紀の国スペシャル「私たちがふるさとを守る〜釜石で過ごした3日間〜」 2013年6月20日放送回

放送日 2013年6月20日(木) 2:16~ 3:00
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
02:16~

平成24年12月23日、和歌山県田辺市立高雄中学校の2年生が、東日本大震災の被害に遭った岩手県釜石市を訪れた。彼らの住んでいる町はいつか巨大地震で大津波に襲われるといわれており、犠牲者を出さないためには何ができるのかをこの釜石市で探した。

キーワード
釜石市(岩手)
東日本大震災

私たちがふるさとを守る~釜石で過ごした3日間~ (バラエティ/情報)
02:18~

和歌山県田辺市は、南海トラフの巨大地震では最大で12mの津波に襲われると想定されている。田辺市立高雄中学校は近くの川を津波がさかのぼり、浸水する恐れがある。今、和歌山県の小中学校では、津波に備える授業がおこなわれており、群馬大学大学院の片田敏孝が指導に当たっている。授業では何度も避難ルートを歩き、幼い子供にとって危険や歩きにくいルートがないかどうかを探した。

和歌山県田辺市立高雄中学校の生徒達が、釜石市にある根浜地区に到着。この地区では60戸の住宅全てが津波に流された。生徒達は石碑の前で黙祷を捧げ、旅館へと移動。旅館も津波の被害に遭い半壊したが、昨年1月に営業を再開。

釜石市を訪れた田辺市立高雄中学校の生徒・瀧本優一くんは、危険をおかしてでも人を守りたいと悩んでいた。そう思ったきっかけは、自身の学校よりも100mほど海に近い幼稚園と合同で避難訓練をしたとき。幼稚園へ小さい子どもを助けにいくことは、海に近づくということで、それでも助けたいと思う気持ちが強くなったという。

釜石市にやってきて1日目の夜、瀧本くんらは津波が迫ってきたときにそばに幼稚園児たちがいたらどうするかなどといったことを話し合い、そのあとこの日に起こったことを作文にした。

釜石市にやってきて2日目、和歌山県田辺市立高雄中学校の生徒達は震災語り部の伊藤聡さんの案内のもと、釜石市内を歩いた。激しい揺れのあとに釜石の子供たちが避難を呼びかけながら駆け上がった高台を訪れ、そこで伊藤さんはとある6歳の女の子の話をした。この6歳の女の子は、お母さんが流されて亡くなったとわかっている状態で、「私、津波より強い人知ってるよ。“高い所に逃げる人”」と発言したという。

釜石市を訪れた和歌山県田辺市立高雄中学校の生徒・山本緋里さんは、津波から人を守る建造物よりも、津波から逃げる助けとなるものの方が大切なのではないかと感じていた。田辺市で地域のお年寄りたちとの訓練の際、一緒に避難ルートを歩いたときに気づいたという。

語り部の伊藤さんと町を歩いた後、山本さんは他の生徒たちとどのようにお年寄りたちを避難させたら良いのかを話し合った。

2日目の午後、和歌山県田辺市立高雄中学校の生徒達に、一番会いたいと思っていた人との出会いがあった。震災当時、釜石東中学校の3年生だった女子生徒2人との出会いで、2人と一緒に避難したルートを一緒に歩いた。学校があった場所は鵜住居小学校の近くで津波が来ないとされていたエリアだったが、津波は屋上を越えていった。釜石東中学校の生徒たちが逃げ込んだ場所は、学校から800mほど離れた場所にある施設だった。

高雄中学校の生徒たちは、釜石市を訪れる前に絵手紙を描いていた。絵手紙は、クリスマスの仮設商店街で手渡した。

3日目、和歌山県田辺市立高雄中学校の生徒達は釜石市立釜石東中学校の仮設校舎を訪ねた。震災当時に防災委員のリーダーをしていた女子生徒が待っており、災害を前に中学生に何ができるのかを話し合った。幼稚園児との避難で悩んでいた瀧本くんが質問すると、「幼稚園児だから避難できないわけではないということを思った。自分の命が危ないというのがはっきりわかる」と語った。

田辺に帰るときが近づいた生徒たちは、釜石の海を見に海岸を訪れた。

旅館で、女将が生徒たちに震災での体験を語った。三陸大津波は必ずやってきて、30年以内には来るといわれていたが、震災当日はついにその日なんだと思ったという。地震直後の映像に、女将の姿が映っていた。女将は津波が迫る中、ギリギリまで避難を呼びかけ続け、そして全員を高台へ登らせたあとに津波にのまれた。女将は水面から出ようとあがいたときにガレキだと思ってつかんだものが人の手であり、無事救出された。

キーワード
田辺市(和歌山)
シンサイミライ学校
東日本大震災
群馬大学大学院
釜石市(岩手)
根浜地区(岩手)
津波
津波てんでんこ
  1. 6月20日 放送