ガマンの芸術 〜日系人強制収容所で生まれた尊厳の芸術〜 2012年11月10日放送回

放送日 2012年11月10日(土) 15:05~15:35
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
15:05~

太平洋戦争の最中、砂漠の強制収容所に送られた日系人たち。彼らは収容所の中で、生きるために芸術作品を作った。

キーワード
太平洋戦争
尊厳の芸術展

The Art of Gaman ~強制収容所で生まれた“尊厳の芸術”~ (バラエティ/情報)
15:06~

アメリカ・ワシントンのスミソニアン博物館で開催された「The Art of Gaman」は全米で25万人を動員し、反響を呼んだ。そこに展示されていたのは、太平洋戦争中の砂漠の強制収容所で、日系人たちが、廃材や拾った石、ガラスの破片など、ゴミ同然の材料とありあわせの道具から創りだした日用品や芸術品の数々で見る人の感動を呼んだ。企画者のデルフィン・ヒラスナさんは「作品を見るたびに、それらを生み出した人々の想像の豊かさに強く心を動かされる。作品は語っている。『砂漠でもどこへでも追いやるがいい。それでも私の想像力を奪うことは出来ない。私は必ず何かを成し遂げる。これは私たちの魂の表現だ。私たち流のGamanなのだ』」と語る。

アメリカで暮らす日系人が、強制収容所に送られることになったのは1942年、太平洋戦争最中のことだった。日本軍と密かに連絡をとり、破壊活動をする恐れがあるとして、日本国籍を持つ1世のみならず、アメリカ国籍を持った2世、3世まで、12万人の日系人らが収容所へと送られた。全米10カ所に作られた収容所の多くは砂漠に設けられ、その中の1つ、マンザナール強制収容所は冬は-20度、夏は45度まで気温の上がる厳しい環境の中にあった。苦労して手に入れた家財道具や家を奪われ、バラック小屋に押し込められた日系人たちは、砂漠にタマリスクなどの木を植え、日用品を作った。

日系人たちは、枯れ木や曲がった潅木などを用いて、牛や鶴、蛇などの作品を作った。蛇を作った小畑瀧蔵さんはほかにも砂漠に散らばった木切れから、犬や鷲など様々なものを創りだした。小畑さんは薬剤師になりたいとの志を持って17歳の頃に渡米したが、その夢は日系人に向けられた差別や偏見によって打ち砕かれた。その後、誠実な人となりが評価され、農場主として名を馳せるようになったが、1942年、強制収容所に送られ、全ての財産を失った。そんな中にあって、小畑さんは、砂漠の木切れからさまざまなものを創造して命を吹き込んだ。

ナイフやハサミ等、作品を生み出すための道具も手づくりで、その材料も鉄スクラップなどありあわせのものを使った。鋏を作った男性は、他にもペンチ等を作り、何度も修理しながら使った。

「尊厳の芸術展」は東京上野、東京芸術大学美術館にて12月9日まで開催している。

尊厳の芸術の中で、特に人々の心を動かしているのが、不毛な収容所生活の中でも礼節を失わない日系人たちの心の美しさだ。日系3世のジュールさんは、収容所で杖を最も多く送られた西長徳さんを父に持ち、彼は19本の杖について、それぞれ誰からもらったかを覚えていた。ジュールさんは「それぞれ思い出があったのだろう」と語った。西さんは収容所の歯科医師で夜遅くまで差し歯や入れ歯を作る人柄で信頼を集めていた。そんなある時、収容所の日系2世の若者が中心となって編成されたアメリカ陸軍第442連隊に加わっていた息子が戦死したという知らせが届いた。以来、悲しみにくれ、外にも出歩かなくなった西さんに、友人や患者たちが廃材とダンボールにガラスの粉を擦りつけたヤスリを使って杖を送った。その19本の杖の内、西さんが最も気に入った杖には「寝ろ寝ろと 起こされて居る 涼み台」と1句刻まれている。ジュールさんは「父は心のそこからみんなに感謝していた。日本人は非常に誇り高く、後世に残るものを遺すことが非常に大切だったのだと思う」と語った。

いつ終わるとも知れない収容生活の中、尊厳の芸術は逆にそのバリエーションを爆発的に増やしていった。収容所ではオモチャも手づくりで、男たちが「嫁取り」を競い合うゲームや、マヨネーズの瓶を使った増加のディスプレイなどさまざまなものを創りだした。また、ブローチの鳥の細やかな足には有刺鉄線が使われ、玉ねぎ袋を解いた紐が、小物入れやカバンに姿を変えた。貝殻のアクセサリーは、簡素な服しか着られない女性たちのせめてものオシャレだった。

これまで尊厳の芸術に光があてられてこなかった側面には、戦後を生きる子や孫の世代にアメリカに馴染んでほしいという親たちの願いがある。日系人で、戦後に生まれたパットさんは、「父と母は、収容所のことを話すときは良いことばかり話していた。私もそこに住みたいと思っていた」と語り、また、両親が結婚直後に収容所送りになったことは長いこと知らされなかったと続けた。

パットさんは、両親が送られたというトゥールレイク収容所の跡地に向かった。トゥールレイク収容所には、アメリカへの忠誠を特に拒否した日系人数人が送られ、監獄の様子や壁に刻まれた文字を見て、パットさんは「なんて悲しいの」とうつむいた。また作品に使われた無数の貝殻は、地面をひたすら掘らないと見つからない場所にあったのを知り、パットさんは「両親の気持ちがどのようなものであったのか分かって嬉しかった。両親が私達に伝えたかったのは悲しみにくれることではなく、未来を見ていきなさいという事だったのだと思う」と目に涙を浮かべた。尊厳の芸術は、70年の時を経てようやく光が宛てられた。その作品は、今を生きる私達に、生きる意味を強く問いかける。

日系人博物館の館長を務め、自身も日系2世として両親とともに収容所生活を経験したジミーさんは「20フィート四方の部屋に家族6人が押し込められた。床にひびが入り、ほこりが入ってきて大変でした」と当時の生活を語った。収容者には番号が付けられ、監視するアメリカ兵からは名前ではなく番号で呼ばれる生活が続いた。ジミーさんの父、山市兼一さんは、砂漠から拾った一枚の木切れに、自らの名前をほり込んでバラックに掲げた。山市さんはジミーさんに、「たとえ無意味であっても前に進むしかない。それが人生なんだ」と繰り返し言って聞かせた。

「尊厳の芸術展」は東京上野、東京芸術大学美術館にて12月9日まで開催している。

キーワード
スミソニアン博物館
ワシントン(アメリカ)
太平洋戦争
The Art of Gaman
尊厳の芸術展
上野(東京)
マンザナール強制収容所跡地
タマリスク
山市兼一さん
日系人博物館
表札
小畑瀧蔵さん
ナイフ
西長徳さん
アメリカ陸軍
尊厳の芸術
トゥールレイク収容所 跡地

エンディング (その他)
15:32~

エンディング映像。

尊厳の芸術展の宣伝。

キーワード
尊厳の芸術展
上野(東京)

にっぽん再発見 KANAGAWA 私のとっておきの1枚 (バラエティ/情報)
15:34~

横浜市の大黒ふ頭で撮影された作品「帰り道の風」が紹介された。通勤中に全身に風を受けてヘルメット越しに見えた富士山が写真を撮るきっかけになったという。

キーワード
大黒ふ頭
横浜市(神奈川)
  1. 11月10日 放送