伝えてピカッチ選 2013年1月1日放送回

放送日 2013年1月1日(火) 13:05~13:50
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
13:05~

栗城史多はこの秋、たった一人でエベレスト登山をした登山家。自分で自分を撮影しながらこれまで、世界7大陸最高峰の6つの山を制覇。弱音を吐きながらも登山をする彼の姿に、動画を見た人が胸を打たれている。しかし、エベレスト登山は3度失敗。番組では、4度目の挑戦を取材。

キーワード
エベレスト

ノーリミット 終わらない挑戦 (バラエティ/情報)
13:08~

2012年9月12日、エベレスト標高5300mにあるベースキャンプに今年も戻ってきた栗城史多。ここには、彼を手助けする仲間がおり、天候などを知らせてくれる。そして、いよいよ一人きりの登山開始。彼は今回、難易度の高い登山道を選択。最初の難関は、キャンプ1までの間にあるアイスフォール。クレバスという巨大な氷河の裂け目など、いつ崩れるかわからない中、進む。

次に広がるのは、ウェスタンクウムと呼ばれる雪の谷間が広がる。栗城史多は一人で切り開いて行く。こうして2日かけてキャンプ2へたどり着いた。ジェットストリームが吹き荒れ、氷点下50度を下回り、一度はベースキャンプまで戻った。合間には、自分で撮影した映像をインターネットで配信するのが彼のこだわり。

栗城史多は、登山とは全く無縁の生活を送って、高校を卒業後に東京へ上京しフリーターになったが、都会生活が合わずに引きこもった。栗城は目的なく生きていたと当時を振り返った。そんな栗城は友人の誘いで始めた登山に魅了されていった。自分の登山する様子を知ってもらうために撮影した映像の配信も始めた。彼の挑戦に感動している人々が多くいた。阿部由紀さんもその一人だった。

3.11、阿部さんが暮らす石巻市は東日本大震災で被災し、これから先にどう生きていって良いか悩む中、栗城史多の動画を見続けた。シシャパンマから滑落してなお、栗城はエベレストへ挑戦すると宣言し、阿部さんは挑戦し続けるプレッシャーを前向きに変える力が彼にはあるんだと気付かされたと語る。栗城が初めてエベレストへ挑戦したのは2009年。以後毎年挑戦したが失敗され、周囲からは下山家と罵られた。心と身体の限界でも、今度こそ登頂すると栗城は決意。

2012年10月9日、栗城史多は再びベースキャンプを出発。これが今季最後の挑戦になる。暴風の中、キャンプ2まで1日で到達した栗城の身体には異変が起きていた。指が腫れて曲がらない。4日後、風がおさまった時を狙ってキャンプ3へ出発。道のりは滑落の危険がある場所。午後、無事にキャンプ3へ到着したが、薄い酸素で身体はむしばまれていく。そして、天候が安定しないためキャンプ3に滞在。

10月16日、栗城史多はキャンプ3を出発する事を決意。午前10時、キャンプ4へ向けて出発し、無事に到着し着実に山頂へ近づいてきた。標高7500mはデスゾーンと言われ、いるだけで死が近い。一刻も早く登頂しなければならない。栗城は、いつになく体調が良いと感じていた。

そして、午後7時過ぎ、山頂へ出発した栗城史多。時折、ツイッターで状況を呟きながらも山頂を目指す。頂上付近は台風並みの風が吹き荒れ、12時間後、栗城は下山を決めた。下山を決めたが40分経っても動けない栗城は手を動かす事が出来なかった。

日没まで3時間。それまでに救助隊と合流できなければ朝まで待たなければならない。しかし、合流は出来ず、キャンプ4に栗城は滞在。指が動かず、水も飲めない中、栗城は希望を失いかけていた。ツイッターでエールを送る人達のメッセージが栗城にも伝えられた。そして夜が開け、栗城は生きて帰ってきた。

栗城史多はエベレストから下山し東京で治療を受けていた。全ての指が凍傷で動かない中、ブログを更新。生きることを選び下山したが、頂きは自分にとって全てで、脳裏に頂きが見える以上は両手の指がなくてもまた、登り生きていきたいとつづった。

キーワード
エベレスト
クレバス
マッキンリー
ダウラギリ
石巻市(宮城)
東日本大震災
シシャパンマ
ツイッター
東京都

エンディング (その他)
13:48~

エンディング映像。

スポット

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