原爆復興〜立ち上がった長崎市民〜 2013年8月3日放送回

放送日 2013年8月3日(土) 16:00~16:50
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
16:00~

長崎市は、昭和20年8月9日に投下された原爆で多くの死者を出した。市民らによって作られた復興会社による取り組みを特集する。

キーワード
長崎市(長崎)

復興〜長崎原爆 市民の記録〜 (バラエティ/情報)
16:03~

長崎県営野球場のすぐ近くに、原爆は投下された。原爆で家と肉親を亡くした深堀好敏さんが、当時の思い出を語った。戦後直後は、行政による復興支援はほとんど行われなかったという。

長崎市では町内会長らが発起人となり、「大長崎建設株式会社」を設立し、長崎の街を作り上げていった。大長崎建設の、中部悦良初代社長を紹介。長崎魚市場は、終戦直後に取引を再開させた。長崎県立図書館に保管されている、長崎県の戦災都市復興委員会の議事録には、政府に依存せずに自力で復興する決意が書かれている。

大長崎建設株式会社は、長崎駅前バスターミナルや、長崎市公会堂などを建設した。石丸紀興さんは、大長崎建設による復興作業を調査している。大長崎建設は昭和54年に倒産し、会社の記録はほとんど残されていないため、元社員らにインタビューして調査を行った。

大長崎建設の元社員である小川春海さんは、工業高校で建築を学んだが、戦争でほとんど授業を受けることができなかった。小川春海さんが、かつて大長崎建設が手がけたアパートの跡地を訪れた。

大長崎建設では、行政に代わって住民との土地取引も行なった。当時、大長崎建設が地主に発行した証書を紹介。

長崎市立城山小学校の卒業生である下平作江さんが、戦争当時の思い出を語った。原爆被害を受けた当時の、長崎市立城山小学校の写真を紹介。長崎市立城山小学校には、当時の町内会長で学校復旧に尽力した杉本亀吉の銅像がある。

長崎市立城山小学校の復旧に尽力した杉本亀吉の息子である、杉本典夫さんにインタビュー。原爆投下された長崎市の城山地区は、行政から放射能のおそれがあるため移転するように通告がされたが、杉本亀吉ら住民は復興に取り組んだ。

長崎市立城山小学校が復旧された当時の、ニュース映像を紹介。杉本亀吉は長崎市立城山小学校を復旧するために、市民から募金を募った。

長崎県営野球場のすぐ近くに、原爆は投下された。原爆で家と肉親を亡くした深堀好敏さんが、当時の思い出を語った。戦後直後は、行政による復興支援はほとんど行われなかったという。

大長崎建設の中部悦良初代社長は、復興に携わるための人材を育成する、長崎高等工学校を設立した。大長崎建設の社員は、長崎高等工学校の卒業生が多い。長崎ロープウェイの工事を担当した平澤知二良さんが、中部悦良社長の思い出を語った。

大長崎建設株式会社は、長崎駅前バスターミナルや、長崎市公会堂などを建設した。石丸紀興さんは、大長崎建設による復興作業を調査している。大長崎建設は昭和54年に倒産し、会社の記録はほとんど残されていないため、元社員らにインタビューして調査を行った。

大長崎建設の元社員である小川春海さんは、工業高校で建築を学んだが、戦争でほとんど授業を受けることができなかった。小川春海さんが、かつて大長崎建設が手がけたアパートの跡地を訪れた。

大長崎建設では、行政に代わって住民との土地取引も行なった。当時、大長崎建設が地主に発行した証書を紹介。

長崎市立城山小学校の卒業生である下平作江さんが、長崎市立城山小学校に現在通う生徒たちに、戦争中や終戦直後の体験を語った。終戦直後は生活苦などから、自殺した人もでたという。

長崎原爆病院の設立にも、杉本亀吉は尽力した。下平作江さんが、杉本亀吉に仲人されたエピソードを語った。下平作江さんが、杉本亀吉の墓参りを行った。

大長崎建設の元社員らが、稲佐山展望台に登り、大長崎建設によって復興した長崎の町並みを眺めた。

キーワード
長崎市(長崎)
大長崎建設株式会社
長崎魚市場
中部悦良
長崎駅前バスターミナル
杉本亀吉
長崎県営野球場
長崎県立図書館
長崎市公会堂
長崎高等工学校
田川務

エンディング (その他)
16:47~

エンディング映像。

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