NHKアーカイブス 司馬遼太郎からのメッセージ

『NHKアーカイブス』(エヌエイチケイアーカイブス)は、NHK総合テレビジョンが2000年4月9日に放送を開始したテレビ番組である。2017年度より、『あの日 あのとき あの番組 〜NHKアーカイブス〜』(あのひ あのとき あのばんぐみ エヌエイチケイアーカイブス)に改題・リニューアル。NHKで過去に放送されたドキュメンタリーやテレビドラマの中から優れた作品を選出し、経年劣化した映像をデジタル処理で修復して、解説を加え放送する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2013年12月8日(日) 13:50~15:00
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
13:50~

1941年12月8日太平洋戦争が始まったが、作家・司馬遼太郎は日本はなぜ悲惨な戦争を始めてしまったのかそのことを考え続けた。司馬遼太郎の創作活動の原点は戦争体験で、学徒出陣で招集され戦争と軍隊の理不尽さを目の当たりにし、日本と日本人のあり方を問い続けることに生涯を捧げた。司馬遼太郎の生涯をたどったドキュメンタリー番組を通し司馬遼太郎からのメッセージを読み解く。

司馬遼太郎と親交があった作家・半藤一利がスタジオに登場。半藤一利は、司馬さんは付き合う人みんが惚れ込んでしまうような人たらしだったと話した。ETV特集 シリーズ司馬遼太郎の遺産第一回歴史からの視線の映像を見る。

キーワード
司馬遼太郎
太平洋戦争
ETV特集

1996 ETV特集 シリーズ 司馬遼太郎の遺産 第1回 歴史からの視線~日本人は何ものか~ (バラエティ/情報)
13:54~

ETV特集で妻の福田みどりが東大阪市にある司馬遼太郎の自宅で、司馬遼太郎がどのように仕事をしていたのかを話した。

平成3年、司馬遼太郎は文化功労賞を受賞した。その際、会見で自分の書いている作品は22歳の自分へ宛てた手紙で、日本人とはなんぞやということがテーマだったと話した。

昭和35年に司馬遼太郎は同人誌「近代説話」に載せた小説を改題した「梟の城」で直木賞を受賞しその後作品を世に送り続けてきた。しかし、平成に入ると土地問題や心のあり方などへの発言を続け今年2月この世を去った。1996年放送のETV特集では、作家・尾崎秀樹が司馬遼太郎の歴史の見方について、色々な面を見ていると話した。

昭和37年から産経新聞に連載された「竜馬がゆく」は、司馬にとって初の新聞連載小説だった。直木賞受賞の際に吉川英治が勉強不足だと言ったと聞いた司馬はこの連載に、1000万円近い取材費をかけ、この小説は竜馬を発見したとさえ評価された。昭和37年産経新聞の「竜馬」を書くにあたってでは、日本史の人物の中で坂本竜馬ほど男としての魅力に富んだ存在はないと思うと話している。1996年のETV特集で作家・尾崎秀樹は、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」について単に歴史を沮授するだけでなく現代的な視点から捉え、そこに国民文学としての広がりを持ち得たのではないかと話した。

昭和18年、学生であった司馬遼太郎は学徒兵として徴兵された。翌年満州に渡って戦車大一連隊に入英したが、それから日本の経済状況は悪化し戦車も見かけは大きくなるもののその材質は粗悪になっていった。「歴史と視点」では、戦車をヤスリで削ってみたところただの鉄にすぎなかったという話をしている。1996年放送のETV特集で司馬と同じ戦車隊にいた作家・石濱恒夫は、日本の戦車では戦争にならないということは良く承知していたと話した。

小説を22歳への自分への手紙と考えていた司馬遼太郎は、遠い時代から書き始めそれは「梟の城」などの伝奇的小説として知られている。ようやく「竜馬がゆく」によって取材に基づく戦国幕末の作品群となり、その後司馬の視線は殉死をきっかけに明治を作った群像へと向かい少しづつ22歳の司馬が生きた時代に近づいていっている。1996年のETV特集で磯貝勝太郎と尾崎秀樹は明治の国家に対する司馬遼太郎の考えは、ある時期から歪んでしまい批判的な視点がずっとあると話した。

明治期を描いた代表作である「坂の上の雲」では秋山好古、秋山眞之を主人公にし克明に描いた。昭和61年放送のETV8「昭和への道」で司馬は、戦略的なレベルで小説を書いてみたと話している。産経新聞「坂の上の雲」を書き終えてで司馬は、日露戦争の勝利によってみな現実認識を失い、ある意味で日本人を子どもに、その勝利の勘定書きが太平洋戦争の大敗北としてまわってきたのは歴史を持つ因果律といっていいと記してる。

