目撃!日本列島 長崎原爆 救援列車

放送日 2015年12月19日(土) 11:30~11:54
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
11:30~

長崎市に原子爆弾が投下されて70年。長崎の鐘には多くの千羽鶴が手向けられるが、最近、被曝二世の漫画家マルモトイヅミが描いた被爆した人たちを救助する救援列車の絵が掲げられた。今回はマルモトさんと共に救援列車の足跡を追った。

キーワード
救援列車
原子爆弾
長崎市(長崎)

長崎原爆 救援列車 (バラエティ/情報)
11:32~

昭和20年8月9日に長崎に原子爆弾が投下され、この年だけで7万人を超す人が亡くなった。被曝のすぐあとから人々の命を救おうと走った救援列車は、大村線沿線にある医療施設に向かったとされる。

漫画家のマルモトイヅミさんは親から原爆の話を聞いた事はなかった。意識が変わったのは6年前に語り部を続ける森幸男さんの「語るだけでは伝わらない。漫画で書いてくれないか」という言葉だった。マルモトさんは話を聞く中で救援列車の存在を知るが、詳しいことを知る人にはなかなか出会えなかった。そこでマルモトさんは救援列車が何時どこから走り始めたのかを探り始めた。

7月。最初の救援列車を走らせた佐賀・多久市の国鉄職員 瓦田一生さんの元を訪ねた。原爆が投下された時、瓦田さんは爆心地から2キロ離れた長崎駅近くにいた。救援列車は被爆者を救おうとJR長与駅から爆心地へと向かった。しかし線路が壊れていて爆心地から1キロ地点から先へは進めなくなった。瓦田さんは一気に押し寄せた人たちを懸命に列車に乗せた。

救援列車はその後、諫早駅に向かった。当時諫早駅の駅員だった中田さんは、爆心地から離れたこの駅で救援列車を迎えたのは午後4時頃だと語る。怪我をした人たちは石炭の上にも溢れ、多くの人達が乗っていたと言う。ホームは海軍病院に向かう人達でいっぱいになった。地下通路に降りて行くと、座り込んでいる人々で溢れていた。列車に乗り込んだ被爆者たちの多くはここで力尽きていった。

救援列車は佐賀駅まで走っていた。当時の佐賀の総合病院が近くにあり、被爆者のカルテが戦後70年を記念して公開された。それによると原爆投下の5日後には被爆者が入院していた記録がある。長崎大学の相川教授によると、被爆者特有の皮下出血がみられる患者が多かったのではという。治療現場を目撃した人々は、当時、看護学生として臨時で治療を手伝った。彼女たちの話によると、病室では輸血やビタミン剤の投与などを医師が行っていたが、数日のうちに全員亡くなってしまったという。

原爆への怒りと平和への願いを訴える美術館に漫画家のマルモトさんの救援列車についての作品が展示されている。彼女は原爆に勝てなかったことが悔しいと語る。最後に1枚の絵を添えた。そこに書かれていたのは満月に向かう一本の列車。希望に向かう当時の救援列車とは正反対の列車をイメージして描いたという。これからも被爆者の思いを伝えていきたいと決意した。

キーワード
救援列車
原子爆弾
長崎市(長崎)
森幸男さん
多久市(佐賀)
JR佐賀駅
赤チン
諫早駅
米国科学アカデミー
長崎大学
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