ファミリーヒストリー 選「船越英一郎〜2時間ドラマの帝王・知られざる原点〜」

『ファミリーヒストリー』(FAMILY HISTORY)は、NHK総合テレビジョンにて2008年から放送されている、ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2015年2月27日(金) 22:00~22:50
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
22:00~

2時間ドラマの帝王と呼ばれている俳優・船越英一郎。父は多くの映画やテレビに出演した船越英二で母は時代劇を中心に活躍した長谷川裕見子。大叔父は永遠の二枚目と謳われた長谷川一夫で、俳優として初の国民栄誉賞に輝いた。

俳優界のサラブレッドの船越英一郎だが、有名人だった両親以上に気になるのは母方の祖母 まつ。船越英一郎は、どういう方でどんな歴史をもっていたのか全然検討がつかないと話し、番組では英一郎に代わって家族の歴史を取材した。

キーワード
雲のじゅうたん
信長
伊賀の水月
長谷川一夫
長谷川裕見子
船越英二
国民栄誉賞

船越英一郎〜2時間ドラマの帝王・知られざる原点〜 (バラエティ/情報)
22:04~

明治に活躍した建設業者の名簿を所蔵している建設産業図書館を取材し、英一郎の曽祖父 飯島次郎氏について紹介。飯島次郎氏は開通したばかりの鉄道に目をつけ、明治16年(1883)に線路工事の下請けを設立。名簿には当時の新宿駅の駅舎など、鉄道全般の工事に着手。関東一円に6つの出張所をかまえるまでに快進撃を続けた。

英一郎の曽祖父 飯島次郎氏には大きな自慢があり、妻との間にできた4人の娘たちに幼い頃から芸事を習わせ、その上達ぶりを鑑賞するのが次郎の何よりの楽しみだったという。近所でも評判の4姉妹で、英一郎の祖母にあたる次女のまつは芯が強い女性と言われていた。

大正4年(1915)、まつは渓流下りを楽しもうと訪れた長瀞で知的で上品な雰囲気をまとう男性と運命的な出会いをする。この時の出会いを、まつは晩年までのろけていたとまつの長女 長谷川美津さんが語った。

まつが出会った男性は、良家の長男で伯爵筋の令嬢を妻に迎えていた。しかし、互いに諦めきれない2人の間に長男 正悟が大正5年(1916)に誕生する。さらに、6年後に長女・美津を授かる。

大正12年に六郷橋の大規模な架け替え工事が計画される。勢いに乗る飯島次郎(英一郎の曽祖父)の飯島組は、全長450mにもなる大型橋梁の工事に参画。多摩川の水中に橋脚を建てるという難しい区間に名乗りを挙げ、井筒工法と呼ばれる当時としては最新の工法で挑むことになったという。

鉄道以外の分野へ事業を拡大させたいと挑んだ六郷橋建設工事だったが、川をせき止めていた囲いが崩れ井筒の中に大量の水が流入し、飯島組の職人たちなど多くの犠牲者を生んだ。次郎は遺族の賠償・親会社への謝罪に奔走し、死亡事故を起こした飯島組に工事を任せる会社は皆無になり、飯島組は倒産に追い込まれた。

かつては娘たちの芸事で華やいだ飯島家にいた未婚の次女 まつは3人目をお腹に宿していて、まつは「花街に出る」と家族のために芸者へとなった。まつの相手の男性は支援を申し出たが、実家のことで世話になるわけにはいかないと申し出を断った。三味線の腕はまつの大きな助けとなり、芸にうるさい新橋の客たちを魅了したという。

大正13年(1924)、まつは次女 琴子(英一郎の母)を出産。仕事と子育てに奔走する姉に妹たちも立ち上げり、三女 繁と四女 せつも芸者となる。のちに三女 繁を贔屓にし、結婚したのが長谷川一夫。実家の借金返済のめどがたったのは昭和の初めの頃だという。まつは、自分の娘たちには「女が生きていくためには芸事を身につけなさい」と言い続けてきたという。

家族のために芸者になった祖母についてをまとめたVTRを見た船越英一郎は、祖母の生き方について想像を絶する覚悟とその思いは想像がつかないほど苦労があったんだろうと話した。

