ろーかる直送便 終戦70年企画「長崎原爆救援列車」

『ろーかる直送便』(ろーかるちょくそうびん)は、2010年4月9日から2016年4月1日までNHK総合テレビジョンで放送されていたテレビ番組。全国のNHKの地方放送局が制作したテレビ番組を放送していた。字幕放送実施。

出典:goo Wikipedia

放送日 2015年9月28日(月) 15:15~15:41
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
15:15~

終戦70年特別番組。長崎に原子爆弾が投下されて70年。長崎の鐘には今年も沢山の千羽鶴がたむけられた。そこに掲げられている一枚の絵には救援列車が描かれている。描いたのは漫画家のマルモトイヅミさん。70年前のあの夏、救援列車はどこへ向かったのか。1人の漫画家とともにその足跡を辿った。

キーワード
原子爆弾
長崎市(長崎)
長崎の鐘

終戦70年企画「長崎原爆救援列車」 (バラエティ/情報)
15:17~

昭和20年8月9日に投下された原爆は長崎の街を一瞬で破壊した。長崎から被爆者を運んだのが救援列車で沿線の病院などの施設に向かった。救援列車は最後の希望だった。被爆2世の漫画家マルモトイヅミさんは原爆をテーマにした作品を描いてこなかったが、6年前にある被爆者と出会い若い人たちに原爆について伝える使命を感じた。被爆者体験を漫画に描く活動を始めたマルモトさんはそのなかで救援列車に興味を持つようになった。

救援列車はどこへ向かったのか。7月マルモトさんはその手がかりを探る旅に出た。まず佐賀・多久市の救援列車を走らせた元国鉄職員・瓦田さんを訪ねた。瓦田さんは長崎駅のそばで被爆、直後に長与駅まで歩き、そこから救援列車に乗り込み爆心地に進んだ。しかし1キロほど離れた場所から進めなくなったという。2人は救援列車が止まった照圓寺近くに移動、瓦田さんが乗せることが出来なかった人を説得したなど当時の状況を説明した。マルモトさんが体験を聞き取って描いた漫画を公開した。

救援列車が最初にむかったのは諫早駅。駅で救援列車を迎えた中田さんは、とにかくいっぱい人が乗っていた、ひどいもんだという感じをうけた、どうして助けてやったらいいかわからなかった、など当時の状況を語った。被爆者の多くは力尽きていたという。

日が立つに連れ被爆者たちは佐賀の救護施設に運ばれるようになった。肥前鹿島駅から1.5キロ離れた鹿島市立鹿島小学校には当時を記録した資料が保管されている。被爆者を運んだ今村さんはリヤカーで運んだなど当時の状況を説明、二度と戦争はしてほしくないと話した。

原爆が投下されて5日後、救援列車は佐賀駅に到着した。佐賀県立病院好生館で今年6月に当時の診療記録がはじめて公開された。看護学生だった光吉さんら3人は、外傷もなかった人が突然なくなった、など当時の状況を語った。カルテには皮下出血という共通の症状があったと記されている。皮下出血と診断された23人のうち13人が亡くなった。

2015年8月9日原爆投下の時間をマルモトさんは平和公園で迎えた。マルモトさんは自分の力ではどうしようもないもどかしさがあると話した。長崎県美術館で行われた「ながさき8.9平和展」でマルモトさんは救援列車が行く先々で被爆者を救おうとした人々を描いた漫画を展示した。マルモトさんは最後に満月へと向かう一本の列車の絵を添えた。

キーワード
長崎市(長崎)
原子爆弾
救援列車
多久市(佐賀)
照圓寺
JR諫早駅
JR肥前鹿島駅
JR佐賀駅
佐賀県立病院好生館
佐賀市(佐賀)
皮下出血
ながさき8.9平和展

エンディング (その他)
15:39~

エンディング映像。

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