ファミリーヒストリー モト冬樹〜長州から江戸へ 激動を生き抜いた歳月〜

『ファミリーヒストリー』(FAMILY HISTORY)は、NHK総合テレビジョンにて2008年から放送されている、ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2014年12月5日(金) 22:00~22:50
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
22:00~

ミュージシャンから役者まで幅広く活躍するモト冬樹さんは4年前に家庭を持った。東京で生まれたモト冬樹さんの本籍は山口県にある。番組ではモト冬樹さんが知らない家族の歴史を取材した。

オープニングテーマ:横山克

キーワード
横山克

モト冬樹~長州から江戸へ 激動を生き抜いた歳月~ (バラエティ/情報)
22:03~

モト冬樹さんの本籍がある山口県高本を訪ねた。長州藩の宿場町と栄た街道沿いには今も本陣跡が残されている。モト冬樹さんの祖父の家は膨大な農地を持つ地主として知られていた。曽祖父は20歳になると政府直属の軍隊選ばれ故郷高森を離れ上京した。治安維持のため旧薩長を中心に東京警視庁が創設された。

明治7年、モト冬樹さんの曽祖父はできたばかりの東京警視庁に入庁した。24歳に巡査で始まり名門女学校外人教師殺害事件など明治の難事件を次々と解決する名刑事になり、警察新聞には担当事件を語った連載が載った。そして明治44年、築地署の初代所長に就任し翌年に突然亡くなった。

伝説の刑事だった曽祖父についてモト冬樹さんはまるでドラマを見ているようだった。ちょっと感激していると話した。

モト冬樹さんは巣鴨の生まれ、父親は産婦人科の医院を開いていた。兄はミュージシャンのエド山口さん。病院の隣には兄弟が育った家があった。武東家の最も古い先祖は安土桃山時代の伊予山越えの城主で名前は武東ではなく吉村。武東の性は江戸時代中期になって登場する。

モト冬樹さんの辿り着かないルーツの原因は関東大震災だった。モト冬樹さんの父 武東晴一さんが当時7歳の頃に築地にあった武東家は倒壊を免れたが火の手が上がり古い先祖まで続く記録も家系図も燃えてしまった。武東晴一さんは本籍のある山口県に旅をすることにした。

40年前にモト冬樹さんの父 武東晴一さんが息子たちと旅をした山口県高森は江戸時代、山陽道の宿場町として栄た。500年の歴史を持つ浄泉寺の前住職である岡崎覚豊さんは40年前に訪ねて来た親子を覚えていた。武東家の仏壇で見つけた戒名の写しをもとに消えかけた戒名を読み取ってもらった。

武東家の祖先が城主だったという伊予山越。山越という場所は愛媛県松山市内にあった。中世伊予の歴史が専門の土居聡朋さんの案内で山越村に1つだけあったという山城跡を訪れた。モト冬樹さんの武東家家系にある山越城主はここを想定されているのではと話した。

モト冬樹さんは父親がインタビューで答えた言葉は初めて聞いたことが多かった。自分の先祖のことだからVTRを見ていて興奮したと話した。

モト冬樹さんの父親は巣鴨で産婦人科の医院を開いていた。モト冬樹さんは父親から怒られた記憶はないと話した。父 武東晴一さんは戦時中のため医者になれば撃たなくても生きられると思い医者になったと話した。昭和15年、武東晴一さんは本籍地である山口県高森で徴兵検査を受けた。

モト冬樹さんの父 武東晴一さんはアメリカとの開戦を戦地で知った。作戦がないときは中国人に化けて立ち入り禁止区域に潜り込んだという。昭和18年、長江の港町の九江陸軍病院に転属した。

昭和20年、終戦し長江流域にいた日本兵は捕虜として鄱陽湖に浮かぶ島で暮らすことになった。モト冬樹さんの父 武東晴一さんは1年後に島を離れ間もなく結婚。巣鴨に小さな産院を開きモト冬樹らが生まれた。

モト冬樹さんは父親からほとんど聞いていない話しが多かった。父親は中国で戦争のときが青春だった、楽器を弾いている姿が衝撃的だったと話した。

モト冬樹さんの父 武東晴一さんが産婦人科の医院を開いていた巣鴨。商店街には昔ながらの店が軒を連ねている。和菓子屋の三代目は武東医院で生まれたという。傘屋さんは長男長女を武東医院で産んでいた。武東医院は一代でその役目を終えたが武東晴一さんが取り上げたたくさんの子供たちがどこかで家を継ぎ親になっている。

キーワード
高森(山口)
岩根嘉一郎さん
警察博物館
巣鴨(東京)

エンディング (その他)
22:46~

ファミリーヒストリー 」の番組宣伝。

エンディング映像。

テーマ曲:remember me/くるり

キーワード
くるり
remember me

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