ファミリーヒストリー 「小澤征悦〜謎だった曽祖父の行方 75年ぶりの真実〜」

『ファミリーヒストリー』(FAMILY HISTORY)は、NHK総合テレビジョンにて2008年から放送されている、ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2019年8月15日(木) 23:50~ 1:02
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
23:50~

俳優・小澤征悦はコミカルからシリアスな演技まで幅広くこなす実力派俳優。父は世界のオザワとして知られる指揮者の小澤征爾、母はモデルとして活躍した入江美樹、姉はエッセイストの小澤征良、いとこはミュージシャンの小沢健二という華麗なる一族。

小澤征悦は「おじいちゃんぐらいまでの代はなんとなくは知っていますけどそれより上ってなると分からない」と話した。

キーワード
小澤征爾
入江美樹
小澤征良
小沢健二
日本テレビ
もみ消して冬2019夏

小澤征悦 (バラエティ/情報)
23:52~

小澤征悦の祖先は山梨県西八千代郡市川三郷町高田に曽祖父の代まで暮らしていた。ドイツ文学者で昔話研究をする征悦の伯父・小澤俊夫さんは89歳の今も全国を公演で飛び回っている。彼は小澤征爾の兄で小沢健二の父親でもある。征悦の曽祖父、小澤新作は土木業を請け負い、明治40年代、率先して復旧作業にあたっていた。村のまとめ役でもあった。新作の孫・清さんによると幸徳秋水を匿ったという。

明治31年(1898)12月27日、小澤征悦の祖父・小澤開作が誕生。この時の小澤家は楽ではなくわらじを作っていた。尋常小学校の高等科まで成績は常に優秀。勉強好きだった開作の姿は村で語り継がれていた。好奇心旺盛で活発な青年に成長した開作は音楽教師・福井先生に恋い焦がれていたと記述が残されている。音楽教師は引っ越してしまい開作の淡い初恋は終わった。成績が優秀だった開作は医者を目指した。しかし医学部に通う事は経済的に許されなかった。検定だけで資格がとれる歯科医になろうと専門学校に通った。大正9年、21歳の時に歯科医師の免許を取得した。地元の歯科医の助手になるが向学心が人一倍強かった開作は本場ドイツで勉強したいと思うようになった。必死に渡航費を貯め大正12年、24歳の時にドイツへ向けて出発した。途中、中国大連に紀行した時に中耳炎にかかり大連満鉄病院に入院した。その後、回復した開作は満州で歯科医が少ない事に気付いた。開作は満州に留まり歯科医院を開業。その頃知り合った知人に見合いを勧められた。仙台出身のさくらという女性だった。小澤家ではさくらの生前、その人生を聞き取っていた。昭和2年6月、開作とさくらは結婚。

オザケンの父親が89歳で活躍している事について小澤征悦は「児童文学をやられてるんですけどみんな好き勝手やってますよね小澤家」と話した。

中国東北部・長春では今でも日本統治時代の建物が残っている。昭和3年、開作の長男・克己が誕生、2年後には俊夫も誕生し長春で新たな家庭を築き始めた。開作はここで歯科医院を開業、日本人だけでなく朝鮮人や中国人の患者も診る評判の歯医者となった。昭和6年5月、小澤歯科医院に数人の朝鮮人達が駆け込んできた。万宝山と呼ばれる地域には当時、入植した多くの朝鮮人開拓民が暮らしていた。朝鮮人らが中国人と用水路の建設を巡り激しい争いになり、有力者だった開作に助けを求めた。当時、満州では排日運動が高まり朝鮮人の迫害も激しさを増した。開作は満州青年連盟の一因だった。目指したのは五族協和だった。開作は万宝山事件の対応を日本領事館がしないのを見ると、朝鮮人達の窮状を訴える講演会を開き義援金を集めてしまった。昭和6年7月、開作は仲間たちと日本遊説し軍患部や犬養毅首相に万宝山事件の事を訴えた。

昭和6年9月18日、満州事変が起こった。長春郊外でも激しい戦闘が繰り広げられた。開作はすぐに青年連盟で救護班を結成し負傷した日本兵の救援にあたった。その働きで開作は満州に駐屯していた関東軍の患部から信頼を受けるようになっていった。その1人が関東軍作戦主任参謀の石原莞爾だった。2人はすぐに意気投合した。鶴岡市郷土資料館に石原莞爾が撮影した満州の映像が残されていた。板垣征四郎の他、当時32歳だった開作の姿を見つける事が出来た。

関東軍の仕事を手伝い開作は忙しく飛び回った。妻・さくらは一人子育てに追われる日々。この時、1歳だった次男・俊夫が大やけどをした。俊夫はその事をずっと聞かないでいたが、さくらが90歳の時、ほろ蚊帳に火が移って燃えカスが顔に燃え移ったと明かした。昭和7年3月1日、満州国が建国。歯科医院を畳み関東軍に協力するため当時司令部が置かれていた奉天へ移住。開作は軍の仕事で帰ってこない日々が続いた。一人家庭を守るさくらは心に余裕がなくなっていた。

