ファミリーヒストリー 丹波義隆〜父・哲郎の素顔 1000年を超える歴史〜

『ファミリーヒストリー』(FAMILY HISTORY)は、NHK総合テレビジョンにて2008年から放送されている、ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2015年9月18日(金) 14:12~15:00
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
14:12~

丹波義隆。父親はNHK大河ドラマ「いのち」などに出演した丹波哲郎。義隆さんは父から聞いた祖父・敬三の話が忘れられないという。番組では義隆さんに代わり、丹波家のルーツを探った。

キーワード
新田次郎
いのち
武田信玄
田向正健
橋田壽賀子
春日局
丹波敬三

丹波義隆 ~父・哲郎の素顔 1000年を超える歴史~ (バラエティ/情報)
14:15~

丹波義隆の依頼で丹波家のルーツを探る。滋賀県野洲市の西河原森ノ内遺跡から「丹波博士」と書かれた木簡が見つかっている。これについて中央大学の加藤謙吉講師は、博士はフヒトと読み、いわゆる書記官で最もインテリ階層に属するような人々だったはずと解説した。東京都渋谷区の塙保己一史料館には丹波家の家系図が保管されており、祖先の康頼は天皇に仕えていた医者だということが分かる。そんな康頼の肖像画が神戸市の親戚の家で見つかった。

康頼が住んでいたとされる医王谷を訪ねると康頼が薬草を育てて薬にして天皇の病気を治したということがわかった。康頼が残した日本最古の医学書とされる医心方を現代語に翻訳した槇佐知子さんは「引用されている文献が大半もう現存しないんです。世界中にこの本だけに残っているということがとっても貴重な財産ですね」と語った。京都府亀岡市の金輪寺には康頼を供養する石塔が残されている。

丹波義隆は自信のルーツを探る映像をみて「びっくりしたのは差別をしないという言葉が出てきたのがすごいびっくりしていまして、亡くなった父からも僕が俳優になったときに唯一教えてくれたのが、エキストラのみんなにもおはようございますと言え、差別をするなと教わった」と語った。

丹波敬三は野口男三郎事件で被害者の内臓の毒物を調べ、裁判化学の有効性を証明した。第一次世界大戦が始まると、梅毒の治療薬が輸入できなくなり、敬三はそれに代わる梅毒の薬「ネオ・タンバルサン」をわずか2ヶ月で完成させた。また、現在も使われているベビーパウダーも敬三が開発に参加したものである。東京都駒込に住んでいた敬三は6男2女に恵まれ、大正13年の皇太子の結婚の儀にも招かれている。

丹波義隆の依頼で丹波家のルーツを探る。群書類従には丹波家は代々宮中で薬剤師の仕事をしていたと書かれている。義隆の曽祖父敬三は明治6年に東京帝国大学製薬学科に入学し、明治17年にドイツに留学。留学中に撮ったとされる写真には森鴎外も一緒に写っており、鴎外が船の上で書いた日記には敬三も登場する。帰国後は東京帝国大学の教授に就任し、裁判化学を教えた。裁判化学とは裁判で白黒をつけるための毒物などを検出する当時としては新しい学問。

丹波義隆の依頼で丹波家のルーツを探る。義隆の祖父二郎は薬学を学び、陸軍の薬剤官となったが、ある日軍を辞め、画家に転身した。薬の神様「薬祖神」をよく描いていたという。新宿に住んでおり、毎日庭を眺めながら朝から晩まで絵を描いていた。

丹波義隆の依頼で丹波家のルーツを探る。後の丹波哲郎となる正三郎は近所でも有名なやんちゃ坊主。小学校の同級生は正三郎について「悪童ですね」と語った。正三郎はいつしか「丹波家のはみだし者」と呼ばれるようになった。

