ファミリーヒストリー 伊達みきお〜伊達の名に誓った覚悟とは〜

『ファミリーヒストリー』(FAMILY HISTORY)は、NHK総合テレビジョンにて2008年から放送されている、ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2015年3月6日(金) 22:00~22:50
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
22:00~

今回はお笑い芸人の伊達みきお。伊達家は政宗につながる名門だという。その名前を汚すなと言われていたという。伊達家を探った。今回の内容を紹介。

伊達みきお~伊達の名に誓った覚悟とは~ (バラエティ/情報)
22:04~

伊達みきおのふるさと、宮城県仙台市。ここに城を建てたのが、第17代当主の伊達政宗。さらにさかのぼり、9代当主の伊達政宗。その弟の宗行が分家して大條という姓を名乗ったのが、伊達みきの家系のルーツだという。直系の子孫に当たる伊達宗行さんを訪ねた。彼の持つ資料によると、移り住んだ土地、大條を姓にしたのだという。かつての伊達郡大條村、今の福島県伊達市に向かった。字は変わったものの、今も大枝という地名が残っている。城のあとも残っていた。それから17代伊達政宗の時代、大條家は守りの要となる山元の地を任された。山元町は東日本大震災による津波で大きな被害を受けた。ここには大條家が建てた茶室が残されている。山元町歴史民俗資料館には、長さ4mを越える家系図があった。

みきおの高祖父、大條道徳は、戊辰戦争に降伏した仙台藩の中で新政府軍との交渉役を務めた。道徳の交渉の結果、伊達家と仙台藩の存続は認められた。道徳の家系図には、伊達家当主から「伊達性」に戻すよう命じられたと書かれていた。現在 の20代当主は「論功行賞」と褒め称えた。

伊達は「大條から伊達に戻ったのがほんとにわからなかった。うちの先祖が城に住んでたのがびっくり」とコメントした。

みきおの祖父は東京大学に合格するも、司法試験に落ちたと祖父の弟が説明した。昭和15年に満州に渡り、就職するも太平洋戦争が開戦。出張で日本に帰国した際、お見合いをした。

みきおの祖父とお見合いした時子は勝山酒造の娘。家の中を親戚が案内してくれた。結婚が決まると、代々着ている着物で結婚式を迎えた。祖父は初夜の事を記録に残し、「大事にしなければと思った」と述べていた。結婚後満州に渡り、家政婦までいた豊かな暮らしをしていた。

軍隊に召集された祖父は、敗戦後の日本人へ仕打ちを受けながら300km離れた我が家へ2週間かけて帰宅した。しかし侵攻してきたソ連軍に捕まり、シベリアへと移動させられた。家族と引き離された祖父は、強制労働させられた。時子は2人の子どもを連れ、実家へ戻るも空襲で親戚が集まっていたため、夫の実家、伊達家へと移った。祖父と別れてから4年、帰還の知らせを受け、再会することができた。

みきおは「何から話していいのかわからないくらい、頭がいっぱい。おばあちゃんからは勉強しなさいとしか言われなかった。」とコメントした。

シベリアから戻った祖父は地元の銀行に就職した。みきおの父も同じ銀行に勤め、職場の後輩と結婚した。代々「政」や「亮」の字を名前に入れてきたが、幹生には「伊達の名の重圧をかけたくない」と語った。銀行員や裁判官など堅実な仕事をしてきた伊達家の中で、祖父の死をきっかけに「芸人になる」と決意したみきお。9年目でやっと売れた、やっと仙台に帰ることができたことに「嬉しかった」と話した。

東日本大震災、撮影で気仙沼にいたみきおは翌朝、仙台の実家に戻ると父は「被災地の現状を全国の方々に言うのが仕事」と伝えた。自ら被災者の元へと支援しに行った。

みきおは「目の前で津波をみたから、やらなくちゃいけないと思った。震災時の父は心強かった。頼もしかった」と話し、家族の歴史を知って「身が引き締まる。伊達の苗字の意味がわかった。すごく重みのある苗字を背負っている」とコメントした。

父がみきおが出ている記事のスクラップを見せてくれた。玄関にはサンドイッチマンの防犯ポスターがたくさん貼られていた。親戚はみな「長い活躍を期待したい」「よく頑張った」と話した。父は「今は伊達の名に恥じない。認めている」とコメントした。

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太平洋戦争
東日本大震災

次回予告 (その他)
22:47~

「ファミリーヒストリー 片岡鶴太郎 」の番組宣伝。

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