昭和10年9月1日、小澤家の3男は満州医科大学病院で産声をあげた。板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつとって征爾と名付けられた。

小澤征悦は「当時開作おじいちゃんが板垣征四郎さんと石原莞爾さんと一緒にいたのかというのは詳しく知らなかったので今見てなるほどなと。行動力が生んだんですね出会いとそのつながりを」とコメント。

昭和11年、一家は北京に移り住み翌年には幹雄も生まれ6人家族となった。開作は39歳、新しい政治組織・中華民国新民会に参加するため北京に拠点を置いた。五族共和の理想を実現するため日本人だけでなく中国人と手を取り合い活動しようとした。この頃、開作を慕う若者が集うようになり自宅は小澤公館と呼ばれるようになった。建物は今も残っている。元新民会メンバーだった高松亨明は息子・秀興さんにさくらが作る火鍋子が美味しかったと話していたという。当時使っていた中華鍋・火鍋子が残されていた。

クリスチャンだったさくらは日曜日になると征爾たちを教会を連れて行った。賛美歌が好きだったさくらは4人の息子に和音で賛美歌を歌わせた。

昭和13年、日中戦争は拡大の一途をたどっていた。当時、関東軍の参謀副長だった石原莞爾は戦線の不拡大を主張していた。東條英機らと対立し参謀副長を罷免され日本に帰国した。後ろ盾を失った開作は思うような活動が出来なくなった。昭和14年、開作は日本に一時帰国し石原の元に相談に行った。石原の日記にその事について記されている。昭和16年5月、さくらと子供達が日本へ帰国した。開作は自らの主張を訴えるために華北評論の発行に踏み切った。軍部の中国への姿勢を批判すると発禁処分を受けた。昭和18年10月、開作は退去勧告を受け日本に戻った。

小澤征悦は「すごいですね本当に歴史ですよね。太平洋戦争が始まる半年前に開作さん以外を日本にというのがすごいタイミングですよね。もっと言うと本人が日本に帰ってきた終戦前に帰って来たというのは」と話した。

中国から引き揚げてきた小澤一家は終戦後、東京・立川で暮らし始めた。征爾は10歳になっていた。開作は帰国後、仕事に行き詰まっていた。さくらは内職でネクタイを作り家計を支えていた。余裕のない暮らしの中でも征爾の才能を家族は見逃さなかった。長男の克己は自分が通う中学校に征爾を連れていきピアノを弾かせた。すると覚えの速さに驚いた。それを聞いた開作は大切にしていたカメラを売って親戚からピアノを買う段取りを付けた。売ってくれた家から40km、3日かけてピアノをリアカーで運んだ。昭和23年、13歳になった征爾は成城学園中学校に入学。この日、弟の幹雄さんがやってきたのは成城学園中学校の合唱団・城の音合唱団の練習だった。この合唱団は征爾が中学生の時に結成したもの。中学の時、征爾がもうひとつ情熱を注いだのはラグビーだった。しかし、指を大ケガしてしまいピアニストを目指す征爾には致命傷となった。そんな時、親戚に指揮者がいる事をさくらが教えてくれた。当時、日本の指揮者の第一人者として知られた齋藤秀雄だった。征爾はさっそく齋藤に弟子入りを頼みに言った。昭和27年、征爾は桐朋学園女子高等学校音楽科に入学。昭和34年、征爾が23歳の時、貨物船でヨーロッパへ旅立った。

日本を発ったその年の9月、征爾はブザンソン国際指揮者コンクールで優勝を果たした。そして、世界的指揮者バーンスタインらに師事し、ニューヨークフィルの副指揮者に就任。その後、外国の交響楽団の音楽監督を務めるようになった。学生時代からの友人である志賀佳子さんは「小澤征爾がやって蓄積してくれた効果がそこにはあると思う。若い人たちにとって」と語る。昭和40年、征爾は日本でも交響楽団の常任指揮者となった。その頃、ヴィタリ・イリインの家で開かれたパーティに招待された征爾は、ヴィタリと意気投合。その後、入江美樹の名でモデルとして活躍していたイリインの娘・ヴェラと結婚した。

今田耕司は「才能を家族で共有したというのがすごい」とコメント。小澤征悦は「うちのおやじは今でも自分はみんなに助けられて音楽家になれたという表現の仕方をしている」と語った。

