アナザーストーリーズ 運命の分岐点 ビートルズ旋風 初来日 熱狂の103時間

『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』(アナザーストーリーズ うんめいのぶんきてん)は、NHK BSプレミアムのドキュメンタリー番組。2015年(平成27年)4月1日にレギュラー放送を開始。火曜日 21:00 - 22:00放送(再放送は、放送次週月曜日 23:45- 00:45)。

出典:goo Wikipedia

放送日 2016年6月4日(土) 23:00~ 0:00
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
23:00~

オープニング映像。

キーワード
ザ・ビートルズ

ビートルズ旋風 初来日 熱狂の103時間 (バラエティ/情報)
23:00~

真木よう子が登場した。ビートルズは、CD・レコード売り上げが推計8億枚以上と言われるレジェンド。真木は、そのビートルズが日本に一度だけやって来た時の騒動だなどと話した。1966年6月29日午前3時44分。ビートルズが日本を訪れることになると、排斥運動、8千人を超す警察官の動員など騒動となった。ビートルズの日本滞在は103時間。いたのは、羽田空港、ホテル、日本武道館の3箇所のみだった。当時のビートルズの一部始終を知るのは2人の日本人。

ザ・ビートルズはイギリスの港町リバプールで育った。ビートルズは世界をとりこにした。来日した時はデビュー4年目だった。始まりは、一本の国際電話で、ビートルズのツアーマネージャーからビートルズが日本へ行きたがっていると言われたことだった。電話を受けたのはプロモーターの永島達司。永島はすでに逝去したが、永島の秘書を勤めていた清水和江と連絡が取れた。永島の協同企画は社員30人弱だったという。永島は交渉のため渡英したが、清水は断ることになるだろうと言っていたなどと話した。しかし、マネージャーのブライアン・エプスタインは、「ビートルズのギャラはどうでもいい、それで採算が取れないならギャラを減らしてもいい」と言ったなどと話した。ビートルズ側の条件は、チケット代は上限6ドルと言う破格の条件だった。当時の日本は高度経済成長期のまっただ中だった。そんな中、ビートルズが日本でも話題となった。しかし、大人たちはビートルズを不良と認識していた。

1966年6月29日、来日したビートルズに密着したカメラマンがいた。カメラマンの浅井慎平は、前年、日本広告写真家協会賞受賞していて、ビートルズ来日公式写真集のカメラマンに抜擢された。ビートルズ到着予定日、台風が日本を直撃し、ビートルズはアンカレッジで足止めを食らった。予定より11時間を過ぎて訪れたビートルズを迎えたのは警察官と報道陣のみ。ファンは検問で追い返された。ビートルズを載せた車は、滑走路から高速道路へ直行、首都高速は上下線とも通行止めとされた。ホテル周辺警備には860人が動員された。ビートルズは午後3時頃、ホテルで記者会見にのぞんだ。富と名声を得て次に欲しいものはと聞かれると、ジョン・レノンは「平和」と答えた。

1966年3月。永島は野球場に5万人を超す観客を集め、世界記録を作ったバンドだった。清水は、当時2411人位が入る厚生年金ホールより、大きい会場がなく、梅雨時で屋根付きの会場が必要となると、日本武道館しか無かったなどと述べた。しかし、ここは武道の聖地だった。当時の首相・佐藤栄作は「ビートルズの武道館公演は考えものだ」と漏らしたというニュースも報道された。しかし、ビートルズはイギリス王室からMBE勲章を授与していたため、日本武道館は使用を許可した。

ビートルズ日本公演の裏では、2人のキーパーソン、警察と呼び屋が激しい攻防戦を行っていた。

当時、学生運動が熱を帯びていた。ビートルズ警備の最高責任者となったのは、百戦錬磨の山田英雄。山田は、当時まず現場の下見をした。山田はたむろしていた女子学生が「足が折れてもいいからステージに上ってキスがしたい」と言っていて、驚いた、「女子の安全を守る」という作戦を立てたなどと述べた。山田は人海戦術を取り、動員した警察官はオリンピックに迫るのべ8370人、費用は約9000万円に及んだ。清水は当時、そこまで大規模な警備をする必要があったとは思わなかった、警察の対応は疑問だったなどと述べた。警備プランは、高さ2mの飛び降り防止柵、アリーナに客席を設けない、消灯しないなどだった。ビートルズは3日間で5回ステージに立った。清水は警察には警備をしてやっていると言われ、予定も全てドタキャンさせられたなどと述べた。

