耳をすませば 時代の荒波を乗り越えて「山口淑子(李香蘭)・小野田寛郎」

『耳をすませば』(みみをすませば、英題:Whisper of the Heart)は、柊あおいの漫画作品、およびそれを原作とした近藤喜文監督、スタジオジブリ製作の劇場アニメ作品。

出典:goo Wikipedia

放送日 2014年12月29日(月) 7:20~ 7:45
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
07:20~

オープニング映像、きょうの番組内容紹介。今年亡くなった昭和を代表する2人として、最後の日本兵と呼ばれた旧陸軍少尉・小野田寛郎、「蘇州夜曲」(映画「支那の夜」)などに出演した歌手・女優の山口淑子(李香蘭)を特集する。

キーワード
山口淑子
小野田寛郎
李香蘭
蘇州夜曲
支那の夜

時代の荒波を乗り越えて 山口淑子・小野田寛郎 (バラエティ/情報)
07:22~

山口淑子は大正9年、旧満州で日本人の家庭に生まれる。昭和6年の満州事変により中国北東部は「満州国」となった。抗日派による「撫順炭鉱襲撃事件」では多くの住民が日本軍によって殺害された。平頂山殉難同胞遺骨館に遺骨などが展示されている。

山口淑子はその後、家族が日本軍に追われ奉天に移住。「李香蘭」という中国名をもらい歌手としてデビューした。日中戦争勃発後は国策映画会社の「満洲映画協会」に所属、看板女優に。「蘇州夜曲」「夜来香」などの曲を紹介した。来日して公演を行ったこともあるが、中国人の真似をしているとのそしりをうけたこともあるという。映画「支那の夜」では長谷川一夫と共演。

山口淑子は戦時中について、中国人の友人は次第に抗日派などとして活動するようになり離れていったなどと語った。中国人の「李香蘭」として中国で活動することに疑問を持ち、中国で会見を開いて日本人であることを明かそうとしたこともあったという。

続いて、軍人・小野田寛郎の経歴を紹介。大正11年和歌山県生まれ、県会議員の父と元教師の母のもとで厳格に育てられた。中学卒業後に家を飛び出し貿易会社に就職、中国の漢口(現在の武漢)に赴任し中国語を覚えた。昭和17年に日本陸軍に入隊、戦争を体験。昭和19年に中国語の能力から陸軍中野学校に入学することとなり、ゲリラ隊の司令官となるべく訓練を受けた。昭和19年12月にフィリピンのルバング島に赴任、ゲリラ隊として戦闘を続けた。

山口淑子と小野田寛郎は昭和20年の終戦後、それぞれの地で戦いを続ける。山口淑子は中国・上海で祖国を裏切ったとして裁判にかけられ、日本人としての戸籍謄本を提出し無罪となった。

小野田寛郎は戦後も2人の軍人とともに、敗戦を信じずルバング島で戦い続けた。小野田寛郎はのちに当時を振り返り、最初の3年間は地形を覚えるのに精一杯だった、5年後には朝鮮戦争の知らせを聞いて日本軍によるものと勘違いしたなどと話した。2人の軍人は昭和29年、昭和47年にフィリピン軍との戦闘で死亡。昭和49年に日本の冒険家が小野田寛郎と出会い、日本に生存が伝えられた。昭和49年の捜索では当時の上官が現地入りし命令解除を伝え、帰国が実現。当時の首相とも面会した。

小野田寛郎は日本への帰国後、日本の生活になじめず1年足らずでブラジルへの移住を決める。その後南マットグロッソ州で牧場を経営、約1800頭の牛などを飼育した。

山口淑子と小野田寛郎は、その後の世界各地の紛争にも翻弄されたという。山口淑子はその後ジャーナリストとして活動、昭和48年の第四次中東戦争などを取材した。小野田寛郎は日本で昭和59年から自然塾を運営、のべ2万人が自然の中での共同生活を体験した。小野田寛郎はのちに自然塾について、金属バット事件で親を亡くしたことなどがきっかけになったと話した。

キーワード
山口淑子
小野田寛郎
満州事変
満州国
平頂山殉難同胞遺骨館
撫順炭鉱襲撃事件
李香蘭
満洲映画協会
蘇州夜曲
夜来香
支那の夜
長谷川一夫
陸軍中野学校
ルバング島
島田庄一伍長
小塚金七一等兵
上海(中国)
鈴木紀夫さん
タマヱさん
敏郎さん
田中角栄首相(当時)
南マットグロッソ州(ブラジル)
第四次中東戦争

エンディング (その他)
07:44~

エンディング映像。明日は「こだわりの人生 楽しんで 米倉斉加年・赤瀬川原平」を放送。

スポット

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