NHKアーカイブス 響け!歓喜の歌〜日本人と第九〜

『NHKアーカイブス』(エヌエイチケイ- )は、NHK総合テレビジョンが2000年4月9日に放送を開始したテレビ番組である。2017年度より、『あの日 あのとき あの番組 〜NHKアーカイブス〜』(-ひ -ばんぐみ エヌエイチケイ-)に改題・リニューアル。NHKで過去に放送されたドキュメンタリーやテレビドラマの中から優れた作品を選出し、経年劣化した映像をデジタル処理で修復して、解説を加え放送する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2013年12月22日(日) 15:50~17:00
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
15:50~

年の瀬の風物詩となっている交響曲第九番。なかでも歓喜の歌は世界中の人に愛されてきた。その第九番の礎を築いてきたのが群馬交響楽団。当初は貧乏楽団だった群馬交響楽団は、楽団存続の望みを第九に託した。そして第九は岩手県釜石市でも歌い継がれてきた。時代を超えて歌い継がれる第九の魅力に迫る。(映像:プロジェクトX、にっぽん紀行)

今回は第九の魅力に迫る。ゲストの錦織健は毎年年末に歌っている、年末に歌うのは日本だけで、一年を振り返る機会になるなどと話した。第九をさきがけて演奏した群馬交響楽団の姿を追ったプロジェクトXの映像を紹介する。

キーワード
プロジェクトX
丸山勝廣
群馬交響楽団
交響曲第九番
釜石市(岩手)
にっぽん紀行

プロジェクトX 第九への果てなき道 (バラエティ/情報)
15:53~

年の瀬の風物詩となっている交響曲第9番歓喜の歌。この礎を築いてきたのが群馬交響楽団。群馬交響楽団は極貧生活をしながら演奏を続け、最後の望みを第九のコンサートにかけた。日本の音楽界に語り継がれる軌跡のコンサートが幕を開ける。

主題歌:「地上の星」中島みゆき

オープニング映像。

昭和18年。若者たちは戦地へむかい国内では軍歌が流された。群馬県高崎市では軍需工場の工員を前に軍歌を演奏する商店主たちの音楽挺身隊がいた。その中の丸山さんの歌声に松井さんは圧倒されたと話した。敗戦後、山田耕筰も戦犯だと非難される中、丸山さんはかつてのメンバーを集め高崎市民オーケストラ(のちの群馬交響楽団)を結成した。美しき青きドナウを演奏することに決め様々な楽器をオーケストラに組み込んだ。

昭和21年3月に演奏会が開かれ、熊井さんや多くの人が駆けつけ、美しき青きドナウが鳴り響いたが演奏はミスの連続だった。しかし演奏が終わると会場は拍手に包まれた。その後丸山は楽団に専念するもメンバーは仕事との両立で技術が上がらず客は少なくなっていった。その時丸山はプロを加えることを提案した。周りが反対する中、井上房一郎の資金援助の末、音楽家を呼び寄せた。

集まった音楽家10人はあてがわれた住まいに唖然とした。そしてメンバーたちは想像を超える極貧生活を送ることになった。

昭和22年。楽団に収入のあてはなく、演奏会を開いても客席は閑散としていた。この年、音楽の授業にクラシックがもうけられ、丸山は移動音楽教室を提案。楽団員たちは学校で演奏するが騒ぐ子供の前での演奏にビオラ担当の関口はとにかく嫌だったと話した。浅田裕子には子どもがうまれ子どもたちの顔が金に見えたという。子供の小遣いにたよるぎりぎりの暮らしが続いた。

1年後バイオリンの松井が丸山のもとにやってきて脱退することに。さらに安藤は父親に実家に連れ戻された。またピアニストの裕子は血を吐き倒れ、夫婦で退団した。

ある日山奥の学校に向かうとそこには演奏をしっかりと見学する子どもたちの姿があった。丸山たちはその光景に手応えを感じ、移動音楽教室は評判を呼び始めた。そして丸山は20歳の音大生に指揮を頼んだ。それが小澤征爾だった。小澤征爾は当時を振り返った。そして5年が経ち、市川喜一が移動音楽教室を映画にしたいと持ちかけてきた。

そして映画「ここに泉あり」は今井正が監督、岸恵子や小林桂樹が楽団員を演じることが決定。楽団員は音楽指導に駆け回った。丸山は脚本のラストシーンに強い期待を持った。記されているのは交響曲第九番の演奏。今井正はメンバーの演奏風景をみて最後のシーンは東京の楽団にやってもらうと話した。昭和30年2月に映画は公開され、ラストシーンは東京の楽団が演奏を行った。

群馬交響楽団の映画公開の数日後、丸山は楽団員に自分たちだけで第九に挑むことを宣言した。そしてかつての仲間たちが集まりはじめ資金面でも演奏を行うめどが立った。丸山は合唱団をどう集めるのか悩んでいたが、そこにかつて移動音楽教室で演奏を聞いた子どもたちが駆けつけた。資金、メンバー全てが揃ったが技術がいる演奏を成功させるために楽団員はそれぞれ練習を重ねた。

