新しい根 被災地に〜南三陸に移り住む若者たち〜 2013年1月14日放送回

放送日 2013年1月14日(月) 10:15~11:00
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
10:15~

東日本大震災からまもなく2年。津波で大きな被害を受けた宮城県南三陸町では、震災のあとこの漁業の町は人手不足に苦しんでいる。若者たちは、地元の人たちと時間をかけて復興に取り組もうとしている。今回は、被災地に新しい根をおろそうとしている若者たちが、地元の人たちとともに歩み始めた日々をみつめる。

キーワード
東日本大震災
南三陸町(宮城)

新しい根 被災地に~南三陸に移り住む若者たち~ (バラエティ/情報)
10:17~

津波で800人近い犠牲者を出した宮城県南三陸町は、建物の土台やがれきを取り除く作業が続いている。復興を支えているのは、全国から集まったボランティア。仮設住宅は高台に作られ、住民の1/3がここで避難生活を送っている。

大工の熊谷哲典さんは、ボランティアへの参加をきっかけにこの南三陸町に移り住んだ。仮設住宅では手すりを取り付けたりなど、頼まれたことを何でも引き受けた。この町に初めて来たときは数ヶ月で帰るつもりだったが、仮設住宅に住む人との出会いがきっかけでとどまることに。

熊谷さんが出会った畠山鉄雄さんは、ワカメやホヤの養殖を手がける漁師。仲間と協力して養殖を再開。そんな畠山さんたちと親しくなった熊谷さんは、いろんなことを手伝うようになった。そして熊谷さんはこの南三陸町に工務店をオープン。畠山さんたちのために漁師小屋をつくり、材料は自分で寄付を募り集めた。

現在熊谷さんは、仮設住宅で暮らしている。この仮設住宅で暮らすことを決めた後、地元の女性と知り合って結婚。妻は震災前に離婚し、津波で家を流され子ども2人と一緒に仮設住宅で暮らしていた。熊谷さん自身も長い間家族と呼べる人がおらず、ずっと一人で暮らしてきていた。

南三陸町では、震災から半年後に仮説の魚市場が再建された。秋鮭漁の最盛期を迎え、震災前の8割ほどまで水揚げ量が回復する見込みとなった。魚市場の向かい側には水産加工場が再建され、ここで大阪からやってきた山本真裕さんが働いている。ボランティアとしておととし初めてこの町を訪れ、そして今この水産加工会社に就職した。

山本さんは以前、大阪で長距離トラックのドライバーとして働いていた。人と交わることが少なく、自宅に帰れるのも週に1~2度。生活を変えたいと仕事を辞め、その後軽い気持ちでボランティア活動に参加したが、魚市場で地元の人たちと力をあわせて働き、ドライバーのときに感じられなかったやりがいを感じたという。そんな山本さんは、加工会社を立て直そうとしている山内大輔さんを頼りにしている。

山本さんの仕事が終わるのは夜7時。ボランティア団体が借り受けている一軒家で生活しており、10人のボランティアとの共同生活を送っている。山本さんは、12月から水産加工会社で働くことが決まった。

震災で失われた思い出を新たにつくる手助けをしたいと、南三陸町に移り住んだ浜野浩行さんは、名古屋出身のカメラマン。はじめはボランティアとして、がれきに埋まる写真を洗う手伝いをしていたが、写真が見つからず悲しむ人の姿を何度も目にし、そうした人たちのために家族の写真の撮影をおこなっている。ある日、海の近くなった自宅が流されてしまった小山さんの家族を訪ね、撮影してほしい写真の希望を聞いた。

小山さん一家は、震災時全員別々の場所にいた。再開できたのは4日後だった。小山さんたちは、海を背景に写真を撮影。

小山さん一家のように、浜野さんが撮影した家族の写真を紹介。

大工の熊谷さんが、移り住んでから初めての住宅建築に取り掛かった。この町で取り組まれている高台への移転事業だが、未だ工事が始まらずに待ちきれず自分で家を建てる人が増えている。

熊谷さんは妻・夏海さんの両親との食事会に参加し、家族になったことを報告。夏海さんの両親は熊谷さんを紹介されたときすぐには受け入れられなかったという。

水産加工場で働き始めた山本真裕さんは、南三陸の一員になれそうだと感じている。ある日、魚市場で知り合った南三陸の若者と会った山本さんは、自身が南三陸町の復興にどこまでかかわるのか、その思いを語った。

熊谷さんが手がけた家が完成。そしてこの家の建築を依頼した三浦さんが、完成した家を見に訪れた。

2013年元旦、熊谷さんは南三陸町に移り住んでから初めて迎えた正月に家族で初詣に行った。水産加工場で働く山本真裕さんは町の復興のために何ができるのかを考えている。

キーワード
東日本大震災
南三陸町(宮城)
志津川漁港
南三陸ふっこう青年会

スポット

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  1. 1月14日 放送