ファミリーヒストリー 徳光和夫〜父は映画監督・驚きのルーツの数々〜

『ファミリーヒストリー』(FAMILY HISTORY)は、NHK総合テレビジョンにて2008年から放送されている、ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2013年1月21日(月) 22:00~22:50
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
22:00~

アナウンサーの徳光和夫は数々の人気番組で司会を務める。徳光和夫は涙もろく、長嶋茂雄さんをはじめ巨人ファンとして知られる。徳光和夫は父親にどんな人生を歩んだか聞いてこなかったことを後悔していた。番組は徳光家のルーツをたどった。

キーワード
長嶋茂雄さん

徳光和夫〜父は映画監督・驚きのルーツの数々〜 (バラエティ/情報)
22:03~

明治40年、日露戦争から戻った賢五郎は北海道を出ることにし神戸に向かった。賢五郎はつねと結婚した。明治43年に徳光和夫の父・寿雄が長男として誕生した。しかし離婚し、寿雄は父親に引き取られた。大正時代になり、全国で様々な博覧会が開かれブームになった。大正8年の空中文明博覧会では賢五郎が責任者だったといわれている。この頃、賢五郎は友江と再婚し東京電燈(現在の東京電力)に転職した。

昭和5年、徳光家は東京・西巣鴨で暮らしはじめた。寿雄は度重なる引越しであまり友達を作ることもできずよく1人で過ごしていた。寿雄の心の支えとなったのは詩や小説を書くことだった。寿雄は映画にも夢中になった。寿雄は「自分も映画監督になりたい」と思うようになった。昭和7年に寿雄は映画会社に就職し、助監督として雑用をこなし映画の基本を学んだ。「あの山越えて」では出演者が足りずに賢五郎が借り出された。

マツダ映画社に寿雄が監督をした短編映画作品が1本だけ保管されていた。タイトルは「五作ぢいさん」で寿雄が29歳のときの作品。「五作ぢいさん」は学校や公民館で上映されたという納税を奨励する宣伝映画だった。主演は横山運平だった。

寿雄は住んでいた下宿の娘・房子と結婚した。房子は当時ハイカラな職業として人気だった銀座の松屋百貨店の店員だった。そして昭和16年に長男・和夫が生まれた。

徳光和夫はかつて父・寿雄さんが話した「屯田兵開拓農民で北海道に渡ったのが徳光家のルーツ」だという言葉がずっと気にかかっているという。屯田兵とは明治時代に北海道の開拓と防衛を担った人たちの事で約4万人いた。屯田兵として北海道に渡ったと言われている徳光家、最初に北海道から取材を開始した。

取材班が向ったのは北海道南部にあるえりも町。ここに店を構える「徳光時計店」は徳光家の遠い親戚の徳光秀晃さんが店を営んでおり、これまで徳光和夫とは会ったことはないという。店に保管されている家系図によると、治兵衛と呼ばれる人物が北海道に屯田兵として渡った人物だと記されていた。更に、北海道立文書館には治兵衛に関する資料が保存されていた。資料によると治兵衛は屯田兵ではなくニシン漁の漁師だったという。

徳光和夫の母・房子の家系を紹介。房子の父で徳光和夫の祖父にあたる須藤音吉は東京新宿で居宿をしていた。赤坂氷川神社にはこま犬の像があり、この像を彫ったのが須藤音吉だった。こまいぬを研究している三宅稜威夫さんは「たてがみが素晴らしい」と絶賛、このこま犬は江戸御影という型だという。

物語は現在から約130年前。徳光和夫の曽祖父・治兵衛は北海道江差でニシン漁の漁師として働いていた。当時、日本各地で綿花の栽培、その肥料となる”にしんかす”に高い需要があり、にしんかすを積んだ北前船が大阪と北海道を往来していた。明治15年、ニシン漁に励む治兵衛に子供・賢五郎が誕生した。

昭和16年太平洋戦争が開戦となった。和夫の父・徳光寿雄は日本ニュース映画社で働いていた。また、町にはニュース映画館があり、映画が上映されていた。昭和17年、寿雄は陸軍から以来された記録映画の監督に抜擢された。さらに寿雄は台湾に渡り高級将校の捕虜も撮影し、イギリス軍司令官・パーシパル中将との写真を撮っていた。

