ファミリーヒストリー 三木谷浩史〜経営者の原点 戦国武将の魂〜

『ファミリーヒストリー』(FAMILY HISTORY)は、NHK総合テレビジョンにて2008年から放送されている、ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2018年12月17日(月) 19:30~20:43
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
19:30~

今年5月、楽天社長の三木谷浩史さんはある記者会見に臨んだ。オーナーをつとめるヴィッセル神戸がスペイン出身のスーパースター、アンドレス・イニエスタの獲得を発表した。21年前、三木谷さんは31歳でネット通販事業を操業。金融業や旅行業など様々な分野に挑戦を続けている。今や世界29ヵ国で事業を展開。従業員数は1万4000人を超える。そんな三木谷さんには驚きの先祖がいる。それは父方の祖母・昌子さんのルーツ。徳川家康の側近だった戦国武将・本多忠勝。しかし明治になり、本多家は苦境に立たされ、祖母はタバコ屋で家計を支えた。三木谷さんに代わりに家族の歴史を追った。

テロップ:オープニングテーマ曲 横山克

三木谷浩史さんが登場。今田さんは「三木谷さんは存在しているんですね、ニュースでしかみないから」とコメント。三木谷さんは「ちょっとわくわくと緊張してます」と話した。

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三木谷節子さん

三木谷浩史 (バラエティ/情報)
19:33~

三木谷浩史は「どうやって米問屋が潰れたかというのはよく分かってなかったんですよね」などと話した。

三木谷浩史は「落ち方が凄いですよね。当時から物は大切にしろ、人には優しくしろとかずっと言ってたもんで。ずっと残ってますね」などと話した。

三木谷浩史は「たばこ屋も一種の社交場みたいだったらしい。おばあちゃんがいるからみんな買いに来る。私も子供のころはあそこに行ってアイスクリームとかガムとかもらった」などと話した。

三木谷浩史は「馴れ初めの話しは聞いたことがなかったですね。母親の方は今でこそ女性が大活躍する時代になりましたけど、既成概念にとらわれないっていうところはありました」などと話した。また今でこそ女性が活躍する時代だが既成概念にとらわれないところがあったという。

三木谷浩史さんの祖母・昌子さんは10年前、95歳で亡くなった。三木谷浩史さんは精神力の強い人だった、プライドは自分が本多家の末裔であるところから来ていると思うと話した。昌子さんの先祖といわれる徳川家康の側近・本多忠勝は徳川四天王の一人。大河ドラマ・真田丸では藤岡弘、さんが演じた。静岡大学の小和田哲男名誉教授は、「本多忠勝は武功派筆頭。使っていた槍が蜻蛉切という有名なもので、穂先にトンボが止まっただけで切れたという槍だが、それを使い先陣を切るという武将」と語った。本能寺の変のあと、家康を岡崎に逃がすため、河内から伊賀を超える伊賀越えでも知られる。本多忠勝のひ孫にあたるのが本多忠英で、1679年、現在の兵庫県に来た。この忠英が昌子さんに繋がる。

今年8月三木谷浩史さんの故郷・神戸で行われたヴィッセル神戸の試合。イニエスタがJリーグでの初ゴールを決めた日。客席で声援を送っていたのが三木谷さんの母、節子さん87歳、そして兄の研一さん。5年前、83歳で亡くなった父の良一さんは名誉教授だった。兄の研一さんは父から三木谷のルーツについて聞いていることがあるという。

神戸から北に30キロ、兵庫・三木市。石灯籠は江戸時代新田開発が無事に終わった時に建てられたものだった。この三木屋さんが当時の藩から要請を受けて参加して資金を出したと思われる。三木谷家の一族の先祖の当主の方だと想像できるとしている。当時、三木屋は故郷を離れ、神戸を米問屋を始めていた。遠い親戚の家で米問屋に関する手がかりが見つかった。金場豊さんのお宅に古い戸籍の写しが残っていた。江戸時代後期、三木谷さんの6代前の先祖、初代だった。親戚の奥井好昭さんの母は三木谷さんの祖父の妹にあたる。奥井さんの母はルーツについて知る限りのことを書いてある文書を残していた。

神戸の歴史に詳しい高田誠司さんによると明治初期の三木谷家に関する手がかりが見つかった。江戸時代末期から明治初期の土地台帳。いい立地だったため大変な大きな商いをされていたと思うと話した。三代目は成功をした実業家などを紹介する冊子に何度もその名前をつらねていた。しかし4代目のときにある事件に巻き込まれていた。各地の米屋や米問屋が次々と襲われていた米騒動。江戸時代から続いた三木谷家の米問屋も店をたたまないといけなくなった。やむなく、親戚がいた綿工場で働いたという。働きだして8年程たったとき、立ち寄った店にいたのが三木谷さんの祖母の昌子さんだった。