昭和14年に起きたノモウハン事変では、司馬にとって重要な意味を持っている。ノモンハン事変は当時圧倒的勝利という報道で国民に宣伝されたが実際は、大敗北でありその事実を日本軍は隠蔽し続けていた。1996年のETV特集で磯貝勝太郎は、司馬さんはノモンハン事変を書こうとしていたが実際に書けなかったと話し、尾崎秀樹は歴史の中に惚れ込める人間像を見出すことが司馬さんの小説の出発点だが、その人間をノモンハン事変では見出すことが出来なかったのかもしれないと話した。

エンディング映像。

昭和20年に司馬の戦車第一連隊は満州から栃木県佐野市に移った。「この国のかたち」で司馬遼太郎は、この街の子どもの将来のために死ぬなら多少の意味があると思ったりもしたが、この辺りが戦場になればまず死ぬのは子ども達だと気付き愚かさに気づいたと話している。また「歴史と視点」では、敵が上陸してくる場合の要撃作戦について説明すべく大本営から人来た時に、戦車が南下し大八車が北上してくる場合はどうなっているのかを聞いたところ、引っ殺していけと言われたと書かれている。NHKスペシャル「太郎の国の物語」で司馬は、県民の方が先に死ぬというのは何だろうと思ったと話している。

1996年のETV特集で磯貝勝太郎と尾崎秀樹は日露戦争の実際の実情を国民に伝えていなかったため、事件が起こったと話した。「坂の上の雲」の取材で司馬が分かったことは、様々な事実が消え去ろうとしていたことであった。産経新聞「坂の上の雲」を書き終えてで司馬は、日本人は事実を事実として残すという感覚に欠けているのだろうかとし、太平洋戦争後も同じ事がおこなわれ、今も行なわれており、事実は全て残すべきであると記している。

司馬家に残されたノモンハン取材ノートからは、坂の上の雲の連載と平行して行なわれていたことが分かる。膨大な取材を重ねながらなぜ司馬は自らの体験に最も近いノモンハン戦記を書くことが出来なかったのか。1996年のEVT特集で妻の福田みどりは、司馬はノモンハンを書いたらもう自分は死んでしまうと話していたと語った。新潮社の川野黎子は、書いた方がいいと言ったことはあるが、そこでもノモンハンを書いたら死んじゃうと話していたとい言った。近代説話のメンバー・寺内大吉は、彼の到達時点を書きたくなかったのではないかと話した。

混乱するこの国の行末を深く憂いて司馬遼太郎は小説を辞め、後を我々にたくして平成8年2月12日に亡くなった。千鳥ヶ淵で司馬遼太郎はノモンハンをずいぶん調べたが、一行も書いたことがない。昭和を書いたらおそらく一年をもたずして死ぬんじゃないかと話していた。

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司馬遼太郎からのメッセージ (バラエティ/情報)
14:36~

半藤一利は「神田の古本屋街からソ連関係、ノモンハン関係の本がなくなった」という逸話を披露。「参謀本部の書くときに、ノモンハンを取り上げることで近代日本の一番良くない部分の結晶がでてくる」と司馬は語っていたという。「昭和は自分たちの好き勝手に国の行方を動かす人間が次から次へと登場した。しかもその連中が国民に知らせないで持っていくために装置を作った。その一つが統帥権だ」と考えていたという。「時代の転換点の人間を書くと一番人間というものがわかりやすい」と司馬は考えていたという。

半藤一利は「司馬さんは、自分の中に美のモラルと合理精神を持った人たちが一番正しいと。そういう人たちが昭和の時代にうまれてくれば、こんなに情報を隠して自分の好き勝手に国を引っ張っていく装置を作ったりせずにきちんとした国を運営したはずと考えていたのだはないか」と語った。他にも司馬が語った、小説を書くことの難しさなどについて半藤一利は話した。

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1996 ETV特集 シリーズ 司馬遼太郎の遺産 第3回 この国の行く末 ~現代日本への遺言~ (バラエティ/情報)
14:45~

1996年のETV特集の映像を振り返る。司馬遼太郎は、日本人への残された希望を子供たちに託した。小学6年用国語教科書に載せられた一文に、司馬は半年をついやした。編集第二部長・赤穂光男は、何回も書き直していたと話した。その「21世紀のきみたちへ」という文章には、友達が転び痛かっただろうなと感じる気持ちを作り上げ、その感情が自己の中でしっかり根付いていけば多民族への労りという気持ちも湧き出てくる。君たちさえそういう自己をつくっていけば21世紀は人類が仲良しで暮らせる時代になるのに違いないと書かれている。

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エンディング (その他)
14:59~

エンディングの挨拶。

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次回予告テロップ表示。

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