ファミリーヒストリー 宮川大輔(お笑い芸人)〜逆境も笑いに変えて〜

『ファミリーヒストリー』(FAMILY HISTORY)は、NHK総合テレビジョンにて2008年から放送されている、ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2012年10月8日(月) 22:04~22:52
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
22:04~

お笑い芸人・宮川大輔について紹介する。宮川大輔は一昨年に長男が生まれ、そして今年40歳になるため、自らのルーツを知りたいと思うようになった。宮川大輔のかわりに番組が、宮川家の壮絶な歳月について調査した。宮川家は、京都でも有数の問屋だったが、多額の借金を抱えることになってしまった。また、神田明神で先祖ゆかりのものが見つかったことなどを紹介する。調査の結果を伝える日、宮川は両親を連れてきた。

キーワード
世界の果てまでイッテQ!

宮川大輔(お笑い芸人)〜逆境も笑いに変えて〜 (バラエティ/情報)
22:07~

2012年6月、大輔の父宮川雅次は個人タクシーの運転手をしているが、こまめで顧客を抱えている。しかし、この職についたのは50歳のころからだった。雅次の父芳太郎は1代で問屋として富を築いたため、番組はまずは芳太郎の頃から調査した。

1922年、祖父芳太郎はふるさと金沢を離れ丁稚奉公として小物屋で働いていた。芳太郎は毎日叱られながらも懸命に仕事を覚え、28歳で独立した。1937年には日中戦争が始まり、贅沢品の取引が禁止されたため、芳太郎にとっては致命的だった。1944年に、長男雅次が誕生した。

戦争が終わると、芳太郎は女性がお金をかける日が来ると確信し、思い切って京都・烏丸通へと店を移転させた。写真はないが、長男雅次は覚えていた。芳太郎はナイロンなどの新素材を取り扱い、よみはあたり女性たちのファッションへの関心が高まり大ヒットとなった。大勢の従業員を抱え、確固たる地位を築いた。しかし、芳太郎が気がかりだったのは雅次のことだった。アナウンサー・桑原征平は当時の雅次についてぼっちゃんだったとコメントした。

1962年の大晦日、芳太郎は雅次を連れて弥栄会館でチャチャイ選手・海老原選手のボクシングの試合を観に行った。そして、現在残っている試合の映像には芳太郎の姿が写っていた。芳太郎は試合後、チャチャイ選手の楽屋を訪れ、ようやったと話に行った。これについて、桑原征平はチャチャイ選手が自分の丁稚奉公と重なる部分があったのではないかとコメントした。

大輔さんにとってもう1つの大切なルーツ。それは母・逸子さんの家族の歴史である。逸子さんの明るさを育んだのは、逸子さんの母・ユリ子さん。晩年、大輔さんたちと同居し、大輔さんにも大きな影響を与えた。

芳太郎の店に入社した長岡逸子は、その後大輔の母となる女性である。

ユリ子は大正8年生まれ。京都で育った。昭和6年、地元の名門・平安女学院に入学。クラスの中でも明るいムードメーカーだった。ユリ子は大正8年生まれ。京都で育った。昭和6年、地元の名門・平安女学院に入学。クラスの中でも明るいムードメーカーだった。当時同級生だった矢守マチさんは、ある日、親に叱られて落ち込んでいたところをユリ子に励まされたという。「手を出してごらんと言われ、手を出したら今のマニキュアを塗ってくれてとても嬉しかった」と話した。

大輔も父雅次も、ボクシングの映像に祖父芳太郎が写っていることに感動していた。雅次は、芳太郎から勝ち負けは関係ないので一生懸命やれと話していたと話した。

芳太郎が具合が悪いとき、長岡は芳太郎に親切にしていた。その長岡の優しい姿に雅次が魅了されていることに、芳太郎は気づいていた。そして、芳太郎は体調が悪い中長岡と3人でドライブに行きたいと話し、3人で出掛けた。次第に話す2人に対して、芳太郎は微笑ましかった。その晩、芳太郎は急に容態を悪くし、翌日息を引き取った。これに対して、雅次は父が気に入ってくれたと感じたと話した。そして、2年後に結婚した。そして、1972年大輔が誕生した。

優秀な成績で学校を卒業したユリ子は、看護婦を目指した。昭和13年、ユリ子は晴れて看護婦として働きはじめる。その後、結婚。28歳で元気な女の子・後の宮川大輔の母、逸子を授かる。ユリ子は英語力を活かし、アメリカ人医師が開設した病院で働きはじめた。ユリ子は外国人患者や娘の逸子の前でもユーモアを忘れなかった。

1973年、従業員の焚き火が原因で大火事となってしまった。雅次に重圧がのしかかったが、そんなとき思い出したのは芳太郎の姿だった。そして、自らを奮い立たせ店舗も従業員も失ったが縁日で焼け残った商品を売り歩いた。また、新商品の開発も行うと、商品は少しづつ売れるようになった。しかし、軌道にのっても外国製の商品に押されてしまう。雅次は喫茶店も始めるが、数年たつと客足が遠のき、借金が増えていった。

大輔さんと言えばお祭り。大輔さんの母方のルーツをたどり、江戸時代まで明らかにしたところ、大輔さんから5代前の先祖・永瀬源七という人物に行きあたった。暮らしていたのは今の埼玉県川口市。鋳物職人として働いていた。その源七に深い関わりがあるのが神田明神。150年前に作られた鋳物の桶を製作した職人が永瀬源七だったのである。

雅次は、家族に迷惑をかけられないとして商売を辞めることにした。一家は自宅を売り払い、郊外に引っ越すことにした。そして、雅次は借金返済のためにタクシーの運転手をすることにした。新たに免許を取得し、接客を学んだ。そんな時、偶然乗せたのは小学校の同級生だったが、えらいかわりはったと話したことに対して、傷ついた。帰宅し、妻にそのことを話すと、雅次に対して悪くないから堂々としてればよいと慰めた。そして、雅次は再び奮い立った。

10年以上雅次は無事故を守り、優良ドライバーとして実績を作っている。それは、芳太郎からのつらいことがあっても逃げるなとの言葉を守っていた。そして、借金も返済し、今では息子大輔の活躍を楽しみにしている。大輔は、祖父母のルーツを知らなかったが、辛いときに父が母に励まされていることを感じることが出来てよかったとコメントした。父雅次は一旦落ちると違う面がわかるとコメントした。

宮川逸子さんは、「先祖の永瀬源七が鋳物職人だったことは知っていたが、神田明神の桶を製作するほという立派な仕事をしていたことは知らなかった」と話した。宮川大輔は、祖母のユリ子さんについて「女手ひとつで育てたということは、苦労もあったと思うが、笑いに変えていたのだろう」と話した。

大輔たちは、先祖・永瀬源七が作った桶を見るために神田明神を訪れた。大輔はここがパワースポットに感じるとコメントした。

昭和39年、芳太郎がボクシングの試合を観戦してから2年後、59歳で突然脳卒中で倒れた。右半身が不自由になり、入院を余儀なくされていたが、無理を言って仕事に戻っていた。その姿に、息子・雅次は父の覚悟を感じだという。

キーワード
芳太郎さん
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長岡逸子
永瀬源七
宮川芳太郎

エンディング (その他)
22:51~

「ファミリーヒストリー」の番組宣伝。

エンディング映像。

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