古代中国 英雄伝説 司馬遷と武帝

放送日 2015年11月14日(土) 3:20~ 3:40
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
03:20~

紀元前2世紀、漢王朝は中央アジアにまで勢力を拡大していた。その時の皇帝が武帝であった。その武帝の行いを敢然と批判していたのは、歴史家の司馬遷。これが原因で司馬遷は宮刑を受けた。そして屈辱の中「史記」を書き上げた。

キーワード
史記
武帝
司馬遷

司馬遷と武帝 (バラエティ/情報)
03:22~

今実像が明らかになろうとしている匈奴。司馬遷は2000年も前に漢王朝の匈奴への態度を批判している。司馬遷は独自の文化を築いた匈奴への冷静な眼差しを持っていた。武帝について司馬遷は、武帝の治水の業績を書き記すが、武帝が20年以上治水を行わず実りがなかったとも書いていた。鶴間教授は、客観的に書くことで間接的に批判していたなどと話した。

4000年以上前に誕生した中国文明を記したのが司馬遷の書いた「史記」である。史記が完成したのは漢王朝の最盛期だった。西安の都に君臨したのが第7代皇帝の武帝で、武力で周辺地域を制圧していた。しかし、北方の遊牧民族匈奴との戦いに苦戦していた。その最中起こった事件をきっかけに司馬遷は史記執筆に打ち込むことになった。

武帝の名で匈奴討伐に向かった武将李陵は、3万の大群に5000の軍で奮闘した李陵だったが、敵わず李陵の捕虜となった。武帝や家臣たちが非難する中、太史公司馬遷のみは弁護しようとした。司馬遷は友人に宛てた手紙で、李陵は援軍が来なかったことで敗北したと綴った。援軍を指揮した将軍は武帝の側室の兄であることが分かっている。しかしその弁護が武帝の逆鱗に触れ、司馬遷には宮刑が与えられた。その後司馬遷は式の執筆に生涯を捧げることとなる。

武帝の宿敵郷土の人々を漢の人は夷狄と呼び野蛮で未解とみなしていた。紀元前200年前漢の創始者劉邦は、匈奴の騎馬軍団に大敗を喫した。以来、漢の皇帝は、匈奴を兄、漢を弟とし貢物を送り続けていた。この関係を断つのが武帝の悲願だった。武帝は強力な騎馬軍団をつくるため、優秀な馬を育てることに尽力した。軍備を充実させた武帝はついに匈奴に勝利し、北方へ追いやることに成功した。司馬遷は漢の人々が偏見とともに語った言葉だけではなく、匈奴の風俗・習慣・法制度まで詳しく記している。学習院大学の鶴間教授は、中国より劣っているではなく、中国とは違う文化であると綴っているところが面白いなどと話した。

戦争は武帝の死まで続けられ、国は疲弊していった。司馬遷の最後についてはよく分かっていない。しかし、死後400年ほど経った頃祠が作られ敬愛を集めるようになった。そこにある司馬遷の墓は13世紀に元の皇帝フビライ が修復させた。張意さんは、モンゴル族の先祖は匈奴と言われている、司馬遷は匈奴について史記に記し、歴史を後世に伝えてくれたなどと話した。

史記は平安時代の日本にも伝わっていた。国宝にもなっている史記の写本は、代々受け継がれてきた。日中戦争の最中、武田泰淳は代表作「司馬遷」を世に問うた。武田は著書の中で記録はおそろしい、記録は世界の記録になるし世界の記録は自然がなす、世界を見なおし考えなおすこととなるからだなどと綴っている。

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