ファミリーヒストリー 羽田美智子〜文化財を建てた宮大工 祖父の戦死の真相〜

『ファミリーヒストリー』(FAMILY HISTORY)は、NHK総合テレビジョンにて2008年から放送されている、ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2015年4月3日(金) 14:05~14:55
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
14:05~

県の文化財として移築・保存されている小学校校舎(茨城県立歴史館)を設計・建築した宮大工を先祖に持つのが女優・羽田美智子さんで、美智子さんに代わって家族の歴史を追った。

羽田美智子~文化財を建てた宮大工 祖父の戦死の真相~ (バラエティ/情報)
14:08~

今回の取材中、昭和26年に作られた教育映画のフィルムが見つかった。水海道小学校が舞台となっていて、子どもたちが運動会の準備をする姿が映し出されていた。そして、そんな水海道小学校の卒業生に水海道小学校での思い出を聞き、羽田美智子は母校で講演を行った。

水海道に根ざして商売をしてきた羽田甚商店は閉店することになり、閉店をすると知ったかつての高校性たちが次々と挨拶に訪れていた。

テーマ曲:「Remenber me」くるり

羽田家の歴史を振り返ったVTRを見てお礼を述べた羽田美智子は、祖父の戦友である中澤さんが見つかったことに驚いていた。そして、自分の家族の支えの上に自分は立っていることを知れて良かったと話した。

戦争で大黒柱の三郎を失った水海道の羽田家では、高齢の両親と幼い2人の子どもを抱えて妻の好子は、収入を得るために自宅で駄菓子やタバコを販売。店の名前は羽田甚商店で、苦労する母の姿を見て育った清は高校を卒業するとすぐに働き始める。祖父や戦死した父の理髪用品の販売を継いだ。終戦後の混乱が収まり、理髪店に行く人が増えて売上は順調だった。そんな中で清は見合いをしたのが後に美智子さんの母となる美枝子さんだった。

当時ヒットしていた橋幸夫の「潮来笠」。橋さんの髪型が人気を集め、主力商品だったポマードが売れなくなってしまう。妻・美枝子さんは羽田甚商店の店先に立ち、炭酸飲料を扱い始めた羽田甚商店には地元の高校性たちが続々とやって来るようになった。そして、昭和43年9月に長女・美智子が誕生する。

昭和46年、水海道小学校の校舎が老朽化によって移築されることが決まった。それからしばらくすると羽田甚商店の理髪用品の販売も厳しくなり、苦労する両親を見て育った美智子は有名人になって親孝行をしたいとの夢を持つ。その後、美智子は朝の連続ドラマにも出演する女優となる。

ある日、羽田家を訪ねてきたのは三郎の戦友で“ナカザワ”と名乗る一人の青年だった。ナカザワはマラリアにかかった時に、三郎が薬を分けてくれたおかげで助かったという。ナカザワは三郎が亡くなる直前に写真を預かっていて、それは出征する時に撮ったものや家族の写真だった。

“ナカザワ”という三郎の戦友とは音信不通になってしまい、美智子さんの父・清さんのかすかな記憶を辿って“ナカザワ”という人物を探した。すると中澤安政さんの家が見つかり、父の中澤垣三さんが水海道の羽田さんの家に訪れていたことを覚えていた。

祖父が戦争に赴き、亡くなったことついて羽田美智子は、遺影に写っている戦死した三郎の写真が祖父との一番の関わりだったため、辛い思いをしていたのを初めて知って胸が震えるものがあると話した。父は「父を知らないで育った」ということを言っていて、その事についてあまり語ったことを聞いたことがなかったので、改めて父の気持ちをちょっと理解できるような気がすると話した。

寅吉は知り合いの理髪店の店主から一人の若者を紹介される。それが後に婿養子となる三郎で、元海軍の軍人で近所でも評判の好青年だった。三郎が海軍で任務についたのは「戦艦 金剛」で、24歳で海軍を除隊した三郎は農家の三男だったこともあって婿養子になることに問題はなかった。三郎は寅吉と共に理髪用品の販売を始める。結婚の翌年(昭和10年)に、美智子さんの父となる長男・清が誕生。