日本で最初に発売されたビートルズのレコードは「抱きしめたい」。これを機に来日までの2年間で30枚のシングルが発売された。最も売れたのは「rock and roll music」。多くの著名人もひと目見ようと駆けつけていた。

宇崎竜童は、18歳の時ラジオで流れてきた「抱きしめたい」を聞いた時にショックだった、自分たちで歌を作り演奏し歌う、何もかもが若者たちにとってカッコ良かったんだと思うなどと話した。ビートルズ武道館公演を見た宇崎は、音楽漬けの生活となった。宇崎は、ビートルズの曲は真似できないと思った、作曲家になろうと思わせてくれたのはビートルズで当時のビートルズの曲は1曲も超えていないなどと話した。

別の日、宇崎とほぼ同じ席に音楽事務所社長の高嶋弘之が座っていた。当時音楽ディレクターだった高嶋はビートルズの「Love Me Do」を初めて聞いた時は「駄目だ」と思ったなどと話した。2枚目の「please please Me」を聞いた時は、好きなタイプの曲だったため、疎かにしちゃいけないんじゃないかと思ったなどと述べた。全米で1位となった「I want to hold your hand(君の手を握りたい)」に高嶋は「抱きしめたい」という邦題をつけた。以後、ビートルズの日本タイトルは高嶋が担当している。高嶋は武道館公演を見たが、興奮してしまい覚えていない、自分の手の届かない存在になったことが嬉しかったなどと述べた。

浅井愼平は、ビートルズの凄さに気がついたのは当時の少女、大人がビートルズを聞くなと言うのは、心を奪われることに対する危険性だったなどと述べた。ビートルズを見に行くことを禁止する学校もあった。

学校をサボってビートルズ武道館公演を見に行ったイラストレーターの上田三根子は、アートカレッジ出身のジョン・レノンに憧れたから。上田は武道館で男の子に話しかけられたとして、ビートルズ展で撮られていた写真を持っていたなどと話した。そして、その男性と結婚したが今はセパレートしてしまったなどと話した。上田はビートルズが私の前に出現しなければ、絵の道に行こうとは思わなかったし、結婚もしなかった、私にとってはエポックメイキングな存在だなどと述べた。

ビートルズが日本に到着し、飛び立つまでの103時間に起きた旋風に身を晒した人、受け継ごうとする人がいた、それから約半世紀、アナザーストーリーはまだ終わっていない。

ビートルズはマニラ空港でもみくちゃにされた。ビートルズは、日本は素敵だったと発言した。それを聞いた山田は、無理を強いたけどよかった、分かってくれたんだと思ったなどと話した。名前を世に広めた写真集の最初のショットを撮った場所を浅井は訪れたが、今では拡張工事で地形まで変わってしまった。浅井は、ビートルズがいない20世紀を考えると暗い、それに上手く出会えた人は幸せだと思うなどと話した。

今年4月、日本武道館でポール・マッカートニーが49年ぶりのコンサートを行った。当時も訪れた人々が集まっていた。皆は、人生が変わった、ビートルズを聞いて音楽好きになったなどと話した。

日本滞在3日目。ポール・マッカートニーが脱走した。ポールは皇居を見たいと二重橋付近へ向かったが、5分後には警察に捕獲された。同時刻、ジョン・レノンも脱走し、原宿の古美術店へ向った。ファンに取り囲まれたジョンは、1時間後逃げるようにホテルに戻った。永島はビートルズが欲しいものを買えるよう、業者を何人も呼んだ。清水は、永島は来日したタレントに最上の日本を知ってもらうためになんでもする人だった、人間的にふれあう交流があったなどと述べた。浅井は同じフロアに泊まっていたが、ビートルズの部屋には入れなかった。ようやく部屋には入れた浅井は、ビートルズにはアイドル以上のものが感じられた、会えばただの兄ちゃんが音楽になると神がかる、それを天才と呼ぶのではないかなどと述べた。山田は、ライブ中に席を立てないファンの様子を見て不満気なビートルズを見て、抑え過ぎだと思ったが、警備は果たしたなどと述べた。

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