歴史秘話ヒストリア ▽偉大なる父・信玄よ!〜武田家のプリンス 勝頼の愛と苦悩

『歴史秘話ヒストリア』(れきしひわヒストリア)とは、2009年よりNHK総合テレビジョンで放送されているNHK大阪放送局制作の歴史情報番組。

出典:goo Wikipedia

放送日 2016年2月3日(水) 22:00~22:45
放送局 NHK総合

番組概要

オープニング (その他)
22:00~

徳川家康が恐怖を感じた戦は武田信玄との戦いである。この時最前線で活躍したのが武田勝頼である。勝頼の支えは家族で妻や子供と描かれた肖像画をテレビ初公開する。

キーワード
徳川家康
武田勝頼
武田信玄

偉大なる父・信玄よ!~若きプリンス 武田勝頼の愛と苦悩~ (バラエティ/情報)
22:02~

山梨・甲府市はかつて武田信玄が治めていた。勝頼は信玄の4男として生まれ、四郎と呼ばれていた記録しか残っていない。当時、信玄は周りの領主を次々攻め滅ぼし、四郎の母は諏訪家から連れてこられ信玄の側室となったため、敵として警戒されていた。疑いの目は四郎にも向けられた。四郎は元服を迎えると諱として勝頼が与えられた。頼は諏訪家が代々名乗ってきたもので、信の字をもらうことはできなかった。さらに武田家を出て諏訪家を継ぐよう命じられた。

勝頼が移り住んだのは長野・高遠で諏訪家縁の地である。領主となった勝頼が神社に収めた釣鐘が現在に伝わっている。また高遠に母の墓も建てた。勝頼が22歳の時、信玄から呼び出しがあり突然、跡継ぎ候補とされた。長男・義信が信玄と対立し暗殺を企てる。これに激怒した信玄は義信を自害に追い込んだ。次男・信親は失明して出家、三男・信之は早くに亡くなった。

武田家には信玄の弟や甥など家を継げる男子はいて勝頼がすんなり当主になれる状況ではなかった。勝頼に実力を示す機会として北条家との戦いがやってきた。城にこもる敵を外におびき出す囮を命じられた。勝頼は自ら城内に突入して大暴れた。そして敵をおびき出し勝利した。勝頼の働きを見た信玄は見ているこちらが恐ろしく人のできることではないとした言葉が残っている。実力を認められた勝頼は次の戦では副将軍に抜擢された。敵は織田信長である。突然、信玄が病で倒れた。その時勝頼は正当な後継者ではなく陣代と告げられた。

信玄が勝頼を正式な後継者にしないのは家臣の反発を抑えるためと言われている。正式な跡継ぎに指名されたのは勝頼の子の信勝だった。このとき信勝は7歳で16歳に家督を継がせるよう信玄は命じ、それまでの9年間つなぎを務めるのが陣代・勝頼の役割だった。

勝頼が28歳の時、信玄が亡くなった。遺言に三年間、我が死を隠せと書かれていた。陣代の勝頼には家臣の反発があり、信頼関係を築くため家臣をたてる誓約した。信玄の死を隠すためには手紙を信玄の名で出した。使者が訪れた時は叔父を信玄に仕立てた。

周りの戦国大名らは武田軍が急に戦いをやめた理由を不審に思い徳川家康は武田領の駿河を攻め町に火をかけた。しかし武田軍は反撃せず信玄の死を確定し、織田信長にも話しが伝わった。間もなく家康と信長は3万8千の大軍で攻め込んできた。大敗を喫した勝頼は信玄から受け継いだ領地の一部を失った。信長と家康は一気に武田を滅ぼそうと動き出す。

勝頼は信玄との決別を決め、勝頼は北条家と同盟を結ぶことを考えた。勝頼は苦しい状況を素直に伝え同盟を懇願した。その翌年、北条家当主の妹が武田家に嫁いできた。武田家の戦いは収まり甲斐に平和がもたらされた。家臣らは勝頼の手腕を称えた。

長年周辺の国々と戦を繰り返してきた武田家に勝頼は一時的に平穏をもたらすことに成功した。信玄でさえ成し得なかった快挙である。勝頼の原動力は父と決別し、自分に何ができるか見つめ直し実行したことだった。そして最大のライバル織田信長が襲いかかる。

勝頼は20歳のとき結婚した相手とは2年で死に別れていた。北条夫人との生活はようやく手に入れた家族との暮らしだった。結婚間もなく北条夫人をともない諏訪を訪れた。勝頼は諏訪大社の祭礼に妻を連れていった。当時、こうした儀式に夫婦で参列するのは珍しかった。この頃、信勝は11歳になっていた。

高野山持明院には勝頼の家族3人が1枚の絵の中に描かれた肖像画がある。戦国大名の肖像画は1人で描かれるのが普通で家族と一緒のは他に例がない。

結婚から2年後、北条家が同盟を一方的に破棄した。そして織田・徳川と手を結んだ。妻の実家が敵になると、実家に追い返すのが世の習いだったが勝頼はそれをしなかった。

勝頼が37歳の時、信長は5万の大軍で攻めてきた。兵力で劣る勝頼は地の利を生かした作戦を考えた。険しい地形の城や砦を築き敵n攻撃を防ぐ作戦だった。決戦が始まる時、浅間山が噴火した。甲斐・信濃が滅ぶとき浅間山が噴火すると当時信じられ、同様する武田軍はそこを織田軍につかれた。

北条夫人は武田の守り神に願文を捧げた。勝頼は味方の立て直しを図るため新府城に戻った。しかし兵は1000人ほどに減っていた。そこへ織田・徳川・北条の15万の大軍が新府城に近づいてきた。

勝頼は甲斐を東へ横断し国境を越え落ち延びようと考えた。敵の追撃をかわし出発から8日後、国境の山のふもとについた。その時、織田軍に囲まれた。そして天正10年3月11日、武田勝頼は死んだ。

勝頼の死から1ヶ月後、高野山に一人の僧侶が勝頼と家族の肖像画を携えやってきた。自分と家族一緒に供養してほしいが勝頼の遺言だった。勝頼は国を滅ぼした弱く欠点のある大将と言われてきた。山梨・田野地区は勝頼家族が最後を迎えた場所で、その後間もなく供養する寺が建てられた。9年前この寺で発掘調査が行われ、5000余の経石が見つかった。一番大きい物に勝頼家族3人の戒名が記されていた。境内には3人の墓がある。

エンディング曲:「far on the water」Kalafina

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Kalafina
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エンディング (その他)
22:42~

エンディング映像。

歴史秘話ヒストリアの次回予告。

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