ファミリーヒストリー 泉ピン子〜父が語ったルーツ 銚子の遊郭は本当か〜

『ファミリーヒストリー』(FAMILY HISTORY)は、NHK総合テレビジョンにて2008年から放送されている、ドキュメンタリー番組である。

出典:goo Wikipedia

放送日 2017年11月11日(土) 10:05~10:55
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
10:05~

幼くして母親を亡くした少女が18歳で芸能界にデビュー。長い下積み時代を経てその才能を花開かせた。「連続テレビ小説 おしん」の母親役で一躍女優としての評価を高めた。

泉ピン子は「正直朝4時まで眠れなかった」「父が亡くなった時の形見の着物を女仕立てにして羽織と作っといた。ちょっと気合入ってます」と話す。

キーワード
連続テレビ小説 おしん

泉ピン子 (バラエティ/情報)
10:06~

泉ピン子の旧姓は江口小夜。父親に本籍は銀座4丁目と聞かされてきた。現在は洋服店が営業されており、昭和の始めに祖父がこの場所で飲食店を開いていたという。曽祖父、江口栄助が銚子で遊郭を営んでいたと聞かされていたピン子。銚子市に住む江口忠衛さんは「親戚関係という話は聞いたことが無い」と話す。銚子市公正図書館で遊郭の資料を調べたところ関係者の欄にも栄助の名前はなかった。取材範囲を旭市飯岡にも広げ「玉崎神社」で貴重な文書が見つかった。神社の所有地に住んでた人の中に栄助さんの名前があった。戸籍を調べたところ、ピン子さんの祖父・熊次郎の名前も記されていた。飯岡は古くから鰯の有数の漁場として知られていた。鰯を干した干鰯は田畑の肥料として大きな需要があった。一攫千金を夢見て多くの漁師が飯岡に集まった。ピン子さんの先祖もその中にいたと見られている。

大正元年、35歳の熊次郎は東京・深川に移り住んだ。戸籍に書かれた番地を尋ねると江口家とはゆかりの無い人が住んでいた。しかし永田通子さんは銚子市の出身で漁師を営んでいたことを明かす。江戸時代初期、利根川は東京湾に注いでいたが、水害が多発した為、幕府は利根川が銚子へ流れるように大工事を行った。その結果銚子と江戸が川で繋がり物資を積んだ船が行き交い人の往来も盛んになった。ピン子さんのいとこ山田美緒さんは熊次郎について「浅草のうなぎ屋”重箱”で修行したという話を聞きました」と説明。熊次郎はその後、さくと結婚し銀座の裏通りでうなぎ屋”ひさご”を開業した。ピン子さんのいとこ長野勝さんはひさごで食事をした当時のエピソードを話した。

泉ピン子は「だからうなぎが好きなのかなと思った」とコメント。漁師だったことを知ると「だから私農村漁村の役が上手いのね」と話した。さらに銀座に土地を所有していたら「私今やってない こんなことやらないわよ。貸しビルにしたら 悠々自適よ」と話した。

ピン子さんの父、江口鉱三郎は浪曲師だった。いとこの長野勝さんは、銀座で育った鉱三郎について「銀座の番長みたいだったから、プロボクサーを目指してジムに通っていた。グレてやんちゃもやんちゃでしたよ」と話す。熊次郎が伝を頼って鉱三郎を弟子入りさせたのが2代目・広沢虎造。15歳で弟子入りした鉱三郎は浪曲の修行を積んだ。鉱三郎は数年後に広沢竜造を襲名。二葉百合子は鉱三郎について「とにかく竜造さんの芸風は子ども心に楽屋で聞いてもすっきりした浪曲をやるんですよ。粋な浪曲師というのが記憶にはっきり残っている」と話す。昭和18年に鉱三郎の元に召集令状が届く。その場にいた長野勝さんは浪曲を一席披露した賑やかな出征だったと話す。インパール作戦に従軍した鉱三郎と同じ師団に所属していた橋本武夫さんは当時の戦争体験を語った。鉱三郎もマラリアにかかるが運良く撤退命令が下り一命を取り留めた。昭和21年に鉱三郎は復員した、銀座のうなぎ店も空襲で焼けてしまったが鉱三郎は寄席に復帰し、後にピン子さんの母親となる金井喜美代と出会う。

泉ピン子は「戦争でつらかったんだなと思ったら。ビルマのそっちだなんて全然思いませんでしたね」と振り返った。さらに「私今見ながら、頑張って死なないでねって。死んだら私いないわと思って。生きててくれてよかったと思います」とコメントした。

母・喜美代さんは泉ピン子が2歳の時に亡くなっており、ピン子さんは母の事を全く覚えていないと話す。群馬・渋川市にある甲波宿禰神社で、ピン子さんの5代前の金井嘉四郎の名前が書かれた古文書が発見された。多くの領地を所有していた嘉四郎の孫・善三が村を出ていたことがわかった。ピン子さんのいとこ・金井真一は善三が勘当され東京に出たことを明かした。戸越銀座商店街の近くで暮らし始めた善三。現在はいとこの畑中登代子さんが住んでいる。品川区立京陽小学校に通っていた喜美代さんは、卒業後「池田美容院」へ就職。24歳になった喜美代は人形町の長屋の路地裏に一室を借り独立。鉱三郎が出演する寄席「喜扇亭」に出入りする喜美代は鉱三郎と出会った。二葉百合子さんは楽屋を訪ねてきた喜美代の当時の様子を語った。昭和22年2人は結婚し泉ピン子が生まれた。その後、喜美代は2人目の子どもを身ごもるが、数日後に喜美代は28歳で他界した。

その後、父は再婚したが小夜は新しい母に中々馴染めなかった。父は益々忙しくなりラジオ番組などに出演していた。しかし、昭和28年に肺結核で倒れてしまう。父が書き下ろした浪曲の貴重な音源を聞くと「懐かしい自分の声、また作品をこれからゆっくり聞かせてもらいます」など二葉百合子さんは語った。

スタジオの泉ピン子は「私ファザコンなんです、父親大好き、あのいいかげんさが好きなんですよ」などと話し、「母のことは一切喋っちゃいけないっていう周りの無言の暗黙があった」などと語った。

泉ピン子が下積み生活を送っていた頃、西田敏行さんとよく一緒に酒を酌み交わしていた。西田敏行さんは「ピン子さんは器用な人ではないんですよ、だから本当に気持ちを込めて泣くシーンなんかも、その気持ちになった所から初めて発するセリフだったり肉声だったりする気がする」などと話した。昭和58年にピン子さんは連続小説「おしん 」に出演しテレビドラマ史上最高の62.9%を記録した。

キーワード
銀座(東京)
和光
銚子市(千葉)
円福寺
銚子市公正図書館
飯岡(千葉)
玉崎神社
下総名勝図絵
干鰯
永代(東京)
江口鉱三郎
広沢虎造
紅白歌合戦
インパール作戦
マラリア
金井喜美代
甲波宿禰神社
戸越銀座商店街
品川区立京陽小学校
人形町(東京)
今半本店
おしん
マッサン

エンディング (その他)
10:54~

泉ピン子が心置きなくあの世にいけますと話し、エンディングとなった。

ファミリーヒストリーの次回予告。

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