ファミリーヒストリー 梅宮辰夫〜満州にかけた夢 貫いた医師の覚悟〜

『ファミリーヒストリー』(FAMILY HISTORY)は、NHK総合テレビジョンにて2008年から放送されている、ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2015年4月10日(金) 14:05~14:55
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
14:05~

昭和17年、旧満州で撮影された家族写真に中央に写るのは、のちに日本の芸能界で活躍することになる梅宮辰夫。エリート医師だった父について往診に行く姿はかすかに覚えているというが、この年になり、満州時代のことを知りたいと思うようになったという。番組がその歴史をたどった…。

キーワード
開原(満州)

梅宮辰夫~満州にかけた夢 貫いた医師の覚悟~ (バラエティ/情報)
14:08~

柳澤孝信さんは無事に帰国することが出来た。その後、柳澤管楽器株式会社を設立して、今では世界的なメーカーに成長していると伝えた。生前はよく梅宮辰夫のことについて語っていたと伝えた。倉橋ミヨ子さんは帰国してしばらくして梅宮辰夫の映画の看板を見てびっくりしたと語った。梅宮次郎は最後まで患者のことを考えて息を引き取ったと語った。戸越銀座商店街では当時の思い出が語られた。また現在の梅宮歯科医院の様子が伝えられた。

梅宮辰夫は改めてそうだったのかと思うことばかりだと語った。父は往診が本当に好きだったと梅宮辰夫は語った。

博多に到着した後に梅宮次郎は水戸の病院で働き始めた。それから10年後に梅宮医院を開業したと伝えた。ここでも往診に力を入れていたと伝えた。近所に暮らしている秋山永美子さんはよく往診に来てもらっていたと語った。ただ心配の種は長男の梅宮辰夫だと伝えた。その後梅宮辰夫は俳優にスカウトされた。父は反対したと伝えた。その後梅宮辰夫はすぐに映画スターになった。その後、梅宮辰夫はガンだと診断されて梅宮次郎にそのことが伝えられた。梅宮次郎は専門医を探して奇跡的に回復した。

終戦からまもなく、開原にはソ連だけでなく中国軍もやってきた。日本人は逃げる逃げられず不安な日々を送っていた。当時の病院は開店休業状態だったと伝えた。そんな時に柳澤孝信という一人の兵士が入院した。ある日ソ連兵がやってきて柳澤孝信を連れて行こうとした。そこで梅宮次郎は結核の疑いあると訴えてシベリア行きを免れた。その後、梅宮次郎は中国軍に連れて行かれた。しかし途中で逃げ出すことに成功した。その後家族は奉天で再会した。そして引き上げ船に乗った。

スタジオでは梅宮辰夫は論文を書いていたことを知らなかったと語った。また知らないことがいっぱい出てきて…と語った。

昭和10年に大学を卒業した梅宮次郎は医師としての第一歩を刻んだ。専門は小児科医だった。梅宮次郎は大学の先輩が開業した竹森医院で研修を兼ねて働いてた。働き始めた後に先輩から女性を紹介された。それは梅宮辰夫の母の平井齊子だと伝えた。二人はヤマトホテルで挙式した。ここは川島芳子や与謝野晶子が利用した高級ホテルだと伝えた。その後ハルビン医科大学病院に勤め始めた。その翌年に梅宮辰夫が誕生した。

昭和13年に高熱を発症した千葉浪子と千葉マス子が病院に担ぎ込まれた。梅宮次郎は腸チフスだと診断した。姉の千葉浪子は死亡したが妹の千葉マス子は助かった。梅宮次郎は大きな衝撃を受けたと伝えた。2人の姉の永澤美枝さんはその後千葉マス子は後遺症が出て亡くなったと語った。梅宮次郎はこの後伝染病の研究に没頭したと伝えた。そして開原市中央病院に移ったと伝えた。ここで梅宮次郎は副院長兼小児科医として働いた。当時助けられた郡嶋博子さんはその際の思い出を語った。その後ソ連が中立条約を破棄して攻めてきた。

ルーツを振り返った梅宮辰夫は、おじいちゃん(辰次郎)が陸軍士官学校だとは初めて知った、おやじ(次郎)もすごい二枚目だったが若い時を全然知らなかったと話した。

梅宮辰夫のルーツは、福島県会津若松。4代前の高祖父・清五郎が江戸時代末期に生まれ、住所もはっきりわかっている。さらに福島県立博物館にあった江戸時代の「煙草屋株帳」によると、城下で煙草屋の営業権を持つ人として梅宮源右衛門が記されていた。また会津若松市立会津図書館にあった「五幅対」によると、梅宮屋は煙草屋の人気ランキングベスト5に入っていた。

明治10年、辰夫の祖父・辰次郎が生まれる。勉強も運動も得意で陸軍士官学校に入学、仙台にあった第二師団に入隊し星ツキと明治37年に結婚。この年日露戦争が開戦し中隊長として参加した。日本は勝利しポーツマス会議で関東州を租借。

明治44年、辰次郎に次男・次郎が生まれるが辰次郎は満州・旅順への異動を命じられる。満州時代の戸籍を手がかりに現在の中国・旅順で梅宮家があった場所を探すと、100年以上前に建てられたとみられる建物が残っていた。辰次郎の四女・澄子さんによると梅宮家が住んでいた建物だという。辰次郎は子どもたちを厳しく躾けたというが、次郎は特に負けず嫌いだったという。

昭和3年、次郎は奉天(現在の瀋陽)にあった満州医科大学に進学を果たす。現在は中国医科大学となったが、当時の校舎の大部分がそのまま使われている。次郎の同級生・今村利通さんの娘・中村三津子さんが卒業アルバムを保管していた。次郎はここで青春を謳歌していたが、昭和4年、父・辰次郎が胃がんのため亡くなる。告別式は旧関東軍司令部の将校クラブで行われ、参謀・板垣征四郎が弔辞を読んだ。2年後、満州事変が勃発し、のちに満州国が建国。

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板垣征四郎
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次回予告 (その他)
14:52~

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