追跡者 ザ・プロファイラー ヒトラー 独裁者という名の怪物

放送日 2012年9月29日(土) 1:30~ 2:30
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
01:30~

オープニング映像。

アドルフ・ヒトラー (バラエティ/情報)
01:30~

岡田准一が挨拶し、歴史を飾った人物の横顔(素性)を紹介すると説明した。そして今日は「アドルフ・ヒトラー」であると紹介し、今日の内容をダイジェスト映像が流れた。

アドルフ・ヒトラーは16歳の時に面識のない女性にラブレターを送っていたという。アドルフ・ヒトラーはオーストリア・ブラウナウに1889年に生まれ小学生時代にはリーダーシップを取りたがる子どもであったという。しかし10代半ばで学校に嫌気が差し退学し挫折を味わった。たった一人の友人であったアウグスト・クビツェクを子分のように扱い、美術に興味があり「バイエルン州立図書館 」などの絵を度々見せたりしていた。

BGMでAres Verlag GmbH「Leopold Stocker Verlag GmbH」。

アドルフ・ヒトラーは一目惚れしたステファニー・ヤンステンに恋心を抱きアウグスト・クビツェクに素性を調べさせたり、ステファニー・ヤンステンに対して妄想を広げ面識のないままラブレターを送った。芸術大学を受験するも受からずに模写を売って生活を送った。

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岡田准一が、アドルフ・ヒトラーがステファニー・ヤンステン宛に送ったとされる手紙を読んで抱いた感想を語った。田野大輔が登場し、「アドルフ・ヒトラー」を理解するためには芸術が鍵であると述べた。

アドルフ・ヒトラーが死ぬ間際まで眺めていたとされる「ゲルマニア」の模型を紹介した。「ゲルマニア」最大の特徴は建物の桁違いな大きさにありアドルフ・ヒトラーは何千年もの後世に残る古代ギリシャの文化に理想を抱いていたという。

1914年7月に第1次世界大戦が開始し、ドイツ・オーストリア=ハンガリー帝国VSフランス・イギリス・ロシアと2分された。ドイツにとってヨーロッパで勝ち上がるチャンスであった。

当時アドルフ・ヒトラーはミュンヘンに移り住んでおり、1914年8月2日に撮影された写真にその姿が確認されている。アドルフ・ヒトラーは自伝「我が闘争」において人々との一体感を描いていた。その後ドイツ軍に志願するも1918年にドイツは敗戦しベルサイユ条約が結ばれた。

1914年8月2日に撮影された写真にで笑っているアドルフ・ヒトラーについてトークし、田野大輔らが各々に当時のアドルフ・ヒトラーの状況などの見解を語り、岡田准一は当時のヒトラーは自分と歳も近く、自分が当事者であれば同じような不平不満を抱いたのではと語った。

アドルフ・ヒトラーをのし上げたものはアドルフ・ヒトラー自身の演説であり、自伝「我が闘争」において最初の演説について演説力があると自負していた。30代になるとベルサイユ条約により経済が疲弊したドイツ・ミュンヘン市内のビアホールで1916年10月16日にてアドルフ・ヒトラーは生涯初めての演説を行い存在を強めていった。そして2年後にナチ党の指導者となった。ナチ党になってからは2年で議席を12から230に増やし第1党となり、1933年1月30日に43歳にて首相就任を果たした。

アドルフ・ヒトラーは首相就任後初めての演説をベルリンのスポーツ宮殿で行った。アドルフ・ヒトラーの演説の様子を移した映像を紹介し、演説でアドルフ・ヒトラーは「聴衆を焦らし・声の抑揚と身振り・言葉を繰り返して印象付ける・『敵』を設定して攻撃する・声をわざと裏返す」といった演説テクニックで聴衆を魅了させていた。

