ファミリーヒストリー 選「樹木希林〜女が土台 受け継がれる覚悟〜」

『ファミリーヒストリー』(FAMILY HISTORY)は、NHK総合テレビジョンにて2008年から放送されている、ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2018年9月24日(月) 10:05~10:51
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
10:05~

女優の樹木希林さん 、本名は内田啓子。旧姓は中谷という。希林さんが書いた家系図では、父親の中谷辰治は三浦家から婿養子に入っている。その三浦家の祖先を遡ると、三浦按針の名前があった。今回は、樹木希林の家族について探る。

オープニングテーマ曲、横山克。

キーワード
三浦按針
中谷辰治
横山克

ファミリーヒストリー/樹木希林〜女が土台 受け継がれる覚悟〜 (バラエティ/情報)
10:07~

希林さんの父親・辰治の旧姓は三浦。その三浦家を探る。三浦家は代々、東京・足立区で青果問屋を営んできた。青果問屋の名前は葛西屋といった。希林さんのはとこである中嶋喜文さんは、「三浦按針は白人で、中嶋の家系はみんな色が白く背も高い」などと話した。ウィリアム・アダムスは徳川家康から現在の三浦半島の領地をもらい、それ以来三浦按針を名乗った。歴史研究家の鈴木かほるさんは、「三浦按針は子どもが男女一人ずついる。その長子が二代目の三浦按針を継いでいるが、二代目の三浦按針は子が無くて家が途絶えたとされている」などと話した。

大正時代、青果問屋を営む希林さんの祖父・三浦眞吉のもとに、飯塚歌が嫁にきた。歌の戸籍には、「飯塚家はかつて士族だった」と書かれている。歌には、飯塚家から持参したという徳川慶喜本人の直筆の書があった。書を鑑定してもらうと、山岡鉄舟の書だということが分かった。書には、「家人初方照」と書かれている。由緒書には、1746年に方照が一橋徳川家の家臣になったと書かれていた。さらに鑑定を進めると、歌の曽祖父に宛てた徳川慶喜からの手紙が見つかった。

樹木希林さんは、「私の父親には兄弟が男6人いるが、全員鷲鼻で色白で背が高く巻き毛だった。文献はないが、私の子どもたちがイギリスに行きたがっていたのも何かに惹かれているような気もする」などと話した。

希林さんの母の実家である中谷家。 中谷の祖先は長州毛利家に仕えていた茶坊主だったと、希林さんは母から聞いていた。山口県文書館で中谷家の書物を調べると、中谷家初代の久右衛門が越前福井藩出身であることが分かった。藩主の娘が毛利家に嫁入りする際、家臣として行動を共にしていたという。中谷家は代々、市左衛門という名前を襲名している。最も近い時代を生きたのが茂十郎で、希林さんの家に伝わる記録にもその名前が残されていた。山口・萩市の松陰神社に、茂十郎に縁のあるものが残されていた。

山口・萩市にある松陰神社。松下村塾は吉田松陰が主宰した私塾で、希林さんの先祖、中谷茂十郎もこの松下村塾で学んだ一人だった。やがて長州藩は明治維新を主導し新政府を樹立するが、中谷茂十郎も東京に住まいを移す。明治時代、茂十郎は明治政府の一員として皇居御造営事務局で働いていた。東海大学の小沢朝江教授によると、皇居御造営事務局とは明治宮殿の設計の実務と工事を担当した部署だという。宮殿完成の翌年、ここで大日本帝国憲法が発布された。

樹木希林は、「私は家の造作が好き。先祖の話が本当なら納得できる。茶坊主には情報がよく入ってくるから、私のワイドショー好きもここに関係しているのかも」などと話した。

昭和初期、東京・神保町にはカフェーという店が立ち並ぶ新天地があった。中でも賑わう「東宝」という人気のカフェーを、後に希林さんの母となる中谷清子が経営していた。そのカフェー「東宝」に、後に希林さんの父になる警察官の三浦辰治が足繁く通っていた。見回りと称して、東宝で働く清子に会いに行っていたという。警察官と水商売の女性の結婚は当時はご法度だったが、辰治は仕事をあっさりやめて清子と結婚した。

