長嶋茂雄×王貞治〜”ON”として生きる〜 2015年5月4日放送回

放送日 2015年5月4日(月) 14:05~14:55
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
14:05~

王貞治と長嶋茂雄が、約10年ぶりに対談した。長嶋は“ミスタープロ野球”と呼ばれ、王は“世界のホームラン王”となった。二人は「ON」とは絆だったと思うと話した。

長嶋茂雄×王貞治〜”ON”として生きる〜 (バラエティ/情報)
14:07~

星野仙一、長嶋茂雄、王貞治が対談。昭和34年、王が巨人に入団し、春のキャンプで長嶋と王は相部屋になるも共同生活は10日しか続かなかった。王は当時を振り返り、寝相が悪く大部屋に移ったと話した。王は高校時代はエースで活躍。一方の長嶋はプロ入り後いきなり本塁打王・打点王となった。王はあまり緊張するタイプではなく、その性格はプロ向きだったと思うと話した。

昭和34年の天覧試合は、ONにとって大きな意味を持つ試合となった。両陛下が見守る中、王は同点ホームランを放った。王は当時はそれどころではなかったが、あの時が初めてのONアベックホームランだったと振り返った。長嶋は天覧試合でライバルとして出場した阪神・村山実投手が亡くなる寸前まであの打球はどう見てもファールだと話していたエピソードを話した。

ONとなった王と長嶋は、それぞれのスタイルでファンを魅了した。長嶋は歌舞伎の所作を真似たという華麗なプレーを見せ、“ミスタープロ野球”と呼ばれるようになった。長嶋は空振りしてもヘルメットを飛ばす姿が話題を呼び、野球は打つことも守ることも本当に好きだと話した。王は、当時の長嶋について自分がプレーするだけでなく客がどう思うかを考えていた気がすると話した。

テレビが急速に普及した高度経済成長期、ONのプレーはテレビで全国に伝えられた。当時の長嶋は“天才”、王は“努力の人”と呼ばれた。長嶋は当時の自分は、天才ではなく努力の人ではないかと話した。また星野は土井正三選手・黒江透修選手から聞いた、夜中に長嶋が全裸でバットを降っていたエピソードを紹介した。王は、その世界に入ったら自分の世界じゃないというくらい没頭できるところが長嶋の素晴らしさだと語り、とにかく球際が強く前の肩が最後まで止まっていたのは見事だったと話した。

王は一本足打法でホームラン王に輝いた。その裏には苦しみの日々があり、1年目の打率は1割6分1里、“王王三振王”と呼ばれていた。4年目に荒川博コーチと出会い、日本刀での練習に励んだことが転機となった。王は当時を振り返り、ピッチャーの動きに習うことでボールとの距離が取れるようになったと話した。その後、一本足打法を身につけホームラン王へと成長した。長嶋も一本足打法は本当に難しく、王の最高の技術だと思うと話した。

昭和51年に通算715号、翌年52年には通算756号を達成し、王は世界のホームラン王となった。王は当時の自分を“欲”と表現し、常に欲があり“次のホームラン、次の一本”という思いは人一倍持ち続けられたと話した。長嶋も欲が無ければあれだけのホームランは打てないと話した。

ONは9年連続日本一に輝き、プロ野球の黄金時代の立役者となった。長嶋の当時のライバルには、平松政次投手や金田正一投手がいた。一方の王の最大のライバルは江夏豊投手だった。長嶋は中日のライバルは星野だったと話した。星野は6歳年上の王との対決では経験したことのない凄みを感じたという。星野は、中でも集中一本足の時の王の集中力が印象的だと話し、長嶋は一本足には技術よりも上の科学的なものがある気がすると話した。