昭和31年1月7日。運命のコンサートの日が訪れた。会場はうめつくされ演奏開始。楽団員は練習の成果を発揮し、会場に歓喜の歌がこだました。演奏後、拍手は鳴り止まなかった。群馬での第九演奏会の成功は全国に広まり、その後各地にオーケストラが誕生。今では年300回、7万人の人たちが歌う。群馬交響楽団は平成5年にプラハで公演を行った。リーダーの丸山さんは平成4年に亡くなった。葬儀では小澤征爾の指揮で演奏が行われた。

丸山さんがはじめた移動音楽教室は今も続いている。現在のリーダーは風岡優さん。彼はかつて楽団員だった夫婦の長男。移動音楽教室は今年56年目を迎えた。

エンディング映像。

エンドテーマ;「ヘッドライト・テールライト」

キーワード
交響曲第9番歓喜の歌
群馬交響楽団
プロジェクトX
地上の星
中島みゆき
進め一億火の玉だ
高崎市(群馬)
山田耕筰
丸山勝廣
美しき青きドナウ
井上房一郎
風岡裕
市川喜一
交響曲第九番
今井正
岸恵子
小林桂樹
ここに泉あり
プラハ(チェコ)
ヘッドライト・テールライト

響け!歓喜の歌〜日本人と第九〜 (バラエティ/情報)
16:29~

第九と群馬交響楽団の映像を振り返り、錦織健は楽団リーダーの丸山さんのセンスがあったからこそ大変な状況を打開できたのではないかと話した。またはじめて音楽を聞く子どもたちには気を使う、気を引き締めて演奏するなどと語った。また地方楽団には地元意識があり頑張っている、文化に大きく貢献していると話した。

錦織健が群馬交響楽団と演奏を行う様子が流れ、錦織健は非常に洗練されたサウンドだった、熱い演奏だったと語った。さらに日本人が第九が好きな理由について、集団行動のイベントとして祝祭として連帯を表す行動ではないかと話した。海外では日本のこの行動に興味を持たれているという。

キーワード
群馬交響楽団
交響曲第九番
プロジェクトX
丸山勝廣

にっぽん紀行 届け!復興の歌声~釜石・歓喜の「第九」~ (バラエティ/情報)
16:37~

東日本大震災で校舎を失った釜石東中学校の生徒達は、市内の中学校を間借りし学校生活を送っている。「第九」に挑んだのは全校生徒187人。7割の生徒が自宅を流され、仮設住宅などから通っている。練習が始まったのは夏だった。ソプラノを坦当する萬海果さんは、音もタイミングもつかめないでいた。

東日本大震災当日、生徒達は高台に避難し助かったが、家族を失った生徒も少なくなかった。海果さんは5月から仮設住宅で暮らしている。妹と父親と3人暮らし。母親は津波で亡くなった。海果さんは妹と協力し、家族3人の生活を送っている。音楽が好きだった母親に元気な歌声を伝えたいという思いで練習している。

釜石の人たちにとって「第九」は特別思い入れのある曲。音楽の好きな市民が集まり、演奏会がはじまったのは33年前で、年の瀬には欠かせない行事となっていた。参加を申し出た釜石東中学校の生徒たちは、ポスターを手に仮設住宅などを回った。今年は津波の被害の為、演奏会の開催が危ぶまれたが、辛いことが多かった年だからこそ「第九」で締めくくりたいという市民の熱意で演奏会が実現した。

震災の年だからこそ歌いたい「第九」。生徒たちは「第九」がなぜ喜びの歌と言われているのか、歌の意味から学んだ。全体練習では取りまとめ役の沼崎健は自分達が伝えたいのは喜びであると、出だしのフロイデに力を入れる。

沼崎健くんが震災前に住んでいたのは、被害の大きかった地区。父親と自宅のあった場所へ行く時間を大切にしている。自宅も田んぼも流され、祖母や親戚も亡くなった。健くんが過ごしていた日常はあの日断ち切られた。今年だからこそ「第九」を歌いたい健くん。「一番の願いは前と同じような風景が見たい。その為に自分たちは挑戦していると伝えたい。」と話す。

12月11日の演奏会当日、保護者ら約800人の観客が学校に訪れた。演奏は恐怖のファンファーレから始まり、生徒ら187人の喜びをのせた第九が披露され、観客から温かい拍手を受けた。

演奏会が間近に迫った12月、生徒たちは第九への思いをそれぞれの言葉で綴った。そして演奏会の5日前には、指導にやって来た本番の指揮者と共に練習に取り組んだ。

キーワード
釜石市(岩手)
東日本大震災
第九
釜石(岩手)
津波
震災

響け!歓喜の歌〜日本人と第九〜 (バラエティ/情報)
16:57~

釜石の中学生が歌う第九の映像を振り返り、錦織健はベートーヴェンのテーマを体現している演奏だったと話した。さらにあらためて第九は苦しい時に希望を見出す共通認識として歌い継がれるとコメントした。

NHKアーカイブスのURL表示と次回予告。

キーワード
第九
釜石(岩手)
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