希林さんの母、中谷清子の本籍地、山口・阿東地福上を訪れた。この地域には中谷家の親戚は住んでおらず、手がかりは戸籍の住所と清子の父が芝居興行をやっていたという情報のみ。戸籍に記載されていた場所は畑になっていた。

村のはずれにある神社で、かつて芝居興行が行われていたという。明治42年、希林さんの母・清子は生まれたが、その2年後には父が亡くなり、母娘2人きりとなった。大正2年、4歳の清子は母とともに故郷を出る。その十数年後、清子は広島県で女の子を生んでいた。しかし清子は一人で女の子を育てることができなかったため、母親の親戚に養子に出さざるを得なかった。その後、清子は一人で広島を去っている。

女の子を出産して5年後、22年となった清子は京都に住まいを移した。当時は劇団の裏方として働いていた。清子は京都で息子の浩を出産。浩は9年前に亡くなった。浩の父親である谷川梅三郎は、京都で飲食店を経営していた実業家。妻のいる梅三郎との間に、清子は子どもを生んだ。妻との間に子どもがいなかった梅三郎は、清子に浩を跡継ぎとして引き取ることを持ちかける。清子は再び子どもを手放さざるを得なかった。その後、東京・神保町にたどり着き、心機一転して開いたのがカフェー「東宝」。そこで辰治と出会った。

結婚翌日、清子と辰治の間に希林さんが誕生。清子は持ち前の商才を発揮して不動産業を始めるなどビジネスの幅を広げた。しかし戦争が終わった昭和20年、中谷家は住まいも店もアパートも全て失った。そんな中で次女が生まれ4人となった中谷家。焼け跡での暮らしを支えたのは清子だった。清子は洋裁の仕事に目をつけ、仕立屋を始めた。一方、辰治は趣味の薩摩琵琶にのめり込んでいた。

希林さんが小学校に上がったころ、中谷家は雑司ヶ谷に家を購入する。当時は珍しい2階建てだった。家族が暮らす部屋以外は人に貸し出したが、アメリカ人の愛人や水商売の女性など、変わった人が住むようになったという。1階で結婚相談所を開くと、いつの間にか売春斡旋所になったこともあった。

終戦から6年、清子は神奈川・野毛町で再び飲食店の経営に乗り出す。65年後の今も続く名物店で、客の求めに応じて朝から店を開いて繁盛させていった。店が軌道に乗り始めたころ、清子が京都で生んだ浩が訪ねてきた。清子は手紙をしたため、浩の実父に溢れる思いを伝えていた。成長した息子に、清子は浩に店で一緒に働くよう勧める。昭和34年、浩は妻と2人で店で働くようになった。浩だけでなく、広島で最初に生んだ豊美も呼び店を手伝うようになった。しかし豊美と浩は、希林さんに清子の子どもであることを伝えてはいけない決まりになっていた。

樹木希林は、「母はみんなに隠して父親には肩身狭い思いをしている。息子が訪ねてきたときの母の気持ちを思うと感慨深い。母親としては辛かった時代があったのだろうなと思った」などと話した。

夫・辰治に出会う前、2人の子どもを手放さざるを得なかった清子。晩年、その子どもたちを呼び寄せることができた背景には、夫・辰治の後押しがあった。清子が浩の実父に送った手紙には、辰治の温かい思いやりの言葉が記されていた。辰治は趣味の琵琶にのめり込み、やがてプロの奏者として多くの弟子に囲まれた。希林さんの妹・昌子さんは、父の後を継いで琵琶奏者として活躍している。希林さんは役者の道を選び、出演した人気ドラマで親子共演を果たした。

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エンディング (その他)
10:49~

エンディング映像。

番組宣伝 (その他)
10:50~

ファミリーヒストリーの番組宣伝。

NHKスペシャルの番組宣伝。

どーも、NHKですのアニメーションが流れた。

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