明治2年、新政府が発足する中で山崎藩では忠明が藩主となった。しかしその2年後、廃藩置県が行われると山崎藩だけは東京への移住を命じられる。当時の本多家の日誌には東京にあった屋敷の詳細が記されていた。明治初期、本多家の敷地は現在の虎ノ門駅前にあった。明治9年に忠明の五男である忠銓が生まれた。そして明治17年に華族令が出され、本多家は子爵の称号を与えられたが、生活が困窮していた。明治17年に華族就学規則が制定されると、8歳だった忠銓は学習院の入学を迫られたが、困窮のために14歳で学習院初等学科4年に編入した。忠銓さんが20歳になった頃、さらに本多家は困窮したので、生活を支えるために陸軍の試験を合格したが脚気のために不採用となった。

昭和4年、兵庫県神戸市には綿工場があった。たばこ屋を任された清三は息子の良一にしっかりとした教育を受けさせたいと願っていた。清三は突然病にかかり、香川・髙松の病院に入院した。3ヶ月後、28年という短い月日で清三は亡くなった。妻・昌子は18歳で1歳の良一を抱え、途方に暮れる。昌子らは実家に戻り、母と暮らすことになった。だが昌子は実家の下駄屋の僅かな収入で暮らしていけないと考え、たばこ屋を始めた。三木谷さんの母・節子さんは、若い頃の昌子の写真を持っている。当時、昌子の美しさに再婚話が持ち込まれていた。そして昌子は、息子の良一を大学まで行かせることを誓う。

明治31年に忠銓を始めとした本多家は兵庫県山崎町に戻った。本多家はかつての家臣に助けてもらい、家臣の口利きで地元の小学校教員代用教員の職業についた。忠銓はあちこちの小学校を転々としながら、12年務めていたが給料が上がらなかったので神戸に嫁いでいた姉から職を紹介してもらった。麻の袋をつくる工場の事務に就いた忠銓は、後の三木谷さんの曾祖母である伊吹くにさんと一緒になった。そして三木谷さんの祖母である昌子さんが生まれたが、忠銓は45歳の若さで亡くなった。くにさんは小さい下駄屋を始めると、近所の綿工場で働いていた三木谷さんの祖父となる清三さんがやってきて2人は結ばれた。その後、昭和4年に三木谷さんの父である良一さんが誕生した。

三木谷さんの母節子さんは幼少期を海外で過ごし英語が得意だという。実家のルーツは和歌山県黒江にある。曽祖父は漆器の向上を営んでおり100年以上前作ったとされるおぼんが残っていた。宮内庁で使ってもらった名誉あるお盆だという。また結婚した田島家で兄弟たちが起こした貿易会社・田嶋商店は現在も神戸で続いているという。また甥が創業したのがミノルタカメラだという。三木谷さんの祖父は神戸高等商業学校に入学し東京商科大学へ進んだ。30歳で結婚し後の三木谷さんの母が生まれた。またニューヨークに行った際の新年会の写真を紹介した。その後昭和16年に帰国命令が出てもっと居たかったと話す。その翌年家族を連れ上海支店へ移り一家はそのまま中国で終戦を迎えたという。

昭和15年、昌子は10歳になった良一を兵庫県の山崎地に連れて行った。当時の様子が本田家の日誌に示されていた。2年後に旧姓・神戸市立神戸中学校に入学。良一は母の期待に答えようと、常に学年トップだった。良一の後輩の麻植晃さんは、良一が生徒会長だったことを教えてくれた。また直木賞作家の野坂昭如さんも同じ中学校に通っていたという。

昭和20年になると神戸でも空襲は激しくなる。だが自宅のたばこ屋は焼失が免れた。昭和22年、旧姓・神戸経済大学に入学。当時の良一の日記には「親の愛に対する唯一の返報である」などと書かれていた。神戸大学に良一の記録が残っていた。良一は当時、家庭教師のバイトをしながら学資を稼いでいたという。同級生の慎三さんは「優秀で真面目な存在だった」などと話した。1年後、所属していたゼミで三木谷さんの母・節子さんに出会った。

母はゆくゆくは商社で働きたいと思うようになる。しかし女性は家庭に入るのが一般的な時代で特に母に猛反対された。それでも昭和25年に神戸大学に入学。同級生の男性は母節子は紅一点で注目されていたという。2年になり金融論を学ぶゼミに入りそこで出会ったのが三木谷さんの父良一だった。やがて交際を始め良一は母を楽にさせたいと銀行への就職を考えていた。しかしもっと学問を究めたいという思いもくすぶっていた所母は好きな事をしなさいと話したという。昭和28年良一は大学に残り経済学者になる道を選んだ。一方節子は翌年念願だった商社で働くようになる。節子の卒業式の日結婚しませんか?と言われたという。

正社員を始めた母・節子の当時の記録が残っていた。新入社員21人中、節子さん1人だけ女性だったという。良一は節子の実家に結婚の許しを貰いに行くが、反対されてしまう。そこで昌子は浦嶋家に向かい、「一人息子の教育と成長を見守ることができて幸せだった」などと話して頭を下げた。節子の父・秀雄は感動し、結婚を許した。昭和31年に良一と節子は結婚。3年後に長女・育子が誕生した。その後に職場復帰を試みたが、仕事と子育てに理解のない時代だった。節子はやもなく退職した。そして次男・浩史が誕生した。

昭和40年3月に次男・浩史が誕生。父は神戸大学の教授になり、家族で明石に暮らした。節子が最も手を焼いたのが、末っ子の浩史だった。

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