跡継ぎに恵まれ、仕事に励む三郎。ある日、配達している途中に池で子どもが溺れているのと見つけ、三郎は間一髪で男の子の命を救った。その時に助けられた少年の名前は金久保清一郎さんで、晩年は羽田家にお礼に訪ねて羽田美智子さんの実家であることを知ったという。

昭和16年に太平洋戦争が始まると3つの短い髪が推奨され、ポマードなどの整髪料は売れなくなってしまう。そして昭和18年4月、35歳になった三郎が再び海軍に召集される。三郎は軍艦の機関士としてナウル島に赴くと、食料や燃料の補給のためにナウル島に向かっていた輸送船「北昭丸」がアメリカ軍の魚雷を受けて沈没し、ナウル島では栄養失調者が続出する。

昭和20年、終戦。三郎たちは少ない食料を分けあい、かろうじて生きながらえた。しかし、ナウル島の終戦処理を担当したオーストラリア軍によってピエズ島に移送される。そこはマラリアが蔓延する島で、捕虜たちは森林の伐採や道路建設などの強制労働を課せられる。

終戦から2年後の昭和22年、茨城・水海道の羽田家に三郎がマラリアで亡くなったとの報せが届く。当時12歳だった清さんは、その時に遺骨が入っていない骨壷が一緒に届いたことを覚えているという。

美智子さんの高祖父・甚藏は、羽田の家を守るために養子を迎えることにした。養子として迎えたのは美智子さんの曽祖父の羽田寅吉。雑貨店で働きながら商売の修行をしていて、寅吉は羽田家に入ると理髪用品の販売を始める。店の屋号は義理の父から取った“羽田甚”で、寅吉の悩みは跡取りとして期待していた息子3人が相次いで亡くなってしまう。

羽田家の歴史を振り返るVTRを見て、羽田美智子は知らないことばかりだったと話した。さらに、自分が意味もなく神社仏閣が好きだと思っていたが、ここにルーツがあったというのは感じたと話した。

茨城・常総市の水海道。鬼怒川と利根川を利用した水運で交通の要所として栄え、川沿いには大きな廻船問屋などが立ち並んでいた。かつて宮大工をしていた羽田家は、戦後にタバコや切手を売る商店になった。

羽田家に関する資料が県の歴史館にあり、見つかったのは水海道にある報国寺の建設に関わる150年前の記録で、寺を建てた宮大工の棟梁の中に羽田安兵衛という人物がいて、美智子さんから遡ること5代前の先祖であることがわかった。

安兵衛の跡を継いだのが長男の甚藏で、美智子さんから遡ること4代前の高祖父にあたる。常総市立水海道小学校にある歴史の部屋には、甚藏さんによる建築の専門書が残されていた。

甚藏が33歳の時、手狭になった水海道小学校の改築を依頼された。地元の豪商などに寄付を募ると瞬く間に建築に必要な費用が集まり、町から甚藏への注文は当時流行していた洋風建築の校舎にして欲しいというものだった。横浜で数多くの洋風建築を見て、必死に研究したという。明治14年に水海道小学校が完成し、擬洋風建築と呼ばれる新しい建築様式だった。

その後。甚藏は水海道天満宮の改築や地元の豪商の店舗を数多く手掛けていて、「羽田甚」と呼ばれる名工としてその名を轟かせる。

キーワード
Remenber me
くるり
水海道(茨城)
羽田三郎
羽田好子
橋幸夫
潮来笠
マラリア
中澤垣三さん
羽田寅吉
戦艦 金剛
金久保清一郎
太平洋戦争
ナウル
羽田甚藏
鬼怒川
利根川
羽田安兵衛
羽田為次郎
  1. 前回の放送
  2. 4月3日 放送
  3. 次回の放送