NHKアーカイブス 日中国交正常化40年(1)「日中友好の道をひらく」

『NHKアーカイブス』(エヌエイチケイアーカイブス)は、NHK総合テレビジョンが2000年4月9日に放送を開始したテレビ番組である。2017年度より、『あの日 あのとき あの番組 〜NHKアーカイブス〜』(あのひ あのとき あのばんぐみ エヌエイチケイアーカイブス)に改題・リニューアル。NHKで過去に放送されたドキュメンタリーやテレビドラマの中から優れた作品を選出し、経年劣化した映像をデジタル処理で修復して、解説を加え放送する。

出典:goo Wikipedia

放送日 2012年9月16日(日) 13:55~15:05
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
13:55~

オープニング映像。

日中国交正常化40年(1)「日中友好の道をひらく」 (バラエティ/情報)
13:57~

北京にある人民大会堂で、日本と中国は国交正常化の共同声明を発表し、歴史的な調印式を行っい、今年は丁度35周年を迎える。貿易交渉を通じて民間人ながら日中の国交正常化に苦労を重ねた岡崎嘉平太をねぎらうため、周恩来首相はわざわざ岡崎を北京へ招いた。

何連涛さん夫婦は、独身時代に周恩来と岡崎嘉平太の通訳を勤めていた。そして2人の縁結びをしたのは岡崎だった。結婚の祝いに岡崎から贈られたアルバムを見せてもらった。夫婦は「岡崎さんが今の日中関係の問題を知ったなら、居ても立ってもいられないだろう」と語った。

岡崎嘉平太は戦後経営危機にあった2つの会社を立て直した後、全日空の社長を務めた。その頃からいつも気にしていたのは中国のことで、隣の国といつまでも敵対しているのはおかしいと考えていた。精義塾には、同郷の後輩たちに語った岡崎の講演テープが残されていて、中国と向き合う大切さを熱く語っていた。岡崎は中国の重要性を認めていた松村謙三議員と意気投合した。

岡崎嘉平太が中国に関わるようになったきっかけは、中学時代から中国人留学生と親しく付き合ったことにあり、日中友好を目指す原点となった。さらに岡崎は、終戦までの8年間を上海で過ごし、中国人を深く知るようになる。当時小学生だった長男の岡崎彬さんは父親から中国人を差別するなと厳しく言われていた。

岡崎嘉平太構想を基にした貿易交渉が、高碕達之助議員が団長となり始まった。迎えたのは首相の周恩来だった。会談の通訳を務めた劉徳有さんは、岡崎と周首相2人の間に外交儀礼を越えた響きあうものを感じていた。

岡山県吉備中央町にある岡崎嘉平太の母校大和小学校には彼がとても大切にした言葉「人の身になって考えよう」という言葉が掲げられている。彼は、人間は1人では生きられない、だからこそ相手の立場になるのが何よりも大切と考えていた。

日中双方に貿易事務所を置くことが決まり、岡崎嘉平太は政府機関から優秀な人材を派遣してもらおうと外務省を尋ねたが、拒否された。次に岡崎は通産省に行き粘り強く説得を続け、通産省の渡辺弥栄司さんは岡崎の要求に驚いたが、先を見越した目に感心し人を派遣した。そして渡辺さん自身もスタッフに加わった。後に貿易事務所で仕事をした高向巌さんは「事務はするな中国人と向き合え」という岡崎の言葉を鮮明に覚えていた。

中国と貿易交渉を行う岡崎嘉平太達の行動は右翼団体から強い抗議を受ける。当時岡崎と常に行動を共にしていた金光貞治さんは、抗議活動の厳しさを見てきた。岡崎の長男の岡崎彬さんは家にも頻繁に脅迫電話がかかってきたという。岡崎と周恩来の通訳を務めた王效賢さんは、この貿易こそ貴重なパイプになったと見ている。

岡崎嘉平太が枠組みを考えだし周恩来がそれ認めてスタートした貿易協定は、国交断絶の状態であった当時大きな役割を果たした。日中の貿易協定が期限切れを迎え新たな契約が必要だったが、中国は佐藤栄作首相政権に強く反発し交渉を拒否した。激しいやり取りの中で岡崎と共に交渉にあたった田川誠一さんは一旦日本に引き揚げるべではないかと考えていた。議論の末、中国側も折れ日中覚書協定という新たな協定を結んだ。