平安時代の武将である藤原秀郷を祀る唐澤山神社に、船越家のルーツが眠っている。神社には船越家の系図が保管されていて、初代の増綱は鎌倉幕府の御家人でその後も安土桃山時代の12代目信安までが武士だったという。江戸時代になると、武士の地位を奪われ寺の住職や神社の宮司をになった。明治以降は商売人に転身し、新宿で生地問屋「船越商店」を開いたのが英一郎の祖父 32代目船越栄一。船越英二はその次男として誕生。船越英二は、家業の影響もあって専修大学経済学部に進学。

昭和18年(1943)に戦況は悪化し20歳以上の徴兵が始まり、大学3年になった英二は自ら陸軍を志願。昭和20年(1945)、英二は陸軍船舶幹部候補生隊に入隊。英二たちに下った最初の命令は自身の遺影を撮ることだったという。部隊には水上特攻の任務が負わされていたという。軍隊時代の英二は、熱を出してでも訓練を休みたいと仲間としょうゆを飲んで発熱を出したが、訓練は休めなかったという。

訓練から逃げ出したいと仲間に話した英二だったが、上層部にその気持ちは筒抜けで呼び出された上官は「お前が逃げれば悲しむ人がいる。男は逃げたらだめだ」と諭されたという。その時の上官である細川春雄さんは健在で、英二に語った言葉の意味を聞いた。

昭和20年(1945)8月6日、広島 原子爆弾投下。英二が戦場に出ることはなく、8月15日に終戦。英二は部隊の解散直前に今後の生き方について寄せ書きに綴り、今後の人生から逃げない決意を固めていたという。

軍隊時代の父親をまとめたVTRを見た船越英一郎は、幼い頃から父に軍隊時代の話を聞いていて、元上官の方が語った「男なら逃げるな」という言葉も父から聞いていたと話した。

船越英二は終戦後、地元新宿へ戻り写真屋を開いたが軌道には乗らなかった。すると、今度は役者の世界に挑戦し、大映のニューフェイスに応募、昭和22年に俳優デビューを果たしたが、マスクが甘いだけの俳優と言われ続けた。

そんな中、船越英二は共演した長谷川裕見子と出会い、昭和33年に結婚。昭和34年には映画「野火」の主役に抜擢されるとその年の賞を総なめにし、共演したミッキー・カーチスが当時の様子を語った。

船越英一郎は昭和35年に誕生。船越家は昭和40年、湯河原町に旅館を開業した。

英一郎は22歳の時、父に俳優になりたいと告げるも父は「無理だ」と英一郎に話した上で3年の猶予を与えた。昭和57年、英一郎はドラマレビュー、しかし注目されることなく61年、劇団旗揚げ。その後英一郎は演技を研究。「ノンちゃんの夢」や2時間ドラマに多数出演。父は英一郎の演技を欠かさずみていたと母の日記に記されている。

船越英一郎が父の思いを受けてトーク。母親が日記をしたためていたことは知らなかったと話し、父への感謝を述べた。

船越英一郎の父・船越英二さんは2007年に死去。船越家の倉庫からは船越英一郎が生まれた時の8mmフィルムが見つかり、フィルムでは英二さんがナレーションを吹き込み、船越英一郎の名前の由来などについて話していた。船越英二のおい・長谷川弘晃さんは生前、英二さんから船越英一郎の自慢話を聞いていたという。

番組HPでは視聴者のファミリーヒストリーを募集中。

テーマ曲「Remember me」くるり

キーワード
飯島次郎氏
まつ
長瀞町(埼玉)
飯島次郎
六郷橋
井筒工法
多摩川
琴子
せつ
長谷川一夫
藤原秀郷
船越栄一
船越英二
学徒出陣
大映
安宅家の人々
トコ春じゃもの
長谷川裕見子
野火
船越英一郎
湯河原町(神奈川)
テレビ東京
ノンちゃんの夢
火曜サスペンス劇場 箱根湯河原温泉交番
金曜プレステージ 所轄刑事4
土曜ワイド劇場 火災調査官紅蓮次郎
水曜ミステリー9 刑事吉永誠一 涙の事件簿9 迷い骨
ファミリーヒストリー
くるり
Remember me

エンディング (その他)
22:47~

「ファミリーヒストリー サンドウィッチマン・伊達みきお 」の番組宣伝。

  1. 前回の放送
  2. 2月27日 放送
  3. 次回の放送