アドルフ・ヒトラーの首相就任後初演説を見終わった岡田准一は圧巻したと感想を述べた。田野大輔がアドルフ・ヒトラーの演説を解説し、アドルフ・ヒトラーが登場する時にしか使用してはならなかったという「バーデンバイラー行進曲」を紹介しヒトラーの演説は理論ではなく演出により支持されていたという。

当時アドルフ・ヒトラーに焦点を当てた写真集を紹介し、当時アドルフ・ヒトラーは写真を使って庶民派や優しいイメージを演出していたという。

アドルフ・ヒトラーは1934年になると国家の全ての権限を握りナチスドイツの独裁者となった。アドルフ・ヒトラーは経済立て直しに取り組む中で、反発者の排除や言論統制を行い多くのユダヤ人犠牲者を出した。1938年11月には反ユダヤ主義の暴動「水晶の夜」が発生し100人近くのユダヤ人が殺害された。翌年9月1日には隣国ポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が勃発した。ドイツの支配権拡大を目指すアドルフ・ヒトラーはポーランド・フランス・ノルウェーなどを次々と占領し、ソビエトに攻め入った。

ポーランド南部・オシフィエンチムにあるアウシュビッツ強制収容所に岡田准一が訪れた。当時アウシュビッツ強制収容所にはナチスが不要と定めた人々が送り付けられユダヤ人がその殆どを占めていた。第1収容所には今でも収容されていた人々から没収したとされる8万足の靴などが展示されている。収容された当時の人々は11時間を超す強制労働を日々強いられていた。第二強制収容所ビルケナウには宿舎があり、当時一つの宿舎に約800人が収容されていた。ナチスから価値なしと見なされた人が追いやられたというガス室では当時1度に約900人の人が殺されたという。

アウシュビッツ強制収容所の駅の入口「死の門」には貨物列車に人々を詰め込んで運んでいたが門の外に出ることはなかったという。ガイドを続けて30年立つヴァンダ・フトゥニィはアウシュビッツ強制収容所での出来事を伝えていく使命感や2度と起きないようにするためにガイドを続けていると語った。

岡田准一とP.バラカンがアドルフ・ヒトラーについて対談した。岡田准一はポーランド・アウシュビッツ強制収容所に訪れた際の心境などを語った。バラカンの父はユダヤ系ポーランド人のピーター・レオンであると紹介した。レオンが住んでいた場所は開戦当時国境のロシア側にあり戦争が集結するまで家族とは離れ離れになったといい、再開後も決してユダヤ系ポーランド人であること隠していたという。バラカンの子供の頃はアドルフ・ヒトラーを怪物と捉えていたという。そしてP.バラカンは第二のヒトラーを誕生させないためには個人レベルで真実を知ることが大切でありメディアが責任を抱いて関心を持ち伝えていくべきであると語った。

第2次世界大戦1945年ドイツ・ベルリンに突入したソ連軍によりナチス・ドイツは最後の時を迎えた。そんな最中にあってもアドルフ・ヒトラーは自身の理想の世界にこだわり続けていた。ベルリンを改造する理想の世界「ゲルマニア」構想の模型を飽きること無く眺め続けていたという。しかし1945年4月30日にアドルフ・ヒトラーは自殺した。

今までドイツを好き勝手に引っ張ってきたアドルフ・ヒトラーが戦争に負けたことで切り捨てるという行動に出たアドルフ・ヒトラーについてトークし、名越康文は先導者とされたアドルフ・ヒトラーの危険性や、そうさせた要因について大衆の自己陶酔であったと語った。

第2次世界大戦において虐殺されたユダヤ人は500万人以上で戦争による死者は3000万人以上に及んだ。ドイツは敗戦後に東西に分裂し、45年かけて再び統一した。そして今年の春にアドルフ・ヒトラーの自伝「我が闘争」の著作権を管理する政府がアドルフ・ヒトラーの主張が誤りであるという明快な解説を付けて出版する計画が明らかにした。

岡田准一がアドルフ・ヒトラーのプロファイルを終えての心境を語った。

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