長嶋と王は打撃部門のタイトルを独占し、栄光の時代を築いた。長嶋は、王がライバルという意識は全く無く、タイプも全く違うため気持ちがいいと話した。ファンは王のホームランバッターを見に来ており、自分の場合は2ベースまたは人の間を打つといったように味わいが違ったという。王は、他のチームの人もそうだと思うが長嶋は特別な存在であり、存在感がありすごく羨ましい存在だったと話した。

昭和49年10月14日、長嶋茂雄が引退。長嶋は最後の試合でホームランを放ち、最後までスターだった。王も106回目のONアベック弾を放った。試合が終わると二人はファンのもとへ向かって挨拶し、長嶋は引退しても巨人軍は不滅だと話した。長嶋はファンへの挨拶は最初で最後であり、なんとも言えないくらい良かったと話した。

昭和55年、王貞治が引退。王は引退の年にも30本のホームランを打ち、通算868号を達成した。しかし、王は自分にとっては30本しかという感覚になり、自分自身の衰えを感じ技術者としてのもどかしさが出てきていたという。自分が4番になりチームも勝てなくなり、最終的には辞める決断をしたという。

昭和50年、長嶋茂雄は巨人の監督に就任。しかし、一年目は初の最下位となり、監督6年間で一度も日本一にはなれなかった。一方の王貞治は、巨人の監督を経て平成7年にダイエーの監督に就任。当時、17年連続Bクラスだった。二人は指揮官として苦悩した。王は当時を振り返り、実績が後ろに付いており、技術的なことや結果に関しては受け取る側が特別に考えてしまうと話した。

王はそんな中、「勝つ」というメッセージを伝え続けた。このメッセージは長嶋が監督として伝え続けようとしたことでもある。長嶋はプロとして当然やるからには勝つ気持ちが試合に出る時があり、やれるかどうかは勝負だから分からないと話した。王も、皆で勝とうという精神は前面に出したと話した。

2000年、長嶋は背番号3を復活。この年、日本シリーズで長島の巨人と王のダイエーが対決し、ON決戦となった。試合は巨人が逆転優勝を果たした。王はON決戦を振り返り、2000年という区切りの年でもあり、4勝2敗で負けた時はさすがジャイアンツだと思ったと話した。長嶋は王が頑張っていると思うと自分も頑張ろうという気持ちが出てきたという。

21世紀はトップ選手が次々と大リーグに挑戦し、世界を相手に戦う時代に突入した。2004年には長嶋がアテネ五輪代表監督となり、初めてプロ野球選手だけで結成された日本代表を指揮した。長嶋は当時、星野に「日の丸は重い。プレッシャーがかかる」と話していたという。長嶋は日の丸には味と重みがあると話した。

長嶋は大会の5ヶ月前に脳梗塞に倒れ、オリンピックで戦うことは出来なかった。病院に入り、体は言うこともきかない状況だったが当時の長嶋はそれでもアテネで監督をやるつもりでいたという。しかし医師から止められ、悔しい思いをしたと振り返った。

王貞治は2006年、WBCの代表監督に就任。王は戦いの舞台へ向かう時、長嶋がアテネ五輪のために作り託された日の丸のピンバッジを身につけていた。WBCで日本は見事に優勝を果たした。王は長嶋の熱い思いを受け継いで結果的に勝てたので良かったと話し、本当にチームの勝利のため、日本のために戦う選手の姿を見て日本の若い人も捨てたもんじゃないと感じたという。長嶋は今のような時代ならメジャーリーグに行きたい気持ちはあるが、アメリカに行く選手と行かないで日本で野球をする選手の差が非常に難しいと語った。

長嶋はこれからのプロ野球へのメッセージとして、プレーヤーがなんとしてもまずいい選手になることがいの一番であり、日本にスーパースターが何人いるかと考えると少しさびしい気はすると話した。王は、4打席立ったら3三振1ホームランという選手が欲しいと話し、そういう選手が出た方がファンは喜んでくれると思うと話した。

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エンディング (その他)
14:53~

王貞治と長嶋茂雄のこれまでの活躍を振り返った。

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