趣味どきっ! 姫旅 第6回「トップレディーへの転身〜北政所〜」

放送日 2017年1月19日(木) 10:15~10:40
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
10:15~

オープニング映像。

姫旅 華麗なる戦国ヒロイン紀行 (バラエティ/情報)
10:15~

乱世をたくましく生き抜いた女性をシリーズで紹介する。案内人は本郷和人さん、伊藤かずえさん、やすみりえさん。今回は豊臣秀吉の正妻・北政所。彼女自身が一流の政治家だった。北政所について、伊藤さんは「立派な方だったのかな」、やすみさんは「頼りになる女の人」と話した。

尾張の下級武士の生まれだった北政所は豊臣秀吉と結婚する。2人は当時で珍しい恋愛結婚だった。当時、秀吉は北政所より身分が低く、北政所の母親は秀吉のことをずっと、娘の夫と認めていなかった。そんな秀吉は”墨俣の一夜城”や”金ヶ崎の戦い”などで功績を上げ、長浜城城主となり、北政所は敏腕政治家ぶりを発揮した。

信長は毛利と戦う司令官に秀吉を抜擢した。 そのため、城に秀吉が不在となり、北政所が政治をすることになった。北政所は税金を取ったり、年貢を取ったりと長浜のまちづくりをしていた。さらに、北政所は武将たちの人材育成にも力を入れた。跡取りがいなかったため、豊臣秀次や小早川秀秋を養子に入れ、福島正則・加藤清正などの後の有名武将も育てた。

秀吉と側室の淀の間に鶴松が生まれた。側室の子でも正室が育てるのが一般的だったため北政所に育てたが3歳で亡くなってしまう。その二年後淀が出産し豊臣秀頼が誕生。今度は淀だけの子として育てた。淀の権力が上がっていったという。北政所と張り合うくらいになった。自らに子供はなく代わりに育てることもなくなった北政所にさらなる悲しみが襲い秀吉が死亡した。翌年北政所は大阪城を去った。自分から選んだのか、そうせざるを得なかったかを議論した。女は情に生きるためしがみつくことはないと話す。

京に移った北政所は静かな日々を過ごしていた。徳川家康が大阪城で政務を仕切り始めると慶長5年関ヶ原の戦いが起こり子飼いの武将たちが敵味方に分かれて戦ったという。北政所は子飼いの武将たちに家康に味方するようにと助言し徳川軍の勝ちとなった。秀吉の菩提を弔うため高台寺を建立し平和な世が来ることを願った。慶長19年家康が豊臣家を滅ぼすべく大阪城へ兵を進めた。調停のため大阪に向かった北政所は徳川勢に行く手を阻まれ大阪に行けなかった。翌年大阪夏の陣で大阪城が落城した。淀と豊臣秀頼は自害し滅亡した。時雨亭の2階から大阪城が滅びるところを見ていた北政所は手紙に申し上げる言葉もありませんと綴った。晩年は残された秀吉の遺品とともに静かに過ごしたという。霊屋の堂内には木造の秀吉と北政所が安置されている。豊臣家滅亡から9年後北政所は死去した。堂内したで静かに眠っているという。

信長が本能寺の変で討ち取られた後、秀吉は明智光秀と柴田勝家を撃破した。さらに大阪城を建てて、その権威を世に知らしめた。そして、秀吉は関白に任命された。北政所は天下統一のために、天皇家や公家との関係作りに力を注いだ。そして、天正16年に北政所は従一位に任じられた。従一位の上には正一位しかないが、正一位は神にのみ与えられるもので、実質の最上位だった。しかし、この幸せは長くは続かなかった。

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滋賀県立 名護屋城博物館
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福島正則
加藤清正
堺市博物館
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関ヶ原の戦い
本能寺の変
明智光秀
柴田勝家
高台寺
大阪城
大阪夏の陣
大阪冬の陣
時雨亭
鳥獣文様綴織陣羽織
東山区(京都)
霊屋

エンディング (その他)
10:37~

エンディング映像。

NHKテキスト 趣味どきっ!姫旅~華麗なる戦国ヒロイン紀行~の紹介と、電子版のURL。書店にないときは、NHK出版まで。

次回 第7回 悲劇のプリンセス~千姫~の予告。

本郷さんはまとめることはないので一言ずつ感想を言わせた。かずえさんは悔い無しだと思うと話した。姫川柳は照らす人の道揺るがずに飾らずにとした。

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