浅田真央 被災地への旅 2015年3月14日放送回

放送日 2015年3月14日(土) 20:00~20:45
放送局 NHK総合

番組概要

浅田真央 被災地への旅 (バラエティ/情報)
20:00~

2月2日、浅田真央さんが宮城・石巻を訪問。多くの命が失われた被災地にようやく来ることができた浅田真央さんは、日本中の期待を背負ってきたためにリンクを離れることができなかった。

浅田真央がどうしても訪れたかったのは、奇跡の一本松。「今回こうして来てみて、悲しいことがあってゼロからのスタートとなり、一度時はストップしてしまったと思うが、その後どんなことがあっても前に進んできたからこそここまで立ち直ってきたと感じた」「規模に比べれば小さいが、私もこれからの人生、後戻りはせず前に進んでいきたい」など語った。

2月2日、浅田真央さんが宮城 石巻を訪問し、長年親しまれてきたアイスリンクを訪ねた。震災当時、リンクの中にまで土砂が流入して再建は困難だと思われてきた。しかし、ボランティアや地域の人たちの力で、震災から9ヶ月後に営業再開にこぎつけたという。市内にある小学校の校庭には仮設住宅があるために体を動かすことができないため、生徒たちがリンクに集まってスケート教室を行っている。浅田真央さんもスケート教室に参加し、子どもたちにスケートの基礎から教えていた。

2月8日、浅田真央さんが福島 川俣町山木屋を訪問。ここは今も居住が制限されていて、至る所に放射線量を誇るモニタリングポストが立っていた。地域のスケート場を管理してきた菅野十一さんを訪ね、今は無人の山木屋小学校に案内された。小学校にも線量計があり、菅野さんはこれがある自体が不安だと話した。山木屋の人たちが大切にしてきた田んぼリンクに案内され、震災があった年の1月には田んぼの上に張った氷の上を滑る子どもたちの姿があった。スケート靴を貸し出していたプレハブ小屋は震災が起きた時のままで、時計は震災があった時間のまま止まっていた。

エンディング映像。

震災の時、幼い頃から心の支えだった母・匡子さん病死。深い悲しみの中で練習を続ける毎日に、東北の方とすごく重なる部分はあるのではと思うと話し、東北の方も頑張ってるから自分も頑張らなきゃいけないと元気づけられたと話した。

スケート教室で一緒だった後藤亜美ちゃんの自宅を訪れた。津波で大好きな祖母を亡くしたが、亜美ちゃんが人前で悲しみを見せることはなかった。そんな亜美ちゃんを母・ゆかさんは心配していたという。真央さんは亜美ちゃんが胸の内を綴った作文を読ましてもらい、亡くなった人に頑張るという亜美ちゃんの気持ちは真央さんも母を亡くした時に同じ経験をしたという。

スケート教室の翌日、真央さんは鮎川小学校を訪れた。真央さんを待っていたのは子どもからのお礼のサプライズで、この地域に伝わる牡鹿銀鱗太鼓の演奏を見せてもらった。

石巻を離れる日、真央さんは亜美ちゃんの祖母が津波にあった場所に向かった。郵便局があった場所に建物はなく、ポストだけが流されずにあった。

浅田真央は10日間かけて4か所の被災地を訪ねた。岩手・山田町では震災後に自粛していた伝統行事を見学し、去年から本格的に出荷を始めた カキの養殖を営む親子のもとを訪ねた。名物のカキ小屋にも活気が溢れていて、生産量はまだ少ないが質の良いカキを味わった。

リンクで元気に滑っていた子どもたちを訪ねて、川俣南小内にある山木屋小学校に向かった。生徒たちは浅田真央の訪問に驚き、浅田真央は生徒たちのスケート教室に参加した。

スケート選手としての夢を諦めるか思い悩む中学生とも出会った。川俣中内にある川俣中学校に通う佐藤風那さんは、原発事故の影響で部員は1人になってしまったという。スピードスケートの国体出場を目指してきた風那さんは、中学まででスケートを辞めようと思い始めているという。

両親と避難先の集合住宅に暮らす風那さんは、高校で国体出場を目指すには遠いスケートリンクに通うために親の送り迎えが必要になるという。震災後、共働きの両親に負担をかけたくないと風那さんは考えるようになったという。風那さんは浅田真央の言葉に“まだやりきっていない”と話し、“やめたくない”という思いを口にした。

キーワード
奇跡の一本松
牡鹿銀鱗太鼓
カキ
山田町(岩手)
川俣町山木屋地区(福島)
モニタリングポスト
川俣中
陸前高田(岩手)
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