国交正常化のためには様々な問題が残っていてそのひとつが戦争賠償金だった。しかし覚書貿易の会談で周恩来は、岡崎嘉平太たちへ戦争賠償金について取らないと話をした。

田中角栄総理が訪中する前に周恩来との本側の事前協議が開かれ、日中の国交正常化が決まる日に周恩来は岡崎嘉平太が北京に招かれていないことに気付いた。周恩来がすぐさま岡崎を呼び、岡崎も急いで北京へ向かった。その時岡崎に同行したのは高向巌さんだった。周恩来は岡崎を迎え食事会を開き、その時周恩来から言われたねぎらいの言葉を生涯忘れなかった。

岡崎嘉平太は日中の間で人と人をつなぐことに力を注いだ。深圳証券取引所を作るのに最も力を発揮したのは、日本で研修を受けたう国剛さんだった。当初中国政府は証券市場の導入に消極的だったが、岡崎は「教えるのはわたしの仕事 使うかどうかは決めるのはあなた方」と言い日本へ研修生を送るよう進めた。

日中の国交が正常化して4年後、周恩来は生涯を閉じた。その死を知った岡崎嘉平太はショックを受け、しばらく家から出られなかった。そして岡崎は後に、周恩来の生家を尋ねている。

国交が正常化した後も岡崎嘉平太の思いとは逆に日中関係をそこなう自体がしばしば起こる。そのひとつが歴史教科書問題だ。岡崎は日本が過去の過ちを隠そうとすることについて、日頃批判を行なっていた。岡崎が周恩来に初めてあ会った時に通訳をした劉徳有さんは岡崎から、アジアを良くしようという周恩来の言葉に対して日本人は十分答えているだろうか、と綴られた手紙を受け取った。

岡崎嘉平太は90歳を超えてからも中国各地を訪ね旅を続けた。岡崎の旅はいつも、中国を初めて訪れる人を連れて行った。岡崎は少しでも日本人が中国の人と食事をし会話を交わす機会を作ろうとした。岡崎は100回目の旅を終えた3ヶ月後に9年の生涯を終えた。棺には敬愛する周恩来の写真が添えられた。

吉備中央町にある岡崎嘉平太の墓には中国人たちが今なおお参りに来ている。銭新さんは中国から日本へ留学し、家族と一緒に日本で暮らし、子どもは日本の学校へ通った。家族ぐるみで日本人と付き合い日本を深く理解できたことが何よりの財産だという。

周恩来の故郷と岡崎嘉平太の故郷は交流を続けている。去年岡山県吉備中央町から8人の中学生が周恩来の故郷淮安市を訪れた。中学生たちは中国人の家でホームステイを体験した。今年は中国の子どもたちが岡山を訪れホームステイをする予定だ。

天児慧さんは「岡崎嘉平太の生き方は日本の中国侵略の尖兵隊長のような役割をしていて、岡崎が語った間違ったことはしっかり認識すべきだというのは自分のことを語っている」などと話した。加藤嘉一さんは「国交がない時代に人と人として深い感情を国家につなげていったことは本当にすごい」などと話した。

反日デモが起きていることをどう思うかと問われた加藤嘉一さんは「どちらか一方に責任を押し付けるのは建設的ではないしお互いの立場を再認識して交流を深めていくことを呼びかけた」などと話した。

香港のテレビに出てから、中国で最も有名な日本人になった加藤嘉一さんはその後コラムニストやテレビのコメンテーターとして活躍している。加藤さんは日中の架け橋を目指している。

ゲストの早稲田大学大学院教授の天児慧さん、元北京大学研究員の加藤嘉一さんを紹介した。

天児慧らが「日中関係についてまじめに考えている人達がたくさんいる その人達が発信をしないと伝わらない いろいろな形で双方を理解しながら日中関係をしっかりしたものにする そういう発信が大切」などとトークした。

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