小澤征悦のもう一つのルーツである母方・ヴェラのルーツをたどる。まずは、ロシアから日本にやって来たという曽祖父・ピョートルの足跡を探るためモスクワで取材。ロシア国立歴史図書館で発見した新聞に、ピョートルを探す尋ね人の記事が掲載されていた。その記事を出したゲレーナという女性の住所を訪ねると、彼女は亡くなっていたが、息子・ユーリさん一家が住んでいた。ゲレーナの祖母・ナターシャは1917年、ロシア革命の時に生き別れた妹夫婦を探していた。それが、征悦の曽祖父・ピョートルと妻・ヴェラだった。2人が生まれたというトボリスクで調査すると、ピョートルの父・ニコライは、ベラルーシの貧しい村・ゴドヴェツから開発が進んでいたシベリアへ新天地を求めて移住した農民だったことがわかった。その後、ピョートルは農家を継がず建設技師になってトボリスクの移民局で働き、シベリアの開発に関わった。そして1915年、ロシア帝国の陸軍に徴兵され、軍人となり昇進を重ねた。この頃、裕福な商人の娘・ヴェラと結婚。1917年にロシア革命が勃発し、内戦の混乱の中でヴィタリが誕生した。さらに資料館では、内戦終結後の一家の足取りがわかった。白軍の一員だったピョートルは1924年冬から1925年にかけて、妻子を連れてソビエトを脱出し、ハルビンへ渡っていた。その後、大連に移った一家の近所で暮らしていたガリーナ・アセエワさんに話を聞いた。ガリーナさんの一家は弾圧を受けた白系ロシアの家系で、ガリーナさんはピョートル夫妻のことを憶えていた。当時、日本の統治下にあった大連で2人の息子は日本語に親しみ、ピョートルはより良い教育を受けさせようと日本の大学に留学させることを決めた。

昭和13年ごろ、ピョートルの2人の息子は、母・ヴェラと共に横浜で暮らし始め、大連で不動産業が忙しかったピョートルは中国に残った。征悦の祖父・ヴィタリは、日本大学工学部で建築を学び、在学中に出会った君江と結婚。結婚式のために中国から駆けつけたピョートルは、そのまま妻・ヴェラとともに息子夫婦と横浜で暮らし始めた。そして昭和19年、のちに征悦の母となるヴェラが誕生。そんな矢先、ピョートルは一時大連へ戻ることになった。だが昭和20年、ソ連軍が満州に侵攻し、元白軍兵士や白系ロシア人らは次々と捕らえられる中、ピョートルも捕らえられた。今回、ピョートルのその後を伝える記録が見つかり、政治犯として25年の懲役刑を受け、カザフスタンのカラガンダ矯正労働収容所に送られていたことがわかった。日本人も数多く収容されていたという。この収容所に収容されていた阿彦哲郎さんは「一番つらかったのは食べ物だった。(体は)骨だけ。(家族に)会いたかったが全然分からなかった。何をしていいか」と語った。ピョートルは収容所に送られた9年後、がんにより死亡していた。遺体はペスチャンヌィ収容所跡に埋められたというが墓もなく、ただ埋められるだけの土葬であったという。

征悦は「つらい気持ちもあるが存在を知れて安心したという気持ちはある」と語り、「両家とも進もうとする力が強い」とコメントした。

今年83歳の小澤征爾さんは今年5月、アルゼンチン出身の世界的ピアニストであるマルタ・アルゲリッチさんの演奏会で指揮を務めた。長年、征爾さんと共演してきたマルタさんは「音楽は彼にとって生きること。彼は音楽にも命を与えている」と話す。息子である征悦さんは平成10年、23歳の時に俳優の道に進み、翌年には映画の主演を務め、高い演技力で注目を集めた。さらに平成28年にはハリウッド映画にも出演。小澤家の親戚であるユリさん・ゆかりさん姉妹は「(征爾さんは)征悦くんがでたものとか見たり、褒めたり話ししてる時に涙を流す。自分にはない才能を彼は持っているということは言っていた」と明かした。

征悦さんの曾祖母・ヴェラの父親は、ギルド商人と呼ばれる有力者のピョートル・クズミンであることがわかった。クズミンたちトボリスクのギルド商人たちは、120年前にシベリアの地に文化を築こうと市民劇場を建設。ナターシャのひ孫にあたるリディアさんは現在、劇団を運営する演出家で、演劇学校で若者たちを育てているという。リディアさんは「征悦が俳優だと知ったとき、とても喜んだ。私たち家族の伝統の根が私たちを結びつけている」と語った。

小澤征悦さんは「本当にすご過ぎて自分の話だとは思えない」と驚きを露わにした。

NHKオンデマンドの告知テロップ。

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大連(中国)
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スターリン
ヴァラ
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ペスチャンヌィ収容所跡
カザフスタン
胃がん
肝臓がん
甲状腺がん
横浜(神奈川)
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アルゲリッチ ベートーヴェンを弾く
徳川慶喜
豚の報い
JUKAI-樹海-
ピョートル・クズミン
樹海
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エンディング (その他)
01:01~

ファミリーヒストリーの次回予告

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大河ドラマ「いだてん」の次回予告。

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