昭和20年5月25日、寿雄は中野でフィルムの編集におわれていた。しかし、突如アメリカ軍の空襲に襲われ寿雄は難を逃れたが、フィルムに火が燃え移りすべてが灰となった。しかし、NHKアーカイブスにはそのときのフィルムがしまわれていた。そこにはパーシパル(英)が写っていた。

賢五郎は徳光和夫の祖父にあたり、15歳になった賢五郎はニシン漁に見切りをつけ北海道えりも町に新天地を求めた。ここで漁師となり明治32年、22歳になった賢五郎に日露戦争への出征を命じられた。陸軍大将・乃木希典のもと旅順203高地の戦いに挑んだ。1万人もの死者を出す中、賢五郎はなんとか生き延びた。

徳光和夫は民謡番組で江差追分を聞いて涙したことがあり、ルーツが江差だったことを初めて知りゾクゾクと感じたと明かした。徳光正行は父親の映画作品を見て「祖父の誠実な人柄が現れている映画だ」と感想を述べた。

番組スタッフは賢五郎の息子・芳郎さんの元を尋ねた。芳郎さんは徳光和夫の叔父にあたる人物で、賢五郎について「初めて会った人は”古武士の趣がある人”と言ってくれた」と説明をした。

北海道で漁師をしていた徳光家は、そもそもどこから北海道に渡ったのかはっきりしていない。幕末に大分県の徳光村から北海道に渡ったという言い伝えたがあるが、大分に徳光村は存在しなかった。幕末の大分があった豊州は福岡東部も含まれていたため、北九州市小倉南区に徳光という地名が残っていた。幕末に戦乱に巻き込まれた徳光村の村人は船に乗りこの地から逃れた者もいた。徳光家の祖先は北前船に乗って北海道に向かった可能性がある。

再び北海道で取材すると北海道立文書館で興味深い資料を発見した。明治11年の江差周辺には徳光姓が多いことがわかった。江差周辺には現在も徳光姓が多い。この地域には石川県能登半島にルーツを持つ人が多く暮らしていた。さらに調べると治兵衛の妻・キリは能登半島出身だったということがわかった。

昭和20年8月終戦を迎えると、寿雄は日本映画社の渉外課長として働いた。その8年後にはテレビ放送が開始し、寿雄は日本テレビに迎えられた。そして、寿雄はテレビで映画を放送することを提案したが映画会社はテレビなんかに映画を売れるか、と言われてしまった。寿雄は海外の映画の上映を考え、字幕をアフターレコーディングすることによりアテレコを行った。東京タイムズには、日本テレビでは「ロビン・フッドの冒険」が放送されたと掲載された。また、ロビン・フッド役の外山高士が東寺の様子を語った。続いて、「パパは何でも知っている」「名犬リンチンチン」は高い視聴率となった。

徳光和夫の母・房子の家系をたどるとベストセラー作家・服部誠一に繋がった。服部誠一は房子の祖父で、明治7年に書かれた書物が神田神保町に保管されていた。服部誠一は教師もしており吉野作造も教え子の一人だった。

徳光和夫のまたいとこ・米澤静さんによると、徳光和夫は騎手の福永祐一と遠い親戚関係だということがわかった。福永祐一の父・福永洋一さん一家と遠い親戚だった。

VTRを見て徳光和夫と徳光正行が感想を述べた。

神奈川・茅ヶ崎にはマイホームがある。裏庭にある物置小屋には8mmのネガがある。映像は子どもたちの成長の記録。また、行進の指導のために作ったノートも発見された。昭和38年、大学を卒業した和夫さんは父と同じテレビの道へ進出し、親しみやすいキャラクターで人気となっていった。そんな和夫さんを取り上げた記事をファイルした物も見つかった。

「ファミリーヒストリー」のHP情報。

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エンディング (その他)
22:47~

「ファミリーヒストリー」の次回予告。

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