好きだったと思う。絶えず戦いながら、ある意味でのライバルで、ある意味ですごくファンでという優しさを(感じた)。ああいう優しい声もなかなか聞けませんよ私たちは」とコメントした。

北島三郎さんは「男の友情」を歌うと胸が熱くなると話した。鳥羽さんはお酒を飲むと船村さんの話しを必ずすると話した。また愛弟子だったという鳥羽さんは船村さんに歌を伝えるのには言葉がとても大事だと教えられたと話した。

鳥羽一郎さんの「兄弟船」を歌う映像。

北島三郎が「なみだ船」を昭和44年の音楽番組で披露する姿が紹介された。

鳥羽さんのデビュー曲となった「兄弟船」について鳥羽さんはこの曲がないと今の自分がないため宝物であると話した。

船村徹の名曲「あの娘が泣いてる波止場」、「柿の木坂の家」、「ダイナマイトが百五十屯」の映像。

先日亡くなった船村徹についてトーク。鳥羽一郎は、「本当にありがとうございました。それだけです」とコメント。北島三郎は、「こんな素晴らしいお師匠さんの弟子ですから。これからもお師匠さんに恥じないような歌手で、どこまで続くかわかりませんけれども、心ある歌、魂ある歌を大事に歌っていかなければいけないなと改めて感じました」とコメントした。

船村徹が大切にしてきた言葉がある。それは、「歌は心でうたうもの」という言葉。船村が生み出したメロディーはこれからも私たちの心に寄り添い続ける。

「矢切の渡し」について細川たかしさんは船村さんの曲は流れていくようなメロディーラインを書けるのは素晴らしいと話した。

「女の港」について大月みやこさんは聞いてくれる人に届くように懸命に歌いたい曲だと話した。

キーワード
文化勲章
村田英雄
王将
東京だよおっ母さん
島倉千代子
風雪ながれ旅
北島三郎
東洋音楽学校
高野公男
春日八郎
別れの一本杉
船村徹
美空ひばり
波止場だよ お父つぁん
男の友情
哀愁波止場
鳥羽一郎
高野公男没後60年演奏会
みだれ髪
兄弟船
NHK紅白歌合戦
なみだ船
思い出のメロディー
三橋美智也
NHK歌謡ホール
柿の木坂の家
青木光一
愉快にオンステージ
ダイナマイトが百五十屯
あの娘が泣いてる波止場
矢切の渡し
女の港
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