丹波義隆は自信のルーツを探る映像をみて「裁判化学ですか、あれは知らなかったですね。複雑ですね丹波家というのは、ものすごい優秀な者とものすごい自由奔放な者と二郎祖父の血をおやじは継いでいるかもしれませんね。突然丹波家代々医学で来たのが突然絵を描き始めた。父は俳優になった」と語った。

丹波義隆の依頼で丹波家のルーツを探る。宮本武蔵などに出演する丹波哲郎(正三郎)は、成城中学校に入学する。同級生は「軍事教練は嫌がらないで率先して、一番目にやってたとうな気がする。体を動かすことが好きだった」と語った。昭和18年には出征し、航空整備学校に配属された。ここで出会った上官が野球選手の川上哲治。正三郎は当時吃音で部下に命令が下せないため、戦場に行くことはなかったと自身の著書で語っている。終戦後はGHQの通訳に採用されるが、英語が得意ではなく、長続きしなかった。

正三郎は俳優養成所に入り、芝居を始めた。生活費は闇市の一角で始めたパチンコ屋で稼いでいた。そしてダンスホールで後の妻・貞子と出会う。貞子の親戚には北一輝がいる。昭和23年に結婚した2人、なかなか俳優として芽が出ない正三郎を貞子は洋裁の内職で支えた。

義隆は「父は忙しくて家にいなかった。一緒にキャッチボールもしたことないし、ご飯も一緒に食べたことないです」と語った。キイハンターで正三郎と共演した野際陽子は「キイハンター始まった頃からギル君(義隆)の話をしていた。家であんまり接する時間がないっていう思いがおありになって気にかかってて私たちの前でギル君の話をなさってた」と語った。高校生になった義隆は役者の道を志す。正三郎は「やりたければやればいい。好きな道を行け」と語った。ドラマ「事件」で俳優デビューした義隆は「牢獄の花嫁」で父と共演を果たした。貞子は共演する2人の姿を嬉しそうに見ていたという。そして平成9年に70歳で貞子は亡くなった。葬儀で正三郎は「夫婦というのは半世紀以上も一緒におりますと二人がまさに一人になってしまっているんです。その半分が急に逝ってしまいますと何か穴が空いてしまうんですね」と語った。

劇団から映画会社に使いに出された正三郎は映画会社の人に「あんたに似た俳優を知らないか?」と聞かれ「知ってるよ。俺だ」と答え、映画デビューが決まった。その映画「殺人容疑者」で共演した土屋嘉男は「当時はほんとの下水なの、丹波ちゃんね、顔まで全部汚水の中へ入りましたよ」と語った。迫真の演技が買われ、仕事が増え始めた頃、義隆が誕生する。昭和34年妻貞子が小児麻痺に倒れ、正三郎は毎日看病をするようになった。テレビドラマ「キイハンター」が大ヒットし、正三郎の人気は不動のものとなった。それでも貞子は夫がいつ俳優としてダメになるかわからないからという理由で編み物を続けた。

丹波義隆は自信のルーツを探る映像をみて「正直あのときは横に立って、なに一人で格好つけたこと言っているんだと思ってたんです。でも今それまでのいきさつを見ているとあれはもうおやじの本心だなと、これは息子でも穴埋めできないぐらい母は大きな存在だったんだなとあらためて思いましたね。丹波哲郎っていう商品はやはり丹波正三郎の努力と大蔵貞子の努力があってできた商品ではないかと思いますね」と語った。

「走らんか!」などに出演した丹波哲郎は俳優の傍ら霊界の研究に取り組んでいた。哲郎は生前「霊界があるないはどうでもいいから、あると仮定したならば、人のために尽くすんだということがメインになってくるわけだ」と語っている。哲郎の兄は「彼は丹波家の外れもんじゃないですよ」と語った。哲郎のめいは「大きな流れの中の大きなものを担っていた」と語った。平成18年に84歳で亡くなった哲郎。義隆が父の遺品を息子と整理しているとフィルムが出てきた。そのフィルムには義隆が幼いころの家族の